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花さき山 の商品レビュー

4.6

96件のお客様レビュー

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2009/10/04

05-04-20 夫 「この学級通信の”花さき山”ってなんか意味があるんやろうな。クラスのみんながいろいろなところで活躍して、クラスに花を咲かせましょう、っていう感じかな」 妻 「絵本からとったんちゃうの。家に絵本があるよ。」 夫 「え、本当。どこ」 娘 「これやんか」 ...

05-04-20 夫 「この学級通信の”花さき山”ってなんか意味があるんやろうな。クラスのみんながいろいろなところで活躍して、クラスに花を咲かせましょう、っていう感じかな」 妻 「絵本からとったんちゃうの。家に絵本があるよ。」 夫 「え、本当。どこ」 娘 「これやんか」  娘が本棚から絵本を引っぱり出す。  斎藤隆介・作  滝平二郎・絵  岩崎書店  昨日も書きましたが、息子の担任の先生は、毎日のように学級通信をB4版で発行しています。今日で第9号が発行されました。今は、左半分には、学校やクラスでの取組、右半分には、生徒の自己紹介が掲載されています。手書きですが、なかなか味があります。  さて、「花さき山」はこんなお話です。    10歳の女の子が道に迷って、山の中へ入ってしまいました。そこは、いちめん、きれいな花が咲いていました。ヤマンバが女の子に、花が咲いているわけを話します。 「この花は、ふもとの 村の にんげんが、やさいことを ひとつすると ひとつ さく。あや、おまえの あしもとに さいている 赤い花、 それは おまえが きのう さかせた 花だ。」 それは、お祭りで着る服を買ってもらうことを、ぐずっていた妹に譲ったからでした。  ヤマンバは言います。 「この 花さき山 いちめんの 花は、 みんな こうして さいたんだ。つらいのを しんぼうして、じぶんのことより ひとのことを おもって なみだを いっぱい ためて しんぼうすると、その やさしさと、けなげさが、こうして 花になって、さきだすのだ。」  その後、女の子は再び山へ行きましたが、花さき山をみつけることができませんでした。けれども、女の子は、ときどき 「あっ! いま 花さき山で、おらの 花が さいているな」と思うことがありました。  花さき山は、「クラスに思いやりの花をたくさん咲かせよう」「このクラスでよいなかまづくりをさせよう」という、担任の先生の思いがいっぱい詰まった学級通信ではないでしょうか。  頑張れ! 1年3組。

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2009/10/04

「つらいのをしんぼうして、じぶんのことよりひとのことをおもって なみだをいっぱいためてしんぼうすると、そのやさしさと、けなげさが、こうして花になって、さきだすのだ」・・・花を咲かすのは難しいことです。でもええ話だのぅ。

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2009/10/04

子どもがはまりました。毎晩の読んで攻撃にあっています。冒頭部分は覚えました。。。 あまり好きじゃなかったこの本、毎晩読むうちに好きになりました。

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2009/10/04

やさしいことをひとつすると、そのやさしさが美しい花になって咲くという、花さき山のお話。 妹のそよにまつり着を買ってやるために自分はしんぼうした姉あや。うちの「あや」(姉ムスメ)が、いもうとに譲ってやるとき「いまお花が咲いたかな」というのを聞いたとき、思わず抱きしめてしまいました。...

やさしいことをひとつすると、そのやさしさが美しい花になって咲くという、花さき山のお話。 妹のそよにまつり着を買ってやるために自分はしんぼうした姉あや。うちの「あや」(姉ムスメ)が、いもうとに譲ってやるとき「いまお花が咲いたかな」というのを聞いたとき、思わず抱きしめてしまいました。

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2009/10/04

 『モチモチの木』と双璧をなす、日本の絵本の金字塔。    斉藤隆介氏の方言を多用したぬくもりのある文章と、滝平次郎氏の明暗うつくしい木版画。  淡々と、しかし火のようにあついものが心に染みいる。 「つらいのをしんぼうして、  じぶんのことより ひとのことをおもって  なみ...

 『モチモチの木』と双璧をなす、日本の絵本の金字塔。    斉藤隆介氏の方言を多用したぬくもりのある文章と、滝平次郎氏の明暗うつくしい木版画。  淡々と、しかし火のようにあついものが心に染みいる。 「つらいのをしんぼうして、  じぶんのことより ひとのことをおもって  なみだをいっぱいためてしんぼうすると、  そのやさしさと、けなげさが、  こうして花になって、さきだすのだ。」  (本文より)  自己犠牲というものが、常に正しいとは限らないかもしれない。  しかし、他意なく本当に「誰かのために」、自分を投げ出して実行することを、真っ向から否定などできるだろうか。  三浦綾子の『塩狩峠』を読んだときも同じ思いがした。  わたしには、否定ができなかった。  だれかの何かの犠牲の上に自分があると思ったとき、その見えないつながりを否定することはあまりにも悲しい。  そして、自己犠牲の動機のひとつとなるであろう「幸せでいてほしい」という気持ちは、とても自然なもののように思える。  なにかと言えば「個人」が叫ばれるこの時代に、あらためて人とつながりながら生きている自らをかえりみる必要があるのではないかと思う。  

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2009/10/04

小さい頃に絵本市で買ってもらった1冊。画像がないのが残念だけど・・・いい事をすると花がさくという、簡単に言えばそんな感じだが、とっても深く小さい頃何度も何度も読みかえした1冊です。

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