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われらの時代 の商品レビュー

3.8

35件のお客様レビュー

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2014/07/15

遅く生まれてしまった世代の苦悩、鬱屈、閉塞感が伝わってくる。 そこから抜け出したいのに抜け出せず絶望する。 兄弟二人は抜け出せそうになったのに結局抜け出せず絶望する。 時代が変わっても同じような苦悩がある気がする。 読んでて気持ちのいい内容じゃないのに、 ページをめくる手が止ま...

遅く生まれてしまった世代の苦悩、鬱屈、閉塞感が伝わってくる。 そこから抜け出したいのに抜け出せず絶望する。 兄弟二人は抜け出せそうになったのに結局抜け出せず絶望する。 時代が変わっても同じような苦悩がある気がする。 読んでて気持ちのいい内容じゃないのに、 ページをめくる手が止まらなかった。 特に後半の展開は圧倒的だった。

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2014/04/30

大江健三郎って下手にノーベル賞取ってしまったから何やかんや言われるけど、初期の作品の衝動というかみずみずしさというのは素晴らしい。これは現在進行形で若者である人間にしか書けないだろうし、個人的な体験に並ぶ傑作だと思う。

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2013/10/27

グロテスクな、性的なイメージが氾濫し凄まじい閉塞感に彩られた一冊。書きたいことがたくさんあって、それを一気に詰め込んだのかなあという印象。ストーリーテリングというよりも、言いたいことがけっこうそのまま書いてあって、物語としての出来はいまいちかもしれないけれど、政治的でグロテスクで...

グロテスクな、性的なイメージが氾濫し凄まじい閉塞感に彩られた一冊。書きたいことがたくさんあって、それを一気に詰め込んだのかなあという印象。ストーリーテリングというよりも、言いたいことがけっこうそのまま書いてあって、物語としての出来はいまいちかもしれないけれど、政治的でグロテスクで性的で、ふつう避けられるような酸鼻なものが詰め込まれていることも含め、この小説全体を支配しているなにやらとんがっていてぐちゃぐちゃな、月並みな言い方をすれば青臭いとも思われるようなものが、わたしはとてもすきです。顔の見えないなにかに必死に抗う、負けそうになる、それでも抗おうとする。分裂症気味な混乱に対する共感はたとえばティム・オブライエンのニュークリアエイジを読んだときのようなかんじ。50年ほど遠く隔たった「われらの時代」を当時意図されたように重ね合わせるのは難しいけれども、というか僭越だけれども、こちらにはこちらで「われらの時代」がありここから感じ取れるものもあるのだとわたしは信じたい。 それにしても、大江がこの小説を書いた年齢は今のわたしの年齢とほぼ重なっていて、もう、なんてことだ。圧倒される。

Posted byブクログ

2013/04/17

死者の奢りや飼育を読んだ時のような震えるほどの感動とか、これこそが魂の救済かもしれないと思う実感とか、そういうものは全くなかった。長編として均整の取れていて主軸もしっかりしていて日本文壇的な作品。でもデビュー時の何が何でも、というようなみずみずしさとか絶望感とかが感じられない。優...

死者の奢りや飼育を読んだ時のような震えるほどの感動とか、これこそが魂の救済かもしれないと思う実感とか、そういうものは全くなかった。長編として均整の取れていて主軸もしっかりしていて日本文壇的な作品。でもデビュー時の何が何でも、というようなみずみずしさとか絶望感とかが感じられない。優れた文学と、性への執着はわたしに古風な日本文壇を思い起こさせて、三島由紀夫のような、そんな。死者の奢りがあまりに心を震わせる素晴らしいものだったので意気込んで読んだところを挫かれた感じ。春樹が周囲は大江健三郎を読んでいたが自分は好んで読むことはなかったみたいなことを言っていたのが、分かる気がする。いき過ぎた執着は気持ちが悪い。結局、何になるんだろう。この優れた、ノーベル賞作家の文学は、何になるんだろう。そんな気持ちがぽっかりと、世代のせいかなあ。

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2013/01/14

大江健三郎(1935-)初期の長編小説、1959年の作。 日常性という倦怠、鬱屈、閉塞、虚無。そこは、無限遠に縁取られた外部無き空虚。溢れているのは、その媒介性によってそれ自体が虚偽の手段であると同時に虚偽そのものになってしまった、言葉。 他者関係が、言葉=媒介という虚偽...

