大和古寺風物誌 の商品レビュー
著者の 聖徳太子への敬慕が伝わってきました。 聖徳太子は伝説的な人物として特に深く考えたことはありませんでしたが、著者を通じて なんだか身近に 感じられました。 奈良の中宮寺に「天寿国曼荼羅(てんじゅこくまんだら)」というものがある。 これは、聖徳太子が薨去された際、その冥福を祈...
著者の 聖徳太子への敬慕が伝わってきました。 聖徳太子は伝説的な人物として特に深く考えたことはありませんでしたが、著者を通じて なんだか身近に 感じられました。 奈良の中宮寺に「天寿国曼荼羅(てんじゅこくまんだら)」というものがある。 これは、聖徳太子が薨去された際、その冥福を祈って妃のひとりと側使えの人達が刺繍で作り上げた曼荼羅だという。これを著者は執念を感じて薄気味悪いと断言している。ちょっと たまげてしまった。 読後、奈良に行きたくなってしまった。 中宮寺の如意輪観音像をぜひとも拝観したいです。
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函館に行ったときに元町教会地区に石碑があったので何者だろう…と思っていた亀井勝一郎さんの本。 奈良好きの自分としては、古典案内としてじっくり読ませていただきました。 終戦直前くらいのエッセイなので、薬師寺は東塔だけだし、法輪寺は古塔がまだあったときだし、自分が知らないちょっと前...
函館に行ったときに元町教会地区に石碑があったので何者だろう…と思っていた亀井勝一郎さんの本。 奈良好きの自分としては、古典案内としてじっくり読ませていただきました。 終戦直前くらいのエッセイなので、薬師寺は東塔だけだし、法輪寺は古塔がまだあったときだし、自分が知らないちょっと前の時代の「古寺巡礼」であり、いろんな意味で興味深かったです。 唐招提寺の柱に感じる思いは今と同じだなぁ…とか。 東大寺の大仏を作った聖武天皇絶賛などは、民間からお妃を迎えて、そのお妃の一族(藤原氏)がやりたい放題特権を行使しまくったことなどを考えると微妙だし、そもそも聖武天皇さん自体がメンタルがヤバそうな方だと思うので 賛同できなかったけれど、この80年でここに書かれた大和の古寺たちがどのように変化していったのか、どのよういに変わらずに存在し続けているのかを考えると、人間というものが苦しくも愛らしく感じる1冊でした。
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天平時代に思いをはせて、血で血を洗う骨肉の戦いの中に求めた平和とは何だったのか。 聖徳太子由来の斑鳩宮、法隆寺から始まり、中宮寺、法輪寺といったマイナーな古寺から、薬師寺、唐招提寺、東大寺をめぐり、新薬師寺に至る。 戦前の文章とは思えない鮮烈さがある。
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言わずと知れた歴史的名著。序盤は文体に慣れるまで苦戦を強いられたが、慣れるとサクサク読めて面白い。僕は古寺巡りの趣味は無いのだが、してみたくなる雰囲気の良さがある。
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最後の章に収められた新薬師寺を読んで、愕然たる思いがした。私が愛すべきあの十二神将がグロテスクだとか、、、あんなにダンスをしそうな可愛い像なのに。
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奈良の古寺の仏像を美術品ではなく信仰の対象ととらえようとしている著者の視点が非常に興味深い。 奈良の古寺めぐりバイブルの著者、和辻哲郎のように、どっぷりと主観に浸った書き方でなく、批評家としての視点の確立と、拝む対象として仏像をとらえようとする姿勢が興味深い一冊。 一方で聖徳...
