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嘔吐 新訳 の商品レビュー

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38件のお客様レビュー

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2019/04/06

仏文学を最近全く読んでいないと思い、思い当たったのが本書。 本書についてはサルトルの思想面が強調されているイメージ(哲学書のような)があったが、思ったよりも「小説」であった。 といっても、語り手のロカンタンという青年が、街の中を行ったり来たりし、モノローグを続けている場面がほとん...

仏文学を最近全く読んでいないと思い、思い当たったのが本書。 本書についてはサルトルの思想面が強調されているイメージ(哲学書のような)があったが、思ったよりも「小説」であった。 といっても、語り手のロカンタンという青年が、街の中を行ったり来たりし、モノローグを続けている場面がほとんど。 他の登場人物は、「独学者」、元恋人のアニーくらいしかいない。アニーは、「特権的な状況」「完璧な瞬間」について、そうしたものは結局存在しないことを表すために登場したのだろうが、独学者というこの風変わりな人物の役割は、ヒューマニズムへの批判的態度を表明することにあったのだろうか? 以下、巻末の鈴木先生の解説を参考に個人的に考えてみたことを書くこととします。 「存在」・・・ロカンタンは「物」(石やふと目にした店員の衣服?)に触れたり、「自然」(マロニエの木など)を観察したりすることによって、一人一人の人間の存在も、それら物や自然物と同様に「余計なもの」であると気づいてしまう。余計なもの、という感覚は、人間以外の物体などが例えば風に吹かれてたまたまその場所に転がっているように、人であってもその存在はあくまで「偶発的」なものである、という悟りのようなものである。美術館の肖像画の場面で(この場面はかなり長かったが、、)、肖像画に描かれた、歴史に名を残す偉大な人物たち。このような人たちは、自分たちは何事かを成すために地上に存在しており、他の者ではない自分だからこそできることがある、いる意味がある、というように考えているが(またそうした偉大な人物たちではなくても、誰でも多かれ少なかれ自分の意思や判断が影響してきたからこそ、今自分のいる位置にいるのだというような意識はあるものだと思うが)、人間が存在するということは、その他の「物」がたまたまその場所に転がっているがごとく、何らの必然性もないものだ、ということにロカンタンは気づくのである。存在たちはそれぞれ、相互に連関しあって意味付けられ、そこにいるように見えても、あくまで孤立しているものである。例えば仕事。それもまた存在の理由にはならない、だからこそロカンタンは論文?の執筆を放棄するのである。 「完璧な瞬間」・・アニーのいう完璧な瞬間とは、ロカンタンのいうような、何らの必然性もない「存在」とは対照的に、なるべくしてなる、起こるべくして起こるような状況を指すものと思われる。しかし、あなたと私の出会ったあの瞬間は、まさに奇跡であり同時に必然であった・・というようなドラマのような場面は、実際には起こり得ないものであり、そのことを悟ったアニーもまた抜け殻のように余生を送る他ないと考えているのである(といってもアニーにしろロカンタンにしろ、思った以上に若く設定されていた。2人とも達観しすぎていて老人かと思ったが)。  一方で、劇的な展開を見せるドラマには筋書きがあり、大団円もある。作中で音楽も同じ扱いがされていたが、つまりいわば小説というものは、結末に向かって、冒頭から必然のみが積み重ねられていくものであるから、小説の中では存在の偶然性といったことは生じないこととなるのではないか。ロカンタンは結末部分でも、この点にわずかに希望を見出しているのではないか。 この小説で表現されているものは、上記のような存在の偶然性といった考え方であるが、やはりこうした概念は哲学の中の抽象語の一つで、やや現実離れしすぎているようにも感じる。むしろ本書を読んでまず感じたのは、存在の偶然性の発見により絶望するロカンタンというよりも、小説の中の彼がほとんど誰も話し相手がおらず、家族も登場せず、ひたすら孤独に生きているのに、それでも年金収入もあり「生きられてしまう」ことが恐ろしいと感じた。なぜなら存在自体に必然性がないといっても、直ちに実感はわかないが、死にもまた必然性はない、といったほうが、我々には実感しやすいのではないかと思うからである。 本書は、哲学書などに比べると随分読みやすかったが、難解な箇所もあり、読了まで時間を要した。しかし、非常に勉強になる読書体験だった。

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2021/08/08

高校の卒業文集で「嘔吐」を読みたいとよくもわからずに書いていたのだが、卒業して15年後に読んでみた。 主人公のロカンタンがなにげないものにも吐き気を催すようになったということなのだが、てっきり、吐き気を催すようになった思考の過程がユニークかなのかと思っていたが完全な思い違いだった...

