津軽 の商品レビュー
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すっごくよかった。 太宰治の作品を読むのは、国語の教科書以外で初めてだった。 著者紹介のところに自殺したことを書くのがもったいないくらい、『津軽』の文章はおもしろかった。 「食べ物には淡白であれ」という決意を蟹と酒の前ではあっさり覆したり、子どもの頃の友人に会って、少年の心が残っていることを喜んだり… とても親しみを持った。 と思えば、納得させられるような考え方や「雪で洗われた」ような桜の花などの描写が素敵で、とても楽しかった。 解説でもあったけど、太宰は人を笑わせるのが好きだったそうで、それがこの文章に表れてるんだなあと思った。 以下印象に残ったこと 日本の風景は、人に見られすぎて人臭い感じがするけど、ここはそういう感じが全くしない…という文 「飲食に於いては何の関心も無かった筈の、愛情と真理の使徒も、話ここに到って、はしなくも生来の貪婪性の一端を暴露しちゃった」 「大人というのものは侘しいものだ。愛し合っていても、用心して、他人行儀を守らなければならぬ。なぜ、用心深くしなければならぬのだろう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて、赤恥をかいた事が多すぎたからである。人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である」 「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」
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ひさしぶりの太宰治 ひさしぶりに読んで読みやすさにおどろいた 微妙な空気感を感じられるおもしろさがある
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津軽平野から見た津軽富士(岩木山)を美女に例え、銀杏の葉をさかさに立てたように。。などと表現している津軽の情景が美しい。 父の生まれた木造村を訪れその思いを馳せたり「高山帰り」の話題の際、兄はいつも孤独であると記述したりするなど、大地主の六男として生まれ育ち30歳を超え子を持つ身...
津軽平野から見た津軽富士(岩木山)を美女に例え、銀杏の葉をさかさに立てたように。。などと表現している津軽の情景が美しい。 父の生まれた木造村を訪れその思いを馳せたり「高山帰り」の話題の際、兄はいつも孤独であると記述したりするなど、大地主の六男として生まれ育ち30歳を超え子を持つ身となった太宰治が、その近寄り難い存在であった父や長兄にやっと向き合える様になったのだろうと感じた。 乳母のたけを訪ねる事を旅の最後に定め、会えるまでの葛藤をする姿がなんとも言えずいじらしい。そして、「きょうだい中で、私ひとり、粗野で、がらっぱちのところがあるのは、この悲しい育ての親の影響だったという事に気附いた」事で今まで太宰治が抱いてきたわだかまりの様なものが晴れ、救われた思いがしたのではないかと言う印象を受けました。 太宰作品を読む上で、その本質を知り理解を深めるために読んでおくべき本であると思います。
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太宰の故郷である青森県の津軽半島を旅して回る物語。津軽の人々の温かさ、太宰治の人間味、そしてたまに感じる哀愁。水のゆらめきに似た機微のある平穏さを与えてくれる作品です。
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青空文庫でたまに読む。 太宰作品の中で一番好き。 彼のエッセイ的な気安い描写が楽しめる。 もう一度文庫を片手に当地を歩いて回りたいが、 過去に実際に津軽を旅できたのは幸せだった。 本州の袋小路というものは、まったく彼の書いたその通りであった。
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人のつながりを軸に、昭和の津軽を描いた風土記であり、太宰が自らのルーツを確認する私小説。 現代に生きる私の個性、ともすれば現代では没個性かとも思われる人格上のニヒリズムやナルシシズムを簡単に告白してしまうのは相変わらず。ただ、いつもは見えてこない、おそらく意図的に記述を避けられて...
人のつながりを軸に、昭和の津軽を描いた風土記であり、太宰が自らのルーツを確認する私小説。 現代に生きる私の個性、ともすれば現代では没個性かとも思われる人格上のニヒリズムやナルシシズムを簡単に告白してしまうのは相変わらず。ただ、いつもは見えてこない、おそらく意図的に記述を避けられている部分、太宰の人への執着や素直さが垣間見えて、面白かった。 私も青森が好きだ。港町というのもあるし、太宰が言うように、旅行者に不親切で、そこが逆に構われていない感じがして心地いい。 ただ、それもあくまで現代の、それも既に観光地化した「風景」を見ての感想である。ここでもまた、当時の津軽が生きる姿に思いを馳せるばかりだ。
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太宰作品を大して知らないので深い考察等はできないが、現代に比べてまだまだ前時代的とされていた津軽の様子が見てとれた。太宰の郷土愛をひしひしと感じられる。
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やっぱり太宰はいいですね。これは太宰が地元津軽を紹介しているような特にひねりのない単純で平和な話ですが、見栄っ張りだったり、他人にしっとしちゃったりする自分の悪い癖やダサいところなんかも書いちゃえるのが素敵ですし共感しました。有名なセリフですが、大人とは、裏切られた青年の姿である...
