ヴィクトリア女王 の商品レビュー
何を正義ととるかは別にして、 選挙法改正等、民主主義のブームの中で 王室やイギリスの尊厳を守るという純粋な使命感をもって政治を陰に陽にコントロールしてきた女帝の強さがよくわかる一冊だった。
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2021.8.14読了。 ヴィクトリア女王の伝記が読みたくて探したところ、本書が出てきたので読んでみた。新書サイズながら、学者が書いた本でさまざまな文献を引用しており、かなり質の高い本であるように感じられた。 内容についてはヴィクトリア女王と王室を中心とした、帝国主義時代のイギリ...
2021.8.14読了。 ヴィクトリア女王の伝記が読みたくて探したところ、本書が出てきたので読んでみた。新書サイズながら、学者が書いた本でさまざまな文献を引用しており、かなり質の高い本であるように感じられた。 内容についてはヴィクトリア女王と王室を中心とした、帝国主義時代のイギリスの政治史、外交史であり、自分の知りたかった女王の人物像についてはあまり書かれていない。 また、バジョットのイギリス憲政論を読む前に本書を読むとイギリス憲政論をよりよく理解できると思う。
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幾多の植民地を擁し、”太陽のの沈まない帝国”と呼ばれた大英帝国。 その時代を経験した人は、様々な問題を抱えながらも、未来を信じる事が出来た良い時代であったと回想する事が多い。 その繁栄の絶頂にあったイギリスの統治者であったのが、ヴィクトリア女王である。 ヴィクトリア女王は、その...
幾多の植民地を擁し、”太陽のの沈まない帝国”と呼ばれた大英帝国。 その時代を経験した人は、様々な問題を抱えながらも、未来を信じる事が出来た良い時代であったと回想する事が多い。 その繁栄の絶頂にあったイギリスの統治者であったのが、ヴィクトリア女王である。 ヴィクトリア女王は、その生涯にわたって日記をつけていたそうだが、本書では、その日記からの抜粋が効果的に挿入され、その時々の女王の生の気持ちが知る事が出来て興味深かった。 18歳で即位してから国内、海外との難しい局面に立ち向かい次第に強く成長していく女王の姿が、当時の様々な情勢を分かりやすく説明しつつ描写されており、非常に良くできた好感が持てる本だと思う。 (その時々のイギリス首相とヴィクトリア女王の関係なども分かりやすく書かれており、とても参考になった)
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19世紀のイギリスに於いて18歳という若さで王の座に即位したヴィクトリア女王の人生を文字通り"誕生"から"死去"まで追った内容となっています。 勿論王位継承権を持っておりいくつもの習い事をこなされて帝王学も学ばれてはいましたが、現代日本の...
19世紀のイギリスに於いて18歳という若さで王の座に即位したヴィクトリア女王の人生を文字通り"誕生"から"死去"まで追った内容となっています。 勿論王位継承権を持っておりいくつもの習い事をこなされて帝王学も学ばれてはいましたが、現代日本の感覚で言ってしまえば女子高生がある日突然天皇になるほどの衝撃であったかと思います。 全体的に写真資料などの添付は最小限に抑えらていますが、その分活字の流れが切られることなく通読できるのが良いです。また多くの参考文献の筆頭として全111巻にも及ぶ王女の日誌も挙げられており、在位中のヴィクトリア女王が政務の傍らでどんなことを思っていたのか追体験できるのが本書の最大の魅力かと思います。 それにしても思えば生後8か月のときに父を亡くしてから戦う女王としての"戦い"は始まっていたのだと思います。大英帝国に君臨した者の視点であるから当然と言えば当然なのですが、死去に至るまでノンストップで波乱に満ちた内容となっており読者に対しても休む暇は与えられません。 更に末尾には"ヴィクトリア女王年譜"が付されており、1819年5月24日の誕生から1901年2月4日の埋葬までを11ページも割いて纏められています。260ページを超える本書の内容が凝縮されており、通読した方やファンの方にとっての"おさらい"として活用できるのも魅力です。 当然ながら政治の世界の出来事でもあるので内閣の結成・総辞職なども頻繁に繰り返され慣れてない方には少々疲れてしまう部分もあるかと思いますが、それでも筆者による文体は優しくて読みやすく読者の次なるステップへの足掛かりとなるパワーを持っている1冊であるかと思います。
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君臨すれども統治せず。存在を許されたからか、まだ必要だと請われたからか。絶対の遥高みから引きずり下ろされた君主の役割とは何だったのか。ヴィクトリア女王の生涯を軸に、渦中のヨーロッパ情勢を概観する。 女王が即位した1837年から1901年のイギリスは、立憲君主制に始まり産業革命、...
