名人 の商品レビュー

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27件のお客様レビュー

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2011/05/24

最後の世襲制名人、本因坊秀哉の引退碁を描いた川端康成の作品。碁好きで知られる川端が、東京日日新聞で観戦記を書いた後にまとめたもの。秀哉名人の人となりはもちろん、引退碁の相手となった大竹七段(木谷實)の性質や、戦前の囲碁を取り巻く環境などがよくわかる作品。

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2010/01/15

囲碁がまだ芸術だった時代の最後の名人の引退試合を追った短編小説 囲碁は本来、名人が見ていたもので間違いないのだろう。 それは芸術であり、神聖なものなのである。

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2009/11/22

 本因坊秀哉名人と、木谷実七段との引退碁を取材したノンフィクション。囲碁観戦記だが、その微に入り祭に穿った描写はさすが。名人が死ぬ二日前、夕食を一緒にと強く勧められて振り切って帰ったことが、実は川端さん、相当心にあったんじゃないかな。それがこの本の出来に寄与している部分もあるので...

 本因坊秀哉名人と、木谷実七段との引退碁を取材したノンフィクション。囲碁観戦記だが、その微に入り祭に穿った描写はさすが。名人が死ぬ二日前、夕食を一緒にと強く勧められて振り切って帰ったことが、実は川端さん、相当心にあったんじゃないかな。それがこの本の出来に寄与している部分もあるのでは。  構成もおもしろい。冒頭に名人の死んだ時の話から引退碁の観戦記者をした話。そこから引退碁の最後の場面で名人が五目で負けた瞬間の記述。大竹七段の人となり、家族のことなどの説明。  次に打ち初め式からうち次がれる間のいざこざ。死に顔の写真を撮る話。そこから打ち初め式に戻り、名人の一本だけ長いまゆ毛の話。観戦記が順番に続く。最後に亡くなる直前の最後の逢瀬の描写が切ない。

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2009/10/04

囲碁最高位、本因坊名人の引退碁。 持ち時間40時間。打ち掛け14度。半年に及ぶ、世紀の一局を川端康成が観戦記者として描いた作品。 両者へのインタビューは無い、ひたすら第三者の川端の視点から描かれた。 インタビューを用い、競技者の心境を描くことが第一と考えられている現代。 作者の...

囲碁最高位、本因坊名人の引退碁。 持ち時間40時間。打ち掛け14度。半年に及ぶ、世紀の一局を川端康成が観戦記者として描いた作品。 両者へのインタビューは無い、ひたすら第三者の川端の視点から描かれた。 インタビューを用い、競技者の心境を描くことが第一と考えられている現代。 作者の場面場面を切り取った描写の連続は、「本」というより写真展にいるかのよう。 こういうノンフィクションの描き方もあるのだなと感じさせられる。 ○名人引退碁…名人の病気、衝突する現代と前近代、紛糾するルール、敗着。 1つのノンフィクション・ドラマとして。 ○場面場面を目に浮かぶように切り取る筆者の描写。 ○囲碁を「芸術」とする名人。と「ゲーム」「競技」として勝負に拘る挑戦者 前近代と現代のぶつかり合い、時代の移り変わり 囲碁。歴史モノ、ノンフィクション、人間ドラマ…どのジャンルとして見ても引きずり込まれます。 ☆☆☆☆。

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2009/10/04

平成20年12月12日購入 そんな打ち方をしていた時代があったのか、 などと感心しつつ 面白く読んだ。 できれば観戦記も加えて一冊にしてほしかったが なんにしても囲碁にある程度興味のある人なら かなり面白く読めると思う。

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2020/07/15

昭和13年、本因坊秀哉名人の引退碁となった対局がおこなわれた時、川端康成は観戦記者としてその場に居合わせていた。この「名人」は、その時の様子を描いたドキュメンタリーだ。 名人は、この対局の時、体を病んでおり、そのために試合は度々中断され、たった一局の勝敗がつくまでに、なんと半年も...

昭和13年、本因坊秀哉名人の引退碁となった対局がおこなわれた時、川端康成は観戦記者としてその場に居合わせていた。この「名人」は、その時の様子を描いたドキュメンタリーだ。 名人は、この対局の時、体を病んでおり、そのために試合は度々中断され、たった一局の勝敗がつくまでに、なんと半年もの期間を費やした。一人の持ち時間が40時間というから、これほど気の長い試合も珍しい。現代では、ここまで長時間の対局というのはあり得ないだろうが、当時は、時代的にも今よりのんびりした風があったのだろう。 この作品の中では、碁そのものの内容についてはほとんど触れられておらず、徹底して、対戦中の二人の対局者の心情と、その、半年にも及ぶ長い対戦の舞台裏についての描写に終始している。白(名人)の130手目に、勝敗を分かつ大きな意味を持つ手があり、この一手をめぐる解説では、そこに隠されたドラマが語られていて、真剣勝負の世界のシビアさを伝わってきた。 この写真は非現実的にも見えるが、それは一芸に執して、現実の多くを失った人の、悲劇の果ての顔だからでもあろう。殉難の運命の顔を、私は写真にのこしたのであろう。秀哉名人の芸が引退碁で終わったように、名人の生命も終わったようであった。(p.31) 中国で、仙人の遊びとされ、神気がこもるとされ、三百六十有一路に、天地自然や人生の理法をふくむという、その智慧の奥をひらいたのは、日本であった。外国模倣、輸入を、日本の精神が超えたのは、碁に明らかであった。(p.107) 名人はこの碁を芸術作品として作って来た。その感興が高潮して緊迫している時に、これを絵とするなら、いきなり墨を塗られた。碁も黒白お互いの打ち重ねに、創造の意図や構成もあり、音楽のように心の流れや調べもある。いきなり変てこな音が飛びこんだり、二重奏の相手がいきなりとっぴな節で掻きまわしては、ぶちこわしである。碁は相手の見損じや見落としによっても、各局を作るぞこなうことがある。(p.148)

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2009/10/04

古い時代の話ですが、囲碁を取り扱っているという事で興味深く読めました。川端の筆が、思ったより気遣いのある優しい感じです。

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