ケータイ小説的。 の商品レビュー
浜崎あゆみの影響力の凄さと、郊外の均一化、ヤンキーの定義の変遷など、ケータイ小説の話題から若者論と都市論が中心に移っていく。どうしても古く見える箇所もあるが、読んでいて面白かった。
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未読 第一章 〈情景〉のない世界 『恋空』に見る、浜崎あゆみの影/ケータイの普及とそれを司るミューズの存在/回想的モノローグと『NANA』『ホットロード』/あゆとユーミンの歌詞の違い 第二章 ケータイ小説におけるリアルとは何か? 本当にリアルなのか?/学校図書館はケータイ...
未読 第一章 〈情景〉のない世界 『恋空』に見る、浜崎あゆみの影/ケータイの普及とそれを司るミューズの存在/回想的モノローグと『NANA』『ホットロード』/あゆとユーミンの歌詞の違い 第二章 ケータイ小説におけるリアルとは何か? 本当にリアルなのか?/学校図書館はケータイ小説をどう捉えているか?/リアル系、不幸表明ノンフィクションの流行/『ティーンズロード』とケータイ小説の類似性/あゆから始まるヤンキー回帰 第三章 〈東京〉とケータイ小説 ケータイ小説における〈東京〉の欠如/上京という概念が存在しないマンガ『頭文字D』 /ケータイ小説の登場人物に見る職業観/「地元つながり」の復活/郊外から生まれた新しい文化 第四章 ケータイが恋愛を変えた 携帯メール依存と「つながること」を希求する若者/「つながり」重視のコミュニケーション/デートDVと「優しい関係」/恋愛小説が顕著に映し出す時代の変化/オールドメディアへ想いを託す彼女たち
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ケータイ小説とは、ファスト風土化した郊外が舞台で、郊外に住む少女が主人公の、郊外に住む少女たちを主な購買層とする、郊外型ショッピングモール内書店で売られる「新しい文学」である。 表紙裏の素晴らしいサマリー。
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ケータイ小説をヤンキー文化の継承者として理解するという、著者の見方が示されています。 ケータイ小説が浜崎あゆみや相田みつをの詩を踏襲していること、あるいは、レイプや妊娠、難病といったケータイ小説にしばしば登場するテーマが「リアル」なものとして受け取られていることなどを指摘し、さ...
ケータイ小説をヤンキー文化の継承者として理解するという、著者の見方が示されています。 ケータイ小説が浜崎あゆみや相田みつをの詩を踏襲していること、あるいは、レイプや妊娠、難病といったケータイ小説にしばしば登場するテーマが「リアル」なものとして受け取られていることなどを指摘し、さらに「地元つながり」や「デートDV」といった、現在のヤンキー文化における問題へと通じる道筋を示しています。 社会学的な考察としてはたいへんおもしろく読みましたが、オタク文化とは違って作品そのものについての批評に踏み込んでいけないところに、少しもの足りなさを感じました。もちろんそれは、本書の欠点というよりもケータイ小説そのものの性格によるのだとは思いますが。
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★いまもあるのか★ついぞ接点のないケータイ小説だが、ヤンキー流れで。出版は2008年。読んだこともないのでケータイ小説そのものの批評はしようがないが、分析は面白い。 ケータイ小説と浜崎あゆみの歌詞は同じ線上にあり、その前にはNANAやホットロードといった、具体的な描写を欠いた回...
★いまもあるのか★ついぞ接点のないケータイ小説だが、ヤンキー流れで。出版は2008年。読んだこともないのでケータイ小説そのものの批評はしようがないが、分析は面白い。 ケータイ小説と浜崎あゆみの歌詞は同じ線上にあり、その前にはNANAやホットロードといった、具体的な描写を欠いた回想的モノローグがある。田舎のショッピングセンターの画一的な品ぞろえの本屋で売れるのは、それがハイかロ-かサブかではなく新たな文化の形というのはもっともだ。 児童文学評論家の赤木かん子の指摘の引用も興味深い。「リアル系」の子供は情緒が苦手。だから相田みつをが好き。人間描写がない、風景描写がない、心理描写がない。出来事が次々出てくる…。なるほど。ただ、僕にとってのみつをのとっつきにくさは、情緒不足と言われるとすっとこない。 つながりすぎるケータイというジレンマも納得。ケータイ小説の最後に、つながらないかもしれない日記や絵馬がコミュニケーションの手段として表現される逆説とワンパターン。
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・「こどものもうそう」からぽちっとした。米光さんの紹介はいつも上手だなぁ。タイトルを見たときは、別に「ケータイ小説」に興味ないし……と思っていたのに。 ・タイトルについて。「。」が最後についているのはなんでだろう? 「モーニング娘。」的なただのかっこつけ? いや...