奈良の古寺の仏像を美術品ではなく信仰の対象ととらえようとしている著者の視点が非常に興味深い。 奈良の古寺めぐりバイブルの著者、和辻哲郎のように、どっぷりと主観に浸った書き方でなく、批評家としての視点の確立と、拝む対象として仏像をとらえようとする姿勢が興味深い一冊。 一方で聖徳太子こと上宮太子や大仏建立に注力した聖武天皇はじめ、当時、仏教導入及び流布に力を注いだ天皇に対する疑いを持たない信仰の厚さを謳いあげるあたりはかなり主観的ではないかと思う。 このあたりは、政治学や経済学の視点から見るとまた異なった意見が出るのではないかと思う。 7世紀前後の日本の政治や天皇を語るには多くの「想像」や「妄想」が入り込む余地があるので、それらを踏まえて読むには非常に面白い一冊。
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文芸評論家である著者がこうした古寺のエッセイ本を書いているとは意外でした。 格調高い典雅な文章に、多少読みづらさも感じますが、美術評論家ではない著者が、一般の観賞眼をもって、言葉を尽くして表現する、その文章力に恐れ入ります。 年に2回、いつも決まったルートで大和の古寺巡りを行って...
文芸評論家である著者がこうした古寺のエッセイ本を書いているとは意外でした。 格調高い典雅な文章に、多少読みづらさも感じますが、美術評論家ではない著者が、一般の観賞眼をもって、言葉を尽くして表現する、その文章力に恐れ入ります。 年に2回、いつも決まったルートで大和の古寺巡りを行っているという著者の並々ならぬ愛情が伝わってきます。 なによりも聖徳太子への尽きぬ思い、そして今なおかろうじて姿をとどめる古寺や古仏への愛をいだきつつも、「博物館は病棟のようだ」「戦時中、仏像を疎開させるという意見には反対だった」などとはっきりした意見が述べられており、仏像を単なる文化財として扱うべきでないとする著者のポリシーが見えます。 博物館を観賞するには知性が必要であるが、信仰の道にはむしろ愚であることが必要だとして、その矛盾に自ら戸惑う知識人の姿が見えます。 目下、宗教の力が薄れてきて、仏像を信仰対象とするよりも美術品として鑑賞する人が多くなった世の中を嘆いているようです。 曖昧な微笑みを浮かべる仏像は謎めいた印象を与え、キリスト教のようにはっきりした意図を見る側に伝えませんが、「仏は一切を忘れさせる力を持っているのに対し、マリア像などは一切を思い出させる力を持っている」とする著者の説明が、言い得て妙。 原罪を常に思い出させようとするキリスト教と、現世の辛さを忘れさせようとする仏教という違いがクリアになりました。 エッセイ調ながら、思索に富んでおり、哲学者の散歩といった印象の作品。 「不変でありながらも崩壊は避けられない」矛盾性を含んだものである、という表現が活きており、読み終えた時には自分も大和の古仏をゆっくりと訪ねたくなっていました。
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寺や仏像についての記述より、天皇についての記述が多いのが時代なのか、単純に勅願寺が多いからなのか。しかし、仏像は美術品ではなく、仏であって、誰かの思いを通して拝するのがあるべき姿だという著者の考え方からすれば、これも当然の事か。本の中で薬師寺が紹介されているが、著者が現在の復興が...
寺や仏像についての記述より、天皇についての記述が多いのが時代なのか、単純に勅願寺が多いからなのか。しかし、仏像は美術品ではなく、仏であって、誰かの思いを通して拝するのがあるべき姿だという著者の考え方からすれば、これも当然の事か。本の中で薬師寺が紹介されているが、著者が現在の復興がなった薬師寺を見たら、どう思うだろうか。
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「古典や古寺を語る人間の口調をみよ。傲慢であるか、感傷的であるか、勿体ぶっているか、わけもなく甘いか。これら一切を自分の心から放下すること、換言すれば古典によって与えらた自己への幻想を根底から打ち破る事、私の心はそういう方へ傾いていったのである。」 このくだりは、最近読んだ内田樹...
「古典や古寺を語る人間の口調をみよ。傲慢であるか、感傷的であるか、勿体ぶっているか、わけもなく甘いか。これら一切を自分の心から放下すること、換言すれば古典によって与えらた自己への幻想を根底から打ち破る事、私の心はそういう方へ傾いていったのである。」 このくだりは、最近読んだ内田樹著の「日本辺境論」に出てくる"虎の衣を借る狐"の意見に通じるものがある。
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昭和12年秋の著者の「初旅の思い出」は法隆寺の百済観音でした。中心は17年の秋で、20年秋の「微笑について」は中宮寺です。 懐かしかったので買っちゃいました。
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