大江健三郎(1935-)初期の長編小説、1959年の作。 日常性という倦怠、鬱屈、閉塞、虚無。そこは、無限遠に縁取られた外部無き空虚。溢れているのは、その媒介性によってそれ自体が虚偽の手段であると同時に虚偽そのものになってしまった、言葉。 他者関係が、言葉=媒介という虚偽によって空転するしかない communication として、内的関係からの疎外でしか在り得ない、公的空間。実名の虚語と匿名の憎悪に塗れ、言葉が記号的虚偽以外では在り得ない、匿名空間。それに囲繞された私的空間に於いて、手足を捥がれた無限小の一点となる。それは、眼球であるか、口の虚空であるか、性器の虚点であるか。ベッドは、涸れかけた羊水のように、身体を縋りつかせて動かさない。部屋は、機能衰弱した子宮だ。そこでは、内向する圧力感覚で精神の呼気が詰まり、内破しそうになる。行為を躊躇い、無為にも悶える、膨れた胎児。 理性による無限の自己対象化――恰も合せ鏡の如き無間地獄――の果てに決して確かな自己像をつかみ得ない俺は、言葉や論理が切り取る断片化された世界になんら真実性を感じられなくなった俺は、自己を/世界を如何にして獲得したらよいのか。ロゴスが捕捉する自己/世界を虚偽として・欺瞞として・俗物的であるとして悉く峻拒せずにはいられない俺は・・。この自己意識の自己関係的機制であるロマン主義的アイロニーは、自己をあらゆる概念的規定「何者である」から超越可能な不定態とするしかない。自己は「何者でも在り得ない」という否定態でしか在り得ない、なぜなら「何者か」としての存在様態は欺瞞そのものである社会によって断片化された全体性の無残な残骸であるしかないから。 永遠に到来することがないと予め承知の上でなお待ち続ける以外にはない「何か」を待ち、待ち過ぎて、揚句にその不在の隣で爛れている――「何か」の不在という、縁の無い大きな穴としてしか表象し得ない、現実に於いて。そう、「待つ」ということ、そこで全てが分かるかのような。 その絶対的孤独の中で、醒めながらなお夢を視ようとする、夢を視るほど醒めていく。そして必然的に、目の前で縋りつけよとばかりに現れる夢は予め紛い物ばかりである。非合理(神秘・狂気・・・ i.e. 忘我)への陶酔・没入・合一か、過去の戦争への郷愁に暮れるか、革命運動へコミットするか、民族ないし国家に自己を同一化するか、性愛へ耽溺するか、資本主義が差し出す悦楽のカタログへの無抵抗か。それらが全て虚構でしか在り得ないことを予め承知の上で・・。爆弾を投げつけるに値するものすら存在しないのだ。全てが、その程度の虚構でしか在り得ないことを予め徹底的に思い知らされている現代という「われらの時代」。 かの自己意識に残された最後の道は、永続的な自己否定/世界否定の疾走か。或いは、自己からの/世界からの失踪。無限小点と化した自己と無限遠の空虚と化した世界との、一瞬間の逆転。世界の空虚に、無限小の自己を、充填、させるのだ。 "おれにとって唯一の《行動》が自殺だ!" 自殺とは、世界否定にって自己の絶対的超越性をそれ自体で明かしてしまう、自由の極点だ。「目的」という欺瞞性の頸木をも逃れている唯一の純粋な行動。不在の痕跡でしかない虚構の世界に於いて唯一可能な行動。しかし、その行動を果たすことすらなく、ただ生きていく・・・のかどうかは、分からない。

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2012/12/15

「快楽の動作をつづけながら形而上学について考えること、精神の機能に熱中すること、それは決して下等なたのしみではないだろう。」

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2012/02/08

「戦争が終わったあと、その当時の人々は無条件に喜んで、戦争なんかもう2度とごめんだと思った」と私は思っていた。 しかしこの本を読んでその考えは間違っていたと思った。 戦中の教育を受けた人間の中には本作の主人公のように「英雄的に死にたい」と思い、平和になった世の中を「人を殺す機会も...

