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歴史に好奇心(2008年12月・2009年1月) の商品レビュー

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2021/02/04

[語り手] 山本博文「ナナメ読み忠臣蔵」  忠臣蔵には元々興味があり、吉良には吉良の正義があり完全なる悪者ではないと考えていた。なので忠臣蔵や赤穂事件について調べて見たいと考えていた。  江戸時代の前期はまだ喧嘩両成敗の世の中だったと記憶している。その中で幕府の片落処分に納得が...

[語り手] 山本博文「ナナメ読み忠臣蔵」  忠臣蔵には元々興味があり、吉良には吉良の正義があり完全なる悪者ではないと考えていた。なので忠臣蔵や赤穂事件について調べて見たいと考えていた。  江戸時代の前期はまだ喧嘩両成敗の世の中だったと記憶している。その中で幕府の片落処分に納得がいっていないのは知っていた。しかしそれが主君の敵を許すわけにはいかないという思いではなく、自分たちの武士としての名誉のためである者が多かったことはいがいだった。それを含めて忠義と呼ぶのは少し印象が変わった。  儒学者達の論争を見ると、四十六士の行動や幕府の裁決は何が正しかったのか、どう捉えるかが人によって分かれていることがわかる。  このような、四十七士の行動を主君の忠義と見るか幕府への反発と見るかのような、視点を少し変えれば多くの物語が見える、ただの仇討ち物語ではないということこそが、私自身ずっと感じていた忠臣蔵の魅力であった。  しかし、自己犠牲の精神があることが忠臣蔵が美談であるということを支えて且つ忠臣蔵が現代でも好かれている要因であるとされていた。確かにこれは日本人には刺さるものが多いのかもしれないと感じた。  総じて私の元々あった印象が変わったが、物語の原典を追うことや、それが作られた・広まった時代背景を知ること、様々な視点で考えることは、理解を深める上で大切なことだと体感した。より一層忠臣蔵が好きになったのでこれからも追求しようと感じた。 (『NHK知るを楽しむ 歴史に好奇心2008年12・1月』)(220009 210114)

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2011/07/03

 『甲陽軍鑑』の資料性について、成立過程と評価を紹介。国語学者の酒井憲二氏による「成立のいきさつ」(119p)がひとつの考え方で、「原本の部分」と「加筆の部分」を「ふりわけていく作業が必要」とする(120p)。  なぞめいている勘助の出自。生国は駿河国、本国は三河と考える(12...

 『甲陽軍鑑』の資料性について、成立過程と評価を紹介。国語学者の酒井憲二氏による「成立のいきさつ」(119p)がひとつの考え方で、「原本の部分」と「加筆の部分」を「ふりわけていく作業が必要」とする(120p)。  なぞめいている勘助の出自。生国は駿河国、本国は三河と考える(122p)、    釧路市で発見された「市河文書」の、「山本菅助」記載文書を読んでいる。文書に記載のある「市河藤若」なる人物への理解があるので、藤若が信玄に与するかいなかの境目にあるとき、勘助が単に書状の運び役ではなく「自分たちの作戦を話し、味方となるよう説得する大事な役目」(129p)と解する。  勘助の「参謀型軍師」の、「イメージ化を決定づけているのが、永禄四年(1561)九月十日の川中島の戦い」とする(134p)。信玄・謙信間の4回目の戦いにして、世にいう「啄木鳥の戦法」の進言であるという。  勘助が「これまでふれた軍使ではなく、軍配者でもなく、また築城名人としてでもなく、信玄に作戦を進言する参謀型の軍師がイメージされ」、有名になったのだとする(前頁)。

Posted byブクログ