ジャン・アヌイ(Ⅰ) の商品レビュー
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ジャンヌ・ダルクの裁判がはじまり、その場でジャンヌの生涯を演じていく。登場人物はほとんど出ずっぱりのようで、みな裁判を傍聴する”群衆”の一部であるが自身の出番が来るとその役を演じる、という演出。シャルルすらもほとんどは群衆の一部分であり、ただジャンヌの母親だけはずっと舞台の端で編み物をしている。 このように登場人物たちが常に舞台上にいるという演出では、登場人物たちの時間が常に流れているように感じる。スポットライト(もしくは観客の目)が向くのは今まさに舞台の中で役割を演じている役者たちであるが、その場にいる誰しもが同じ時間を共有しそれぞれの人生を生きている。それは舞台という機構を飛び出してこの舞台を見ている観客たちまで伝播するし、観客もまたその場で演じられるジャンヌの人生を傍観するひとりであるという感情を強く抱かせる演出だなあと思う。実際の舞台で見たいなあ…… 劇の終わりにジャンヌは「わたしがジャンヌでなくなったら、わたしになにが残るでしょうか」と疑問を持ち、死ぬことすらないが男の服を脱ぎ捨てて教会の牢獄での生活を拒否してあのジャンヌ・ダルクとしての人生を真っ当することを選択する。 人々は詰めかけ、ジャンヌ・ダルクを磔にして火をくべ、いよいよ処刑となる。しかしそこでシャルルが「まだ戴冠式のシーンを演じていない」と言って舞台上はたちまち様変わりし、登場人物たちはみんなシャルルの戴冠式のシーンを演じる。ここでのシャルルの台詞が印象的である。 > ジャンヌの物語のほんとうの結末は、喜びにあふれている。ジャンヌ・ダルク、それはハッピー・エンドの物語だ! ジャンヌ・ダルクはこの劇の中で〈声〉に告げられて、オルレアンを奪い返し、シャルルに戴冠させることを目的として生きた。そしてジャンヌ・ダルクが自ら火あぶりを選んだことでジャンヌ・ダルクの生涯はその目的を果たしたことで閉じられるのだと解釈できる。 現代のジャンヌ・ダルク評から見るとこの少女の人生は悲劇的に語られたりもするが、この劇の中で描かれるジャンヌ・ダルク自身による強い決断を見るとなんとなく救われるような感覚を得る。ジャンヌ・ダルクは自分で自分を救ったのだろうな。 ジャンヌに関わった誰しもがジャンヌの行く末を見ているが、編み物をしている母親だけはなんというかジャンヌとは無関係でいようとするような、現実から目を逸らすような違和感がある。ジャンヌははじめこそ〈声〉で告げる神に従って行動するが、最後には自身の意思でオルレアンを救ったジャンヌ・ダルクであろうとする。対してジャンヌの母親は父親の振る舞いを”父親の権利”として我慢をし、母親という役割を演じ続ける。ジャンヌは牢獄を抜け出し、ジャンヌの母親は牢獄に留まり続ける。ジャンヌの母親のその行動にどれほどの意思があったのだろうか、と考えるとこの親子はまったく逆の人生を歩む対比の関係なのかもしれないなあ。
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ジャンヌ・ダルクを描いたジャン・アヌイの名作戯曲「ひばり」。ジャンヌの裁判で、その生涯を演じさせるという設定が秀逸である。最初から登場人物全員が舞台に立ち、それぞれがシーンによって呼び出され、あるいは名乗りを上げて参加する。魔女裁判のくだりは日本人にとってはわかりにくく退屈だが、...
ジャンヌ・ダルクを描いたジャン・アヌイの名作戯曲「ひばり」。ジャンヌの裁判で、その生涯を演じさせるという設定が秀逸である。最初から登場人物全員が舞台に立ち、それぞれがシーンによって呼び出され、あるいは名乗りを上げて参加する。魔女裁判のくだりは日本人にとってはわかりにくく退屈だが、いよいよ火あぶりかと思ったら、最後に戴冠式の場面で終わるという構成が素晴らしい。自分らしく生きるとはどういうことか、という現代のテーマが劇を太く貫いている。
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1951年に書かれた戯曲なので、20世紀っぽさを感じます。 日本の初演は1957年浅利慶太演出の劇団四季の舞台みたいです。2007年には蜷川幸雄演出、松たか子主演で上演されたようです。 ジャンヌの生涯そのうち、 [何故単なる羊飼いの少女が領主やら王太子やら教会の偉い人やら戦場の...
1951年に書かれた戯曲なので、20世紀っぽさを感じます。 日本の初演は1957年浅利慶太演出の劇団四季の舞台みたいです。2007年には蜷川幸雄演出、松たか子主演で上演されたようです。 ジャンヌの生涯そのうち、 [何故単なる羊飼いの少女が領主やら王太子やら教会の偉い人やら戦場の指揮官を説得できたのか?] という疑問をたどっています。勿論作者の推測の域を出ていませんが。 ジャンヌ自身がどうしていいかわからず、必死に説得していた事はうかがえます。ただ、このジャンヌ・ダルクは19世紀以前に書かれたものと違って、あざといというかずる賢い印象も拭えません。一国の政治や軍隊を動かしてしまう訳だから、単に純粋なだけでなく、頭も良くて度胸も座っていたのだと思います。なので、ここで描かれているジャンヌ像もなくはないでしょう。 場面は最初から最後まで、ほぼ裁判の様子を描き、ジャンヌの過去を語るシーンで、回想シーンのように当時関わった人達が登場してその様子を実演する…という形式をとっています。なので実際に観劇したら疲れる芝居だろうと思います。読んでいるぶんにはさほど疲れませんが。 そして本書の最も大きなテーマが己の確立。ジャンヌは〈声〉に後押しされ、〈声〉の指示に従っている間は物事がスムーズに運びました。しかし〈声〉が聞こえなくなると、どう行動していいのか迷います。親の言い付けに従っていた子ども、会社の方針に従っていた社員も、一旦枠が外されてしまえば、どうするかを決めるのは自分しかいない。この辺もとても20世紀的だと思いました。
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ジャンヌ・ダルクを描いた戯曲。 一言でいえば、とても俗っぽくて人間臭いジャンヌ・ダルク。 人間として行動し、人間として信念を貫き通す。もっと砕いて言えばとっても頑固。 そういった、ある意味「聖女らしく」はないジャンヌ自身もなかなか新鮮だし、シャルルとのやりとり裁判での司祭や異...
ジャンヌ・ダルクを描いた戯曲。 一言でいえば、とても俗っぽくて人間臭いジャンヌ・ダルク。 人間として行動し、人間として信念を貫き通す。もっと砕いて言えばとっても頑固。 そういった、ある意味「聖女らしく」はないジャンヌ自身もなかなか新鮮だし、シャルルとのやりとり裁判での司祭や異端審問官との応酬もテンポよく、読ませる。 多分舞台で見たら、とっても面白い。 訳者はあえて俗っぽい翻訳を試みたと書いているが、その翻訳も個人的に成功しているように思う。読んで損はしない、佳作。
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