幻視のなかの社会民主主義 の商品レビュー
京都大学法学研究科教授(労働政治・福祉国家論)の新川敏光(1956-)による社会党を中心とした、戦後の社会民主主義勢力の政治史。 【構成】 序章 課題と視角 第1章 社会民主主義モデル再訪 第2章 五五年体制下の日本社会党 第1節 社会党の抵抗政党化 第2節 日本社会党のイ...
京都大学法学研究科教授(労働政治・福祉国家論)の新川敏光(1956-)による社会党を中心とした、戦後の社会民主主義勢力の政治史。 【構成】 序章 課題と視角 第1章 社会民主主義モデル再訪 第2章 五五年体制下の日本社会党 第1節 社会党の抵抗政党化 第2節 日本社会党のイデオロギーと組織 第3章 階級政治からみた五五年体制 第1節 階級交叉連合 第2節 IMF-JCと春闘 第3節 民間組織運動の企業主義化 第4節 自民党政権と権力資源動員 第4章 階級的労働運動の盛衰と五五年体制の変容 第1節 国労の左傾化 第2節 国鉄の合理化案 第3節 反マル生闘争 第4節 悲劇の誕生 第5節 五五年体制の変容 第5章 社会党における現実政党化とその陥穽 第1節 社会民主主義への道 第2節 護憲平和主義の見直し 第3節 現実政党化の条件 第4節 現実政党化と権力資源動員 終章 総括と展望 補論 新自由主義を超えて 第1節 新自由主義の時代 第2節 グローバル戦略 第3節 国民国家再編戦略 第4節 多元的国民国家と社会権 1955年体制は議会政治上の政治勢力図のみを指す言葉ではない。 1955年の日本生産性本部の設立を起点とし、総同盟が直接的な階級闘争ではなく生産性向上を掲げた労使協調路線に同意する。 一方で、右派が脱退し、左傾化著しく政治化した総評は対立の立場を堅持する。しかし、総評内の民間労組はそのような非合理的な総評本部の指導方針に異議を唱える。 1955年から1960年の三井三池炭鉱における三井闘争至るまでの期間は、総評の掲げる階級闘争路線が最終的に否定され、生産性向上・企業主義に基づく労使協調路線が選択される過程である。 そして、1960年以降、階級交叉連合を形成して労使協調・生産性向上に邁進する民間企業と鉄鋼労連が主導したIMF-JC中心としたそれに呼応する民間の企業別労組によって、労使双方が高度経済成長の果実を享受することになる。 かたや総評と日本社会党の掲げる「社会民主主義」路線は、なおも階級闘争を求め、自民党・財界に対して真っ向から批判し、それを純化していく。 本書は、日本社会党と総評を中心軸に据えながら、なぜ戦後日本の社会民主主義勢力が、産別連帯や労働側の一本化に失敗したのかを論じる。分析は非常にスマートであり、その点でやや情緒的な原彬久『戦後史のなかの日本社会党』とは対照的である。 結局のところ、教条主義に陥った国労や日本社会党は、彼らが望む望まないに係わらず「抵抗勢力」としての生存を選択してしまったわけである。そして、穏当な民間企業労組や国民からそっぽを向かれ、国政選挙を重ねるごとに社会党の議席は減っていく。 そして、消滅の危機をようやく認識して、現実路線に立ち返った時、当然の帰結として、彼らが必死で守ってきた存在価値もまた消えてしまったのである。 原彬久の前掲書、猪木正徳『経済成長の果実』、久米郁男『労働政治』、中北浩爾『一九五五年体制の成立』当たりと併読するとさらに面白い。
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