蒼の風景 の商品レビュー
現実と幻想のあわいを、ためらうことなくすり抜ける。読む者は言葉の軌道に沿ってその瞬間移動のような体験を追従する。頂点からトロッコがすべり落ちるような感覚が頭の奥の方で再現される。言ってみれば、それがこの本の一番の魅力であるかと思う。異空間を自由に行き来する様が描かれること、そのこ...
現実と幻想のあわいを、ためらうことなくすり抜ける。読む者は言葉の軌道に沿ってその瞬間移動のような体験を追従する。頂点からトロッコがすべり落ちるような感覚が頭の奥の方で再現される。言ってみれば、それがこの本の一番の魅力であるかと思う。異空間を自由に行き来する様が描かれること、そのこと自体は不思議と受け入れられる。 しかし一方で受け入れがたく感じている気分も徐々に募ってくる。それが最初は何だかよく解らないのだが、やがて現実の世界の中にある主人公の煮え切らない思いがその拒絶の根にあるものなのだ、と、そう気づいてしまう。すると夢と現の間を行き来する行為が、心の自由さではなく逃避としか映らなくなる。そこに徐々に不満がわく。 現実はもっとどろどろとした理不尽なことで満ちている。その粘性の高い空間を人はなんとか身をねじりながら進んでいかなかければならない。泥は嫌でも身体のあちこちに張りついてくる。それをこすり落とそうとしてもこすり落とす手が既に泥まみれだ。しかしもがく内にどろどろとした空気は粘性を失う。 しかしこの連作短篇(主人公の名前は同一であったり異なっていたりはするけれど)は、そのどろどろした現実の予兆に満ち満ちていながらも、粘性の高いところへ入って行くことはない。するりと別の空間へ移動する。それはひょっとすると別の人格となって現実の辛さを回避する多重人格的なものに似た精神の作用なのかと訝しむ。 しかしそれを心地よく受け止めてしまう精神も人の中には巣食っている。そこをくすぐる何かがこの文章にはある。しかしそれに甘んじてはならない、という声が頭の奥の方から終始聞こえてくる。何かが頭の中で勝手に飽和する。
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