君臨すれども統治せず。存在を許されたからか、まだ必要だと請われたからか。絶対の遥高みから引きずり下ろされた君主の役割とは何だったのか。ヴィクトリア女王の生涯を軸に、渦中のヨーロッパ情勢を概観する。 女王が即位した1837年から1901年のイギリスは、立憲君主制に始まり産業革命、自由民主主義、アイルランド飢饉、英領インド帝国の成立、アヘン戦争、義和団事件と国内外を問わない動乱の中にあったが、この大英帝国の拡張期にあって、女王は全く普通の人間だった。 右派と左派の政権の狭間で首相の任命に頭を悩まし、婿入り旦那に先立たれた悲しみから公務を長く放棄し、うだつの上がらない息子の扱いに困り公務から遠ざけ、思い通りにならない他国元首へのイラつきを外相にぶつける。 この時女王にできた仕事とは、勲章の授与、血縁外交、政権の支持、慰問・閲兵、各種式典など。それは国の趨勢を決める実行力の行使ではなく、せいぜいが他者の行動を促す程度の影響力であった。 しかし、弱腰外交に憤懣し、帝国拡張に歓喜し、敵国の戦争に一喜一憂するその姿は、大英帝国は女王の所有物ではなかったとしても、確かに女王は国と一体であった。 イギリスが、いや、大英帝国が最も躍進し、最も嫌われていた時代。その行動の責任が女王一人にに問われることはないが、女王もまた、国の一員であることには変わりない。 女王の人生の禍福は糾える縄の如しであったが、史上の人物の、いや、すべての人の、いや、国の善悪もまた、糾える縄の如し。歴史から学ぼうとするならば、両面を見ることを忘れてはならない。
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ヴィクトリア女王が19世紀イギリスにおいて 政権や外交に対し役割を果たしたかを解説する評伝。 読み物として非常に面白く、読みやすい。 外交に多大な関心を示す一方で、 彼女が「何をしなかったのか」については記載が薄いが、 新書にそこまで求めるのは酷か。 見方によっては明治政府や明...
ヴィクトリア女王が19世紀イギリスにおいて 政権や外交に対し役割を果たしたかを解説する評伝。 読み物として非常に面白く、読みやすい。 外交に多大な関心を示す一方で、 彼女が「何をしなかったのか」については記載が薄いが、 新書にそこまで求めるのは酷か。 見方によっては明治政府や明治天皇と対比して 読むこともでき、示唆に飛んでいる。 幕末、明治期にイギリスがどのような状態にあったのかを 知る意味でもオススメしたい一冊。
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全111冊に及ぶヴィクトリア女王の日記を読み込んでものした労作です。「太陽の沈まない国」として隆盛を極めた大英帝国において、女王の戦いとは何だったのでしょうか。無味乾燥な教科書より、断然面白いですよ!
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大英帝国の黄金時代を象徴する女帝であるヴィクトリア。彼女は、18歳で女王に即位し、81歳で没するまで、実に63年にわたって、イギリスの君主に君臨し、のみならず実質的な統治者であり続けた。女王が特に辣腕をふるったのは、外交である。 戴冠当時のヨーロッパ世界は、ドイツ連邦内でオースト...
大英帝国の黄金時代を象徴する女帝であるヴィクトリア。彼女は、18歳で女王に即位し、81歳で没するまで、実に63年にわたって、イギリスの君主に君臨し、のみならず実質的な統治者であり続けた。女王が特に辣腕をふるったのは、外交である。 戴冠当時のヨーロッパ世界は、ドイツ連邦内でオーストリアの地位が低下し、ウイーン体制そのものが危機に瀕していた。フランス、ロシアは、自国の領土拡大を虎視眈々と狙い、プロイセンは大国へ脱皮する機会を伺っていた。外交交渉は、常に自国の領土拡大を掛けた綱引きの場であった。 そんな中に18歳で放り込まれた女王は、はじめ政府の外交強硬策を批判する立場を取っていたが、いつしか植民地政策を強行に推し進める「戦う女王」に変貌することとなる。 80歳を超えてもなお精力的に公務をこなし続けたヴィクトリア女王の『人生を掛けた戦い』は、一読に値する。
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以前から興味を持っていた人物。 大英帝国の栄光の時代に君主であった女性。 単なる象徴的存在だったのかと思ったらトンでもない、まさしく政治に大きく関与し、舵取りをした女性だと知った。 1901年の20世紀の幕開けの年に81歳で亡くなるまで、64年もの間英国女王であり続け、いまだ...
