小僧の神様・城の崎にて の商品レビュー
小説の神様の短編集。…
小説の神様の短編集。目の前に情景が浮かび上がるような描写が見事です。
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感動的なお話なんて、…
感動的なお話なんて、幾らだって作れるさ、と「小僧の神様」のラストで著者は高笑い。ウブな読み手の顔を赤らめさせる傑作です。
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「城の崎にて」が良か…
「城の崎にて」が良かった。少し、生と死について考えさせられた。寂しい感じというか…もやっとした感じになる。
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志賀直哉著『小僧の神様 ; 城の崎にて 67刷改版(新潮文庫)』(新潮社) 1968.7発行 2005.4改版発行 2020.9.18読了 志賀直哉の中期の作品を収める。初期作品と比べて、憤懣をぶちまけて行動するような出来事は起こらない。妻を娶り、円熟した志賀直哉がそのまま作...
志賀直哉著『小僧の神様 ; 城の崎にて 67刷改版(新潮文庫)』(新潮社) 1968.7発行 2005.4改版発行 2020.9.18読了 志賀直哉の中期の作品を収める。初期作品と比べて、憤懣をぶちまけて行動するような出来事は起こらない。妻を娶り、円熟した志賀直哉がそのまま作品に反映されているようだ。特にスペイン風邪が猖獗を極めていた頃に執筆された「流行感冒」は色々と示唆に富む。嘘が嘘で止まって実害がないときあえて事を荒立てないというのは、人間の自然な感情の発露を尊重する考え方だろう。私たちは思うようにならない感情によって、時に嘘をつくこともあれば、人に親切になったりもするものだ。 運命と智恵がはっきり衝突しあうのは、「些事」「山科の記憶」「痴情」「晩秋」である。そこには「好人物の夫婦」のような身体的震えは見られない。なぜなら、夫は謂わばその道のプロにぞっこん惚れていたのであり、妻も明らかな痴情だと認識していたからだろう。夫は妻に気圧されて一時的に女と別れるが、けっきょく妻が折れて、夫は自身の執着が自然と落ち着くまで女と会い続ける。自己本位の極みだが、かえって夫婦仲は結び付きを深くした。志賀直哉の根本はエゴであり、エゴをいかに貫くかが彼の生き方だった。有島武郎のように恋愛沙汰で死のうだなんて、彼には笑止千万だったに違いない。 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282273336665216
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どの話も男の仕草がところどころメロくて溶けそうになった。こりゃ女泣かせですわ 人間のふとした仕草の表現に色気あるなと思った。 とくに山科の記憶「妻は頭から被った掻巻の襟から、泣いたあとの片眼だけを出し、彼を睨んでいた。それは口惜しい笑いを含んだ眼だった。」の一文。場面が鮮明に浮か...
どの話も男の仕草がところどころメロくて溶けそうになった。こりゃ女泣かせですわ 人間のふとした仕草の表現に色気あるなと思った。 とくに山科の記憶「妻は頭から被った掻巻の襟から、泣いたあとの片眼だけを出し、彼を睨んでいた。それは口惜しい笑いを含んだ眼だった。」の一文。場面が鮮明に浮かぶ。怒りと憎しみの感情でいっぱいな姿も想像できる。そしてその姿がなぜか綺麗で色気を感じて、その一瞬男と共鳴した感じした。
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昔読んだが、ふと思い出して読み直してみた。 『城の崎にて』 死ぬことと生きることは表裏一体であり、死ぬか生きるかはただ「偶然」なのだと志賀は記している。 文章に形容詞が多く散りばめられており、「静か」はプラスの感情、「淋しい」はマイナスの感情として主に書かれている。とにかくその...