「戦争が終わったあと、その当時の人々は無条件に喜んで、戦争なんかもう2度とごめんだと思った」と私は思っていた。 しかしこの本を読んでその考えは間違っていたと思った。 戦中の教育を受けた人間の中には本作の主人公のように「英雄的に死にたい」と思い、平和になった世の中を「人を殺す機会もない老後までの執行猶予」としてみていた人もいたのかもしれないと気づかされ、愕然とした。「平和=無条件によいもの」という考え方を自分は教育を通して感じていたが、それは一面的なものの見方だったのかもと思った。 果たしてこの作中には希望が感じられないが、この閉塞感は現代ではなお増幅されている気がする。 物語として、この内容を楽しめたかというと、吐き気を感じるような胸の苦しさを感じる。だが、閉塞した現在の自分に、別の視点を与えてくれたこの小説のおかげで、久しぶりに頭が回転し、「考える」事ができたことに感謝したい。

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2012/02/03

この時代は、「おれたち」と言える共同意識があったのだろう。 こんな観念的な自殺を考えて生きられるほどの精神的余裕もあった。 50年後の今、自殺者数は年間3万人を超えるようになって久しい。 それも、誰にも助けを求められない中高年が生活苦で死ぬのが大半だろう。 思想や観念など何もなく...

この時代は、「おれたち」と言える共同意識があったのだろう。 こんな観念的な自殺を考えて生きられるほどの精神的余裕もあった。 50年後の今、自殺者数は年間3万人を超えるようになって久しい。 それも、誰にも助けを求められない中高年が生活苦で死ぬのが大半だろう。 思想や観念など何もなく、「おれたち」なんて意識は欠片もない孤独に晒されて虚ろに死ぬ。 そんな死に方(あるいは生き方)は、今後ますます当たり前になっていく。 そんな時代を生きる僕らの心を、文学にこそ救ってほしい。

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2011/12/11

戦後の若者を描き出している。物語はストレートで分かりやすい。直接的な表現が自分はあまり得意ではなかった。

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2020/12/04

(1967.08.15読了)(1967.08.13購入) 内容紹介 遍在する自殺の機会に見張られながら生きてゆかざるをえない“われらの時代"。若者の性を通して閉塞状況の打破を模索した野心作。 著者 大江 健三郎 1935年 愛媛県生まれ 1959年 東京大学文学部...

(1967.08.15読了)(1967.08.13購入) 内容紹介 遍在する自殺の機会に見張られながら生きてゆかざるをえない“われらの時代"。若者の性を通して閉塞状況の打破を模索した野心作。 著者 大江 健三郎 1935年 愛媛県生まれ 1959年 東京大学文学部フランス文学科卒業 1957年 「奇妙な仕事」で東大五月祭賞受賞 1958年 「飼育」で芥川賞受賞 1964年 『個人的な体験』で新潮社文学賞受賞 1967年 『万延元年のフットボール』で谷崎潤一郎賞受賞 1973年 『洪水はわが魂に及び』で野間文芸賞受賞 1983年 『「雨の木」を聴く女たち』で読売文学賞受賞 1983年 『新しい人よ眼ざめよ』で大仏次郎賞受賞 1984年 「河馬に噛まれる」で川端康成文学賞受賞 1990年 『人生の親戚』で伊藤整文学賞受賞 1994年 ノーベル文学賞受賞

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