やっぱり太宰はいいですね。これは太宰が地元津軽を紹介しているような特にひねりのない単純で平和な話ですが、見栄っ張りだったり、他人にしっとしちゃったりする自分の悪い癖やダサいところなんかも書いちゃえるのが素敵ですし共感しました。有名なセリフですが、大人とは、裏切られた青年の姿であるというのが、最近友人に裏切られた(と、私は感じている)私に響きました。全体的にはほっこりするし太宰という人をより知れるゆったりしたお話です。
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太宰本人の郷土旅行記。 ストーリーがあるわけではないので、太宰治という人間、あるいは青森の地理・歴史に興味がなければ、あまりおもしろいくはないかもしれない。 が、終盤、乳母の「たけ」の名が登場するあたりから急激に引き込まれる。 最終的に、たけに自分のルーツを発見する。 温かい気持ちが湧いてくた。 僕もこんな旅にあこがれる。 と言っても、結婚後は故郷の近くに居を構えたので望郷の念すらわかないのだが。
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太宰治というと「人間失格」を高校の国語で読み、その後「斜陽」なんかも読んだことはあるが、私の中では暗い、女々しい、キザな人という印象であった。 だが、この「津軽」は解説にもあるよう、太宰作品の中では、特異な位置を占め、明るさとユーモアに満ち、彼の本質を表している作品のようであ...
太宰治というと「人間失格」を高校の国語で読み、その後「斜陽」なんかも読んだことはあるが、私の中では暗い、女々しい、キザな人という印象であった。 だが、この「津軽」は解説にもあるよう、太宰作品の中では、特異な位置を占め、明るさとユーモアに満ち、彼の本質を表している作品のようである。 ある出版社の依頼で太宰の生まれ故郷の津軽風土記を書くため、三週間、帰郷した時のことを書いたものである。 序編で「おのれの肉親を語ることが困難至難の業であると同様に、故郷の核心を語ることも容易に出来る業ではない。ほめていいのか、けなしていいのか、わからない」と書いているように、太宰は自分自身の核心である故郷、津軽のことを肉親を紹介するように恥ずかしがりながらも、愛に溢れた文で綴っている。 故郷でSさんという人のお宅に招待されて、お邪魔した時、入るやいなや、怒涛のように酒や食べ物を勧められ、面食らったエピソードがあるが、 「その日のSさんの招待こそ、津軽人の愛情の表現なのである。」と書いている。太宰自身も遠方よりお客さんが来たときには、どうしたら良いかわからず到れりつくせりの心づかいをして、お客さんに閉口されるだけの結果になることもあるという。普段ははにかみ屋で神経質なのに、お客さんに対しては不器用に精一杯もてなそうとするのが生粋の津軽人である、と太宰の本質、ルーツについて打ち明けている。 津軽滞在中は、太宰の実家でお金持ちの津島家に昔仕えていたT君、学生時代唯一仲の良かったN君達と心置きなく過ごすのだが、みんなが太宰の前で無遠慮に他の作家のことばかり褒めるので、太宰もついつい本音を吐く。 「僕の作品なんかは、滅茶苦茶だけど、しかし僕は、大望を抱いているんだ。その大望が重すぎて、よろめいているのが僕の現在のこの姿だ。君たちには、だらしのない無知な薄汚い姿に見えるだろうが、しかし僕は本当の気品と言うものを知っている。松葉の形の干菓子を出したり、青磁の壺に水仙を投げ入れて見せたって、僕はちっともそれを上品だとは思わない。…」 心許せる故郷の友の前でこんな本音を吐く太宰を「かわいいではないか」と思ってしまった。 しかし、実家では片身が狭いようである。実家津島家は名家で、お金持ちで、若くして父親が亡くなったあとは長兄が跡をつぎ、父親がそうであったように、長兄にも近寄り難い。解説では、太宰の暗い憂鬱の翳は、旧家の鬱で、自分の「家」から、自分の運命からいかにして逃亡するかという、抵抗と傷跡が、彼の文学に一筋の道として通っていると書かれている。実家での団欒の中で、明るさを添えているのは、血の繋がった兄弟よりも、津島家に仕える爺やである。 最後に太宰が何十年来、最も会いたかった人に会いにいく。それは子供の頃、太宰の母親に代わって彼を教育してくれた女中のたけである。このシーン、ウルウルきた。まさか、太宰治の本で、涙が出るとは思わなかった。 関西人の私からみれば外国のような津軽の人について、太宰治のルーツについて、太宰治の特異な家庭環境とそれが彼の人間形成に与えた影響について、彼自身の言葉で解説されている貴重な作品であった。
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