以前から興味を持っていた人物。 大英帝国の栄光の時代に君主であった女性。 単なる象徴的存在だったのかと思ったらトンでもない、まさしく政治に大きく関与し、舵取りをした女性だと知った。 1901年の20世紀の幕開けの年に81歳で亡くなるまで、64年もの間英国女王であり続け、いまだにこの記録は破られていない。 世界が王政から共和制に変わる過渡期の時代に、古いと片付けるのは簡単だが、王政の良さは確実に存在し、それを見直すのは意味のあることだと思う。 彼女の場合、多くの子供や親戚がヨーロッパ各地に広がっており、「血縁を外交に使う」という手が使えたのが最大のメリット。 現代は政府の外務省が一手に外交を引き受けるが、こういう裏の手が使えることは外交の幅をとても広くしてくれる。 残念ながら、今はこういう手は使えない。 彼女が英国の外交に精力的に係わったというのは、間違いなく英国にとってプラスに働いただろう。 さらに自国のみの象徴ではなく、世界に広がった帝国の象徴として、女王という存在はとても統一するのに重要だった。 さて、今の我が国において、国の柱となる父親あるいは母親の存在はあるだろうか? やはり天皇はその役割を果たせる唯一の人物だろう。 露骨に利用するのはマズイ。 逆に象徴だけにしておくのはモッタイナイ。 だからといって、天皇が政治に口出しするのもアブナイ。 だけれども、明治維新があれだけ成功したのは、明治天皇の存在抜きには考えられない。 次から次に交代する首相の顔を思い出しながら、この国に優れたリーダーが出現しない悲劇を思う。
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19世紀イギリスの繁栄期に64年近くも女王の座にあったヴィクトリア。 「君臨すれども統治せず」という言葉もあったため、政治にはあまり口を出さなかったような印象があるが、実際はそうでもなく、かなり熱心だったという実像を紹介。 女性であり、若くして即位、9人の子だくさんで家庭的なイメ...
19世紀イギリスの繁栄期に64年近くも女王の座にあったヴィクトリア。 「君臨すれども統治せず」という言葉もあったため、政治にはあまり口を出さなかったような印象があるが、実際はそうでもなく、かなり熱心だったという実像を紹介。 女性であり、若くして即位、9人の子だくさんで家庭的なイメージといったあたりから、実際よりも政治的でないと思われている。 王家の跡継ぎがいなくなりそうだった時期の問題から始まり、結婚出産ラッシュ。 しかし早世した子もあって、四男の娘ヴィクトリアしか跡継ぎはいない事態に。 ヴィクトリア自身は伯父にあたる王に気に入られていたが、母親ケント公妃がドイツ人だったために王に信頼されていなかったいきさつも。 首相や大臣達との対立や交流ぶりが具体的に。 メルバーン首相を師と仰いで信頼したが、政権交代で身近な女官も取り替えなければならなくなって、当初はこれを拒否したために揉める。メルバーンは妻子を亡くした後で、父娘のようだったらしい。 ディズレーリやグラッドストン、名前は覚えていたけど、詳しいことはすっかり忘れていたので、また印象が変わりました。 自由主義のグラッドストンとは仲が悪く、ヨーロッパのもめ事に不干渉な態度を無責任と感じたらしい。世間にも不評となって辞めたがまた復帰、長年勤め上げて辞めたときにも冷たい態度だったとか。 女王が拡張政策に熱心だったという一面も。 長女のヴィクトリアがドイツ皇太子を結婚し(後の皇帝フリードリヒ3世)と結婚したため、ドイツとも縁が深かった。 ビスマルクを嫌っていたが、対面したときに互いに印象が変わったという。 ロシアのことはかなり警戒していて、ロシアが帝国であるために、一つランクが低い「女王」というだけでなく張り合える「インド女帝」の称号を望んでいたとも。 (1872年に女帝の称号を得る) 子どもや孫が各国の王家と縁を結んだので、ヨーロッパ一のゴッドマザーになってゆく。 1861年、42歳の時に最愛の夫アルバート公が亡くなってしまう。 その後は、生涯喪服で通したため、政治に関心を失ったと思われてもいる。 実際に10年ほどは国民の前に姿を現さなくなったのだが、離宮で静養していても書類は持ってこさせ、政務には関わっていた。そして、10年ほどだってからは、やはり国民の前に出なければと思うようになったらしい。 黒い服で通したが、子どもの結婚の時には白いベールを付け、在位50年の時には黒いドレスに銀の刺しゅう、60年の時には金の刺しゅうをしたとか。 長男で跡継ぎのバーティには失望していて、30になっても何も実権を与えなかったのは失策だったと批判的に書かれています。 確かにバーティは大学を中退してしまった遊び人ではあったんですね。 自身が喪に服している時期には、バーティに何かさせた方が良かったかもねえ。 1893年には、ロシアの皇太子ニコライ二世がロンドンを訪問。 バーティの次男ジョージ(後のジョージ5世)の結婚式に出るためだった。ニコライとジョージは母親同士がデンマーク王女で姉妹という従兄弟で、そっくりだったという。 翌1894年には、皇帝になったニコライ2世と、女王の孫娘のアリックスが結婚。 後にロシア革命で倒された一家ですね。皇帝の方が格が上なため、結婚式はロシアで行われた。 結婚相手が公国の出だったりすれば、結婚式はイギリスで、ということになる。 面白かったです。 女王は、1901年1月に81歳で死去。 世紀の葬列を夏目漱石が目撃したとか。ちょうど留学していて、下宿の主人の肩に乗ったんだとか。 2007年発行。
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