昔読んだが、ふと思い出して読み直してみた。 『城の崎にて』 死ぬことと生きることは表裏一体であり、死ぬか生きるかはただ「偶然」なのだと志賀は記している。 文章に形容詞が多く散りばめられており、「静か」はプラスの感情、「淋しい」はマイナスの感情として主に書かれている。とにかくその言葉が沢山出てくるので、その当時の志賀の気持ちの流れがよく分かる。人間は毎日生活の中でそういう「偶然」に気持ちを左右されている気がする。 短編ではあるがとても考えさせられる小説であり、志賀直哉の日記と照らし合わせて読むとより面白いなと思った。 またふと思い出したら読もうと思う。
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すごく短いが、その中にこの世界の真実がギュッと詰まっている、そんな作品。 城の崎にてを読みたくて買った。 生と死は全く別のもののように見えて、実は表裏一体であり、死という存在は常にすぐ横にある。 特別な存在ではなく、自分に寄り添うもの。そういう考え方を学ぶことができる一作だった。...
すごく短いが、その中にこの世界の真実がギュッと詰まっている、そんな作品。 城の崎にてを読みたくて買った。 生と死は全く別のもののように見えて、実は表裏一体であり、死という存在は常にすぐ横にある。 特別な存在ではなく、自分に寄り添うもの。そういう考え方を学ぶことができる一作だった。 葉隠にもつながる素晴らしい作品。
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短編集やったんや。昔の小説はあれやねえ。落ちがない。文章に味わいはあるけど、ぶつ切りや。昔はこれでも良かったんや。ま、無理矢理最後にまとめしても、白々しいこともあるからそれでもええやんな。現実の人生もそんなもんやし。 で、僕は「城の崎にて」ってこんな小説やろうなぁって読む前から勝...
短編集やったんや。昔の小説はあれやねえ。落ちがない。文章に味わいはあるけど、ぶつ切りや。昔はこれでも良かったんや。ま、無理矢理最後にまとめしても、白々しいこともあるからそれでもええやんな。現実の人生もそんなもんやし。 で、僕は「城の崎にて」ってこんな小説やろうなぁって読む前から勝手に想像してた。 主人公は城崎温泉で小説を書くつもりできたけれど、そこの芸者と仲良ようなったところへ、作家仲間の友人が押しかけてきて文壇の話しで盛り上がるが、実は金の無心に来てたわけで、芸者との仲を細君にばらされるのが嫌で、高額な万年筆を質屋にいれて金を貸したりなんかして無為な温泉地での出来事なんかが書かれてる小説やろうと勝手に思ってた。 ところがや、「温泉」という単語も一回しか出てけえへんし、友人も芸者も文学の話も出てけえへんかった。 なんと主人公は電車に跳ね飛ばされて怪我をしたので養生に城崎温泉にきたと。はあ?電車に跳ね飛ばされた!?よう生きとったな。 そこで二階の部屋から外を眺めてたら、下の屋根の隙間から蜂が出はいりしてて、一匹蜂が死んだ。でも他の蜂は死んだ蜂のことなど気にもせずせっせせっせと働いてるとか、散歩に出かけたら橋の上や河岸で人がたむろしてるので何かと覗いたら、頭から喉にかけて魚串が刺さったネズミが必死に泳いでて、そのネズミに向かって子供や車夫たちが石を投げて騒いでいたとか、またずんずん先に散歩していくと、半畳ほどの石の上にイモリがいたので、脅かしてやろうと手毬ほどの石を投げたら、イモリに当たってしもうてイモリが死んだとか。 というお話で、ま、電車に跳ねられても生きとった自分と蜂やネズミやイモリを重ね合わせて、生きてることも死んでることもそない変わらんなあちゅうことを描きはったんかな、志賀直哉は。 しかし、後半は自分の浮気癖を題材につらつら書いている。昔はこんな理屈も通ったんやと羨ましい限り。いやいや、これは女性を蔑視しているとしか思えない。あかんなぁ、志賀直哉は。反省せんかい。
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日本語を読む喜びを実感するなら志賀直哉が一番いい。 立ち止まって景色を眺めるような美しさ。 生き急ぐ必要のないことを実感する。
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なるほど明瞭。生き生きとした風景の描写。また、生と死についての心の動きを詳細に描いていてこれが心境小説なのかなと。
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