・「こどものもうそう」からぽちっとした。米光さんの紹介はいつも上手だなぁ。タイトルを見たときは、別に「ケータイ小説」に興味ないし……と思っていたのに。 ・タイトルについて。「。」が最後についているのはなんでだろう? 「モーニング娘。」的なただのかっこつけ? いやいや「ケータイ小説的ななにか」について書いているのではなく、「携帯小説的であること」そのものについて批評するんだよ、という意志と態度を「。」に込めたんだろうな、と読んでから思った。 ・少女たちの文化と生態をケータイ小説から読み解いてみる……という惹句も。この評論は「ケータイ小説」について語る本ではなく、「現代の若者の生き方が端的に表れているメディア」として「ケータイ小説」は読めるのだということが書いてある。ケータイ小説についての本じゃなくて、軸足は若者論つーことで。 ・で……なんか突然出てきたかのように見えるケータイ小説だけれども、もちろんケータイ小説は孤島じゃなくて、いろんなものとの接続から成り立っているんだってことが書いてある(…ということは「こどものもうそう」を読んでいるよい子にはわかるのだ、もちろん言及あり)。例えば直接には浜崎あゆみであり、その浜崎あゆみはどっから影響を受けているかというと『ホットロード』(紡木たく)であったり『ティーンズロード』(雑誌)の投稿欄だったり。つまるところケータイ小説の文化的背景は「ヤンキー文化」にあるのだ、という指摘がまずは新鮮。 ・で、その類似点を指摘するだけじゃなくて、そっから話は現代における「ヤンキー文化」の受容・継承と「地方」というキーワードについて話は発展していく。 ・ケータイが恋愛を変えた」という章。DVというと「ドメスティック・バイオレンス」だからして家庭内暴力なわけだが、現代では「デートDV」という「恋人間の暴力」というのが増加中であるらしい。そしてその原因はケータイの普及にある。というところから、AC(アダルトチル)、「ケータイ小説」や『NANA』に見られる「やさしい関係」へと論は進んでいる。 ・ケータイ小説が出てきた当初、『だからあなたも生き抜いて』とか『プラトニック・ラブ』とかの「トラウマ語り」が大流行していたという指摘は興味深い。トラウマ語りはその当時に限らず、いつでも人気だったと思うのでちーとばかし留保をつけたい気持ちもあるのだけれど。AC論そのものが、かなりあばうとで検証不能なところがあるので、そこに突っ込みすぎるとツライ……と思うけど、そこは比較的さらりとしてるので、拒否感までは。 ・ん~。対談、という形式は実りが少ない気がして好きじゃないんだけど、この著者とおもしろい組み合わせはあるんじゃないかなぁ。
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私個人の期待としては、ケータイ小説から読み取れるヤンキーメディア論をもう少し学べると思いましたが、「生態系」に寄った内容だったので、意図とは少し外れてました。 ただ、ヤンキーを体系立てて学べたというのは、とても面白い経験w メモ 「ティーンズロード」というレディース雑誌を題材...
私個人の期待としては、ケータイ小説から読み取れるヤンキーメディア論をもう少し学べると思いましたが、「生態系」に寄った内容だったので、意図とは少し外れてました。 ただ、ヤンキーを体系立てて学べたというのは、とても面白い経験w メモ 「ティーンズロード」というレディース雑誌を題材にUGCが出てくるとは? これを見るとケータイという意見の出し合える場がもたらす参加性に食いつくのは、どのような層かも少し見えてくる。 mixiなどはまだやっている人も多いと聞くし。意見を聞いてもらいたいのか、言いたいのか、深層心理として「つながる」というものはキーワードになるのだろう。 ロードサイドの流通から見る、流行のつくりかたとか、結構面白かった。 何を起点に流行が生まれていくのか。 「地方」と「都会」という切り口では、やはり情報流通は違っているのだろう。 それは、ウェブというみんなに平等に情報を伝えるものが普及しても、変わらない部分もあるでしょう。 ケータイ小説では、最後(大切な)の想い伝えるツールとして、アナログな手紙や絵馬などを使っており、伝わらないかもしれないものへの思い入れみたいな現象を生んでいる。 このあたりメディアで何か考察出来る部分であろう。
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日本での中高生向け書籍には、 漫画とラノベだけではなく、ケータイ小説がある! 文系やオタクだけじゃなくてギャルやヤンキーも楽しめる文字文化があるってことは、日本は豊かなんだよね。
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ケータイ小説とは何だったのか。当時僕もずっと気になってはいたが結局素通りしていた、が何かその存在が気になりつづけたそれが生まれた背景について社会的側面を交えつつ説明している。あの、独特な雰囲気を持っていたケータイ小説は生まれるべくして生まれ、社会的、文化的に見てもとても面白いよう...
