ぼけてもいいよ の商品レビュー
文句なしの星5だった。福岡にある老人介護施設のドキュメンタリー・エッセイ。著者は介護士を兼業するプロのライターなのだろうかと思うくらい、描写される出来事は味わい深いし、文章のセンスも良かった。大きく印刷された利用者さんたちのモノクロ写真も良い。 「宅老所よりあい」については衝撃...
文句なしの星5だった。福岡にある老人介護施設のドキュメンタリー・エッセイ。著者は介護士を兼業するプロのライターなのだろうかと思うくらい、描写される出来事は味わい深いし、文章のセンスも良かった。大きく印刷された利用者さんたちのモノクロ写真も良い。 「宅老所よりあい」については衝撃的面白雑誌『へろへろ』で知っていたので、そこに出てきた人が書いている本なのかと、暇つぶし程度に読み始めたら、こっちはこっちで衝撃の味わい深さではないか。「よりあい」には奇跡しか起きないのか。 生老病死は人の定めであり、人間だれしも、生まれた以上は必ず老いてゆく。今がどんなにぴちぴちのイケイケでも、どんなに美容やアンチエイジングにお金をかけても、ジムに通って筋肉を育ててポジティブ思考を身につけて、なんならメタバースに自分の思考パターンやデータを保有させたAI人格を作れる未来が来たとしても、全員たどり着くのは「しわしわ」の「ヘロヘロ」。 なのに、今の世の中、老い衰えて他人の世話になるのが悪であるかのような風潮が強い。赤ん坊のオムツ替えは微笑ましいのに、老人のそれは重苦しくとらえられ、どうかすると社会の周縁に追いやられている。考えてみれば不思議だ。成長と同じく、老衰も生の必然なのに。 本書に、よろけたお爺さんに介護士が大丈夫ですかとあわてたら「大丈夫、単なる老衰です」と返ってくるエピソードがある。これがいい。老衰は不幸な事故でも病気でもなく、ましてや努力のおよばぬ敗北でもなくて、単なる自然現象だった。そうしたことを教えてくれるのは知識やデータではなくて、目の前に生きて存在して、時には面倒をかけまくってくれるご老人たちなのだ。 もちろん老衰で「ぼけ」のある人と暮らす過酷さも本書から伝わってきた。それでも、過酷なだけではない生の豊かさがあった。彼らを排除すると「自然な老い」の実感も、その先にある「自然な死」の存在も受容も、社会から失われてしまう。今多くの人がアンチエイジングに追い立てられている理由もそこにあるのではなかろうか。「可愛いおばあちゃん」とか「生涯現役」「ピンピンコロリ」でしか許されない「効率の良い」老いなんてものは不自然な幻想でしかないし、めぐりめぐって現役世代も不幸にしている。 老いの否定とは生きる事そのものの否定だという認識を新たにしてくれる本であった。歳をとるのが恐ろしい人たちほど本書を読むと心癒されるだろうと思う。老いてもいいよ、ぼけてもいいよ、そんな風に言われたり言ったりする世の中になってほしい。それこそが本当の豊かさだ。
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「へろへろ」を読んで村瀬さんのことを知り、ぜひ著書を読んでみたいと思い図書館で借りましたが、ちゃんと買って家に一冊置いておくべき本だと思った。 印象に残ったこと、ためになったこと、(考えたこと)などを以下箇条書きにします。 ・入所して安心感を得るということは、心配して来てくれ...
「へろへろ」を読んで村瀬さんのことを知り、ぜひ著書を読んでみたいと思い図書館で借りましたが、ちゃんと買って家に一冊置いておくべき本だと思った。 印象に残ったこと、ためになったこと、(考えたこと)などを以下箇条書きにします。 ・入所して安心感を得るということは、心配して来てくれる人を失うということ。 ・施設でのプログラムが組まれていると、それを予定通り行うことが職員の仕事となり、職員がそれを消化することに専念をすることになる。すると主役であるお年寄りは隅に追いやられる。 ・記憶を取り戻すお手伝いはできないが、その人の習慣を尊重することはできる。 ・機嫌良く笑顔で自宅に帰ることが大事。家族も笑顔で迎えられる。帰宅時の送迎は大変気をつかうもの。帰宅時に機嫌が悪くなれば全て台無しになる。 (家族は疲れきっていても、笑顔で楽しそうに帰宅してくれたらそれだけでその時は気持ちが晴れるだろう。それが在宅介護で何より大事なことかも。ただの送迎業務と思っていたことを反省。) ・ものを投げる人がいたら、投げるのを阻止するのではなく、投げたらうまくキャッチするようにすればいい。いかにキャッチできるかで盛り上がったりできる。 ・何も話さない何もできないただそこに座っているだけ。それだけの人。だけどその存在が周りを動かしている。 ↑特に一番最後のところが一番ハッとした。
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