高校の卒業文集で「嘔吐」を読みたいとよくもわからずに書いていたのだが、卒業して15年後に読んでみた。 主人公のロカンタンがなにげないものにも吐き気を催すようになったということなのだが、てっきり、吐き気を催すようになった思考の過程がユニークかなのかと思っていたが完全な思い違いだった。 今の自分には全く理解できないし、そんなつまらないことを考えているなら、もっとましなことを考えたほうが良い。「もともと世界なんて意味がない。でも意味がない中でも、色々やってみたら面白いじゃないか」という考え方を持つ自分にとっては、時間の無駄だった。 卒業文集で馬鹿なことを書くもんじゃなかった…

Posted byブクログ

2018/05/31

サルトル 「 嘔吐 」ロカンタンが 吐き気を通して 事物と人間の実在を発見する物語。 小説にすると 人間の主体性や自由のための実存主義の主張が弱まり、事物の存在の空虚性が目立つ。「実存主義とは何か」の方が面白い 存在論 *存在とは 何でもない〜外から物に付け加わった空虚な...

サルトル 「 嘔吐 」ロカンタンが 吐き気を通して 事物と人間の実在を発見する物語。 小説にすると 人間の主体性や自由のための実存主義の主張が弱まり、事物の存在の空虚性が目立つ。「実存主義とは何か」の方が面白い 存在論 *存在とは 何でもない〜外から物に付け加わった空虚な形式にすぎず、物の性質を何一つ変えるものでもない *本質的なことは偶然性〜存在は必然でない〜存在とは 単にそこにあること *現在 以外に何もない〜私自身も 〜現在でないものは存在しない 「人生は それに意味を与えようとすれば 意味がある〜まず行動し、一つの企てのなかに身を投じる」

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2018/01/07

"存在を恥ずかしく思わせるような小説"、ここに息していること自体余計だけれど、情景の美しさや冒険の話は希望と捉えていいのか。ここまで人生に冷静な人がどこかにいてほしい

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2017/12/18

読み心地はいいものではない。でも有意義な読書体験になると思う。作家の意図としてなのか意図せずにかはわからないけれど、読んだ結果の反作用的な意味で有意義だったような気がする。これは個人的な前提があってのことかもしれずよくわからない。ただ、哲学者らしいある種の徹底があるので、そこは柔...

読み心地はいいものではない。でも有意義な読書体験になると思う。作家の意図としてなのか意図せずにかはわからないけれど、読んだ結果の反作用的な意味で有意義だったような気がする。これは個人的な前提があってのことかもしれずよくわからない。ただ、哲学者らしいある種の徹底があるので、そこは柔らかくなく読み応えがあるので相応の読書になると思う。

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2015/11/30

「この自由はいくぶん死に似ている」小難しいニート小説…というと雑すぎるけど、社会の仕組みから浮いた人間の心理をしつこいくらい炙り出している。自分が存在してしまう「余計さ」という言葉は痛いくらい響く。 責任ある仕事とか社会の称賛とか「これがあれば幸せでしょう」みたいな価値観から自由...

