ブッダの瞑想法 の商品レビュー
悟りを開くには… 実践できるか!? ・涅槃に触れるためには「気づき⇒観察⇒洞察」というプロセスが不可欠になりますので、ヴィパッサナー瞑想は「観察の瞑想」もしくは「気づきの瞑想」とも呼ばれてきました。 ・(ラベリング連呼の弊害)同じ言葉を繰り返すのは弊害が多く、純粋な観察の瞑想には...
悟りを開くには… 実践できるか!? ・涅槃に触れるためには「気づき⇒観察⇒洞察」というプロセスが不可欠になりますので、ヴィパッサナー瞑想は「観察の瞑想」もしくは「気づきの瞑想」とも呼ばれてきました。 ・(ラベリング連呼の弊害)同じ言葉を繰り返すのは弊害が多く、純粋な観察の瞑想にはなりません。 ・(立つ瞑想)圧迫感が微妙に変化していきますので、