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鹿島茂が語る山田風太郎 の商品レビュー

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2020/11/17

 山田風太郎を鹿島茂が語ってくれる。こたえられない好取り組み。  司馬遼太郎と山田風太郎について、 「両方とも好きで同じくらい読んでいるという読者は極端に少ないはずです。私は、その数少ない例外かもしれません。」  鹿島先生、私も例外です。  上記引用文の少し後に言及される「別冊新...

 山田風太郎を鹿島茂が語ってくれる。こたえられない好取り組み。  司馬遼太郎と山田風太郎について、 「両方とも好きで同じくらい読んでいるという読者は極端に少ないはずです。私は、その数少ない例外かもしれません。」  鹿島先生、私も例外です。  上記引用文の少し後に言及される「別冊新評」では、「司馬の描くポジの明治に対し、山田の描くネガの明治」と、巧みに評していたはずだ。  山田風太郎の面白さを構造主義の視点から分析してくれたのは有難い。なるほど、アナグラム。忍法帖の異色作『魔天忍法帖』など、歴史のアナグラムで書かれていた。  後半の二短編はいずれも読んでいた。とりわけ後者の『伝馬町から今晩は』は強烈な印象で忘れがたい。

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2018/02/12

明治ものを中心とした解説、司馬遼太郎との比較はナンセンスだと個人的には思いますが、人それぞれ色んな読み方があるのでしょう。この著者のかたはANA機内誌の稀書探訪の方ですよね。コレクターはやはり多趣味ですね。

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2014/06/04

信念をいささかも曲げない悪党鳥居を主役にした「東京南町奉行」とキップの良さと悪意のない豪快さで周囲を破滅させていく逃亡者高野長英を描いた「伝馬町から今晩は」の傑作2編を収録。この人選が山田先生の目の付けどころ。

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2010/08/20

ウソつきでないと小説家にはなれない!?《赤松正雄の読書録ブログ》  ウソつきでなければ、小説は書けない―かねてよりの私の持論である。ある著名な作家と懇談した際に、不躾にも同意を求めたことがあるが、「うーん。まぁ、そういう側面はありますね」との答えが返ってきた。「私のこだわり人物...

ウソつきでないと小説家にはなれない!?《赤松正雄の読書録ブログ》  ウソつきでなければ、小説は書けない―かねてよりの私の持論である。ある著名な作家と懇談した際に、不躾にも同意を求めたことがあるが、「うーん。まぁ、そういう側面はありますね」との答えが返ってきた。「私のこだわり人物伝」シリーズ第三弾の『鹿島茂が語る山田風太郎』は、この私の持論を肯定し、かつ丁寧に解説してくれている。鹿島茂さんは、毎日新聞の読書欄でのお気に入りだが、風太郎好きには堪えられないほど面白い。  風太郎の「大ウソ」と司馬遼太郎の「小ウソ」の比較で始まる人物論は、「通常の時代小説が『ありそうな』推測で埋めるのに対して、山田風太郎の時代小説は『あり得るかもしれない』推測で満たす」というように展開されていく。「与件と結論さえ同じであれば、どんな別解(ウソ)も可能」との、風太郎の世界は荒唐無稽の筋道を自由奔放にたどる。創造力の豊かさここに極まれりで、小さなウソさえままならない私など天を仰ぐのみ。  戦時中に医学生として青春を過ごした風太郎には、忍法帖シリーズから明治ものまで幅広いジャンルでの作品群がある。加えて一連の戦中・戦後の日記ものも強烈なインパクトを今に残す。戦時に意味を持つとは思えぬ文芸言論になぜ自分は眼を向けるのかとの自問をした風太郎は「余が信ずる男児有為の事業に、余自身力不足なりと知るゆえのみ」とへりくだって答えているあたりはなかなか奥が深いように思われる。「政治という『無意味な渦』がうたかたのごとく消えたあとも東山銀閣寺という『美の世界』」を残したとされる足利義政と風太郎とを同一視した結論の披露には唸った。巻末に二つの時代物短編が収録されているが、これがまた読ませる。

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2010/07/12

『八犬傳』と『あと千回の晩飯』 山田風太郎の作品でまともに読んだといえる作品はこの二つしかない。 しかし二冊ともとても魅力的で、好きな作家さんたちの読書エッセイ等で目にする『戦中派虫けら日記』もいつか読んでみたいなぁと夢想している。 『八犬傳』に至っては当時小学校5年生であ...

『八犬傳』と『あと千回の晩飯』 山田風太郎の作品でまともに読んだといえる作品はこの二つしかない。 しかし二冊ともとても魅力的で、好きな作家さんたちの読書エッセイ等で目にする『戦中派虫けら日記』もいつか読んでみたいなぁと夢想している。 『八犬傳』に至っては当時小学校5年生であったあずきを文字通り虜にしてしまい、その後の歴女人生への道を形付ける一冊となった記念碑的な作品でもある(笑) 山田風太郎は面白い。 だが、この面白さはどこから来るのだろう? 本書ではそんな素朴な疑問を仏文学者である筆者がバルザックやフロベールらの西洋文学の小説技法を以って読み解くという面白い試みが成されている。 同じ時代のほぼ同じ登場人物を扱いながら、全然趣の異なる作品を作り出した司馬遼太郎の作品と比較して二人とも「分解」してしまっている段は読み比べしてみたい!と思ってしまう。 山田風太郎と司馬遼太郎、いずれも魅力的な作家ではあるけれど、作家としての軍配を上げるとすれば山田風太郎かもしれない。 そんな思いを抱かせてしまうのは筆者の山田風太郎への愛もさることながら、山田風太郎の想像力が読者が期待する「予想外の展開に導いてくれる」度合いが格段に上だからだ(司馬遼太郎ファンの皆様ごめんなさい)。 鹿島氏はそれを司馬遼太郎の「小ウソ」山田風太郎の「大ウソ」と指摘しているが、これほどピタリとした指摘もないだろう。 司馬の熱烈なファンには「司馬史観」の言葉が物語るように彼の著作を耽溺する信者といってもいいくらいコアなファンが存在するが、山田ファンには存在しない(と思う)。 なぜなら山田の作品は荒唐無稽で、それが史実である可能性は限りなく低いから。山田風太郎の描くありもしないけどあったかもしれない「大ウソ」=心地よく騙してくれる快感に読者は震えるのである。 常に読者の期待を「いい意味で」裏切り続け、楽しませた職人作家であった彼の作品が大衆に喜びを与えたのは間違いない。 ということで短編2作も同時収録されてますしお買い得ですヨ! 作品での比較はできないが、私自身は山田風太郎と遠藤周作の二人の姿に似通うものを感じている。 同じ兵庫県で育ち、医者の家系に生まれ(自分の意思・家族の意思と違いはありながらも)医学を志しながら断念したこと。 身体が弱く兵役検査で丙扱いとなり勤労で社会を外枠から眺めるようになったこと。 ユーモラスでありながらとても覚めた目をしているところ---等々。 まぁ好きな作家を数珠繋ぎしたいだけかもしれないが。 いずれにせよ山田風太郎を読み解くキィ・ワードとなるであろう一冊になること間違いない。

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