「この自由はいくぶん死に似ている」小難しいニート小説…というと雑すぎるけど、社会の仕組みから浮いた人間の心理をしつこいくらい炙り出している。自分が存在してしまう「余計さ」という言葉は痛いくらい響く。 責任ある仕事とか社会の称賛とか「これがあれば幸せでしょう」みたいな価値観から自由になった時、自分の余計さがやっと死んでくれるのかも知れない。

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2015/09/27
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

プルースト『失われた時を求めて』の訳者による新訳。訳者は、サルトルの中にプルーストの影響を認めている。 中村文則の小説『何もかも憂鬱な夜に』にサルトルのことが書かれていたので、読むことにした。 そういえば、大学時代、サルトル好きの友人がいた。当時はフランス現代思想にかぶれていた僕は、現代思想が否定していたサルトルのことをバカにしていた。現代思想は、サルトル的な主体性、自由、行動する知識人の在り方を批判することから始まった。現代思想も廃れた現代において、改めてサルトルを読むと発見が多い。 サルトルがガリマール社に『嘔吐』の原稿を渡した後、何度も改稿を命じられて、出版まで7年もかかったという。よほど編集者の直しが入ったのだろう、しかし、ガリマールの判断は正しかった。他のサルトルの小説といえば短編か未完作品ばかりだが、『嘔吐』は完結しており、サルトル自身認める傑作となっている。 小説は主人公ロカンタンの日記の体裁をとっている。ロカンタンは十八世紀ヨーロッパの架空人物であるロルボン公爵の歴史研究をしている。生活のための仕事はしていないが、食べていける金利生活者である。行きつけの居酒屋の女主人、独学者の青年としか接触がなく、ロカンタンは物に囲まれた孤独な生活をしている。ロカンタンはある時、物に対して嫌悪感、吐き気を覚える。探求の結果、ロカンタンは、すべての物が偶然存在していることに気づく。存在に必然はない、世界の本質は偶然性だとロカンタンは喝破する。 ロカンタンの目には、自分達の存在理由をかたく信じている社会の指導的エリートは俗物だと映る。以下冒頭の文章引用。 「一番いいのは、その日その日の出来事を書くことだろう。はっきり見極めるために日記をつけること。たとえ何でもないようでも、微妙なニュアンスや小さな事実を落とさないこと、とりわけそれを分類すること。このテーブル、とおり、人びと、刻みタバコ入れが、どんなふうに見えるのかを言わなければならない。なぜなら変化したのはそれだからだ。この変化の範囲と性質を、正確に決定する必要がある」

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2015/08/16

人間も含め、あらゆる存在は偶然性の産物である。存在そのものも、存在から存在への移行や動作も、互いに連関はない。その恐るべき状況の中にどうしても必然の可能性を見出したくなるアニーには共感を覚えた。物語ではその試みが挫折せざるを得ないことが示されているが、そこにどうしようもなく退屈な...

人間も含め、あらゆる存在は偶然性の産物である。存在そのものも、存在から存在への移行や動作も、互いに連関はない。その恐るべき状況の中にどうしても必然の可能性を見出したくなるアニーには共感を覚えた。物語ではその試みが挫折せざるを得ないことが示されているが、そこにどうしようもなく退屈な遺棄された日々の生活に対する調味料としての役割を、あえて見出してもよいのではないかと個人的には思う。

Posted byブクログ

2015/07/19

若い頃に読んだ時は正直、訳が解らなかったが、歳をとってから読むと不思議な感慨を抱く。感慨というか郷愁? 不思議な本だ。 何となく埴谷雄高『死霊』を思い出した。 こういうのは若い頃に読めばいいのか、歳をとってから読めばいいのか、判断に迷うねw

Posted byブクログ

2015/05/10

これがサルトルの「嘔吐」なのか。 プルーストとの決別宣言とも取れるし、マロニエの根っこから実存主義が芽生えてくる瞬間を捉えた哲学的ドキュメンタリーとも取れるし、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」みたいなごくつぶしの愚痴小説の原点とも取れるし。 でも一番腑に落ちたのは訳者解説の「冒険...

これがサルトルの「嘔吐」なのか。 プルーストとの決別宣言とも取れるし、マロニエの根っこから実存主義が芽生えてくる瞬間を捉えた哲学的ドキュメンタリーとも取れるし、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」みたいなごくつぶしの愚痴小説の原点とも取れるし。 でも一番腑に落ちたのは訳者解説の「冒険小説」という言葉でした。 何はともあれこれが海外の長篇第22位。

Posted byブクログ