ケータイ小説とは何だったのか。当時僕もずっと気になってはいたが結局素通りしていた、が何かその存在が気になりつづけたそれが生まれた背景について社会的側面を交えつつ説明している。あの、独特な雰囲気を持っていたケータイ小説は生まれるべくして生まれ、社会的、文化的に見てもとても面白いように思う。その存在が。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
"ケータイ小説"と"ヤンキー文化"。一見して時代的にも文化的にもまったくつながりを持たないように見えるふたつの事柄に、実は意外な共通点が。それは浜崎あゆみと地方文化!?そんな非常に興味深い現代批評本。 筆者にとっては上記に上げているものはどれも縁遠い存在だったが、まず驚いたのが浜崎あゆみと安室奈美恵というavexを代表するふたりの歌姫の違いについて。90年代に活躍した安室に対し、00年代に活躍した浜崎。熱心に聴いていない自分のようなリスナーにとっては、それはただのバトンタッチ劇のような安直な印象を持っていたが、ギャル文化を作り上げた安室に対し、その登場によって滅びたと思われていたヤンキー文化の人たちに支持されることになった浜崎。それはただの偶然ではなく、浜崎の持つ過去のエピソードや歌詞の作法、そしてファッションに至るまで、必然的なものだった。浜崎のコンサート会場の駐車場には今日も改造車が並んでいるという。 時を同じくしてポケベル、PHSから携帯電話の登場でイメージキャラクターを務めた浜崎。青春時代に周りは短いスカートのギャル文化の中、ひとり床まで届きそうな長いスカートを通していたというエピソードからもわかる通り、彼女の背景にあるヤンキー文化には、純情や事件性を持つ自分語りを特徴とするポエムがつきものだ。かつての暴走族特攻服の背中にある刺繍や、雑誌『ティーンズロード』などの投稿コーナー、また浜崎あゆみの歌詞にもそれは顕著に見られる。そして地方のヤンキーたちは彼女がイメージキャラクターを務めた携帯電話のサイトに次々とそのポエムを投稿してゆくことになる。それがケータイ小説のはじまりだった。 ケータイ小説はかつてはリアル系とも呼ばれ、冒頭に「この物語は実話に基づき~」という注意書きがされているか否かで、売り上げが10倍から100倍も違ってくるそうだ。ただし、そこに描かれているレイプや妊娠、恋人との死別といったリアルは、決して読者のリアルとは関係なく、ただ「ありそう」ということ。なぜそんな過激な内容を読者が求めたのかが、本書では説明されていなかったが、おそらく都会に比べ退屈だと思っている地方の読者に受けたのだろう。その証拠にケータイ小説は普通の小説と比べ、東京や大阪などの都会よりも、少し離れた地方の方が圧倒的に売れていたそうだ。 2008年に出版された本なので、ケータイ小説ブームも過ぎ去った現在、彼女たちが次に何を心の拠り所にしているのかはわからない。それはケータイゲームかもしれないし、はたまた我々が知り得ない新たな文化なのかもしれない。ただひとつ言えるのは、どんなに元々西洋人のふりをしても拭い去れない恥部のような日本人の本来の特質を、とても素直に代筆したものがケータイ小説でありヤンキー文化なのだろう。だから我々は「低俗だ」と言って馬鹿にする方法でしか、向き合わないようにする術を持たない。しかし日本がグラグラしている今だからこそ、Facebookで偉人の美談をシェアしたり、Twitterで誰かのバカ話をリツイートして、その場限りの現実逃避をするのではなく、彼女たちから学ばなければ、いや、かつての自分と目をそむけずに向き合わなければいけない時が来たのかもしれない。自問自答を続ける浜崎あゆみの歌詞のように。迷子の彼女はどうしたって時代の申し子なのである。
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