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マルコ・ポーロの見えない都市 の商品レビュー

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2013/03/11

『千夜一夜物語』のシェヘラザードをマルコ・ポーロに、ハルン・アル・ラシッドをフビライ・汗に、1001を55に、魔神や娼婦の物語を都市についての記憶に置き換えたのが、この物語といえるだろう。『アラビアンナイト』の中の物語が、入れ子状の迷宮世界を構成しているように、都市についての物語...

『千夜一夜物語』のシェヘラザードをマルコ・ポーロに、ハルン・アル・ラシッドをフビライ・汗に、1001を55に、魔神や娼婦の物語を都市についての記憶に置き換えたのが、この物語といえるだろう。『アラビアンナイト』の中の物語が、入れ子状の迷宮世界を構成しているように、都市についての物語もまた、一度は散逸した書物を一枚一枚拾い集め、無造作に束ねたもののように、或はまた、夢の中の出来事のように、様々な事象が不連続に想起する不思議な構築物となっている。 蓮實重彦によれば「物語とは、語られるべき対象、つまり題材となった挿話の諸々の細部の総和である」。『見えない都市』を物語と呼ぶのはその意味であって、まちがっても冒険譚や不可思議譚を求めてはならない。いや、カルヴィーノの筆にかかると、『まっぷたつの子爵』にせよ『木登り男爵』にせよ、摩訶不思議な設定で語られているのに、それらあり得べからざる人物が逆に普通の人物以上に奇妙な現実感を与えられて読む者に迫ってくる。 凡百のファンタジーが、魔法やら妖精やらを描きながら、その筋立てたるや何度も繰り返された単なる冒険小説の焼き直しでしかないのと正反対である。使い古された形式が悪いのではない。ノースロップ・フライも言っている。「文学はその形式をひたすら自分自身から引き出す。文学において新しいものとは、古いものの鍛え直しである」と。要は、如何に古いものを鍛え直しているかだ。 「七十の銀の円屋根」や「玻璃づくりの道」といった、アラビアンナイトの世界を髣髴させる語彙を鏤めながら、カルヴィーノの描き出す都市群は次第に奇想を深めていく。エウサピアという都市では「生から死への跳躍をいくらかでも衝撃の少ないものにしよう」として、地下に地上の都市の完全な模型を作り、死者をそこに運び込む。しかし、死者が自分たちの街に改良を加えるため、地上では地下の模型を模倣し続けなければならない。生者が死者を模倣するという逆転現象をさりげなく語る語り口の巧さこそカルヴィーノの真骨頂である。 一歩まちがえれば寓話になってしまいそうな都市群像を描きながら、そうならないのは奇想の輪郭の鮮やかさゆえだろうか。ガウディが、サグラダ・ファミリアを設計したとき、錘をつけた網を幾つも板から吊し、それを鏡に映して教会の尖塔をデザインしたという。奇想に見えて、確かな放物線が形作られているからあの教会は美しい。カルヴィーノの描く都市もまた奔騰する奇想の陰に現実を見据えた冷徹なリアリストの眼差しが見え隠れする。 裏返された『東方見聞録』、メタフィジークな『千夜一夜譚』である。ピラネージの『牢獄』シリーズやボルヘスの怪異譚、稲垣足穂の『黄漠奇聞』等が好きな人にお薦めしたい。ルビ付きの漢字が頻出する本が好きな人にも。米川良夫の訳文は、流麗且つ憂愁を帯び、一代の覇者の倦怠を慰めるに相応しいリズムを持つ。再読、三読に値する一巻である。

Posted byブクログ

2009/10/07

学生時代に、イタロ・カルビーノが好きでよく読んだ。中でも、これは最高傑作...かなぁ。マルコポーロがフビライに報告するという形式で、カルビーノが想像した様々な架空都市について語る。レムの「完全なる真空」とか、こういうノリの小説、好きです。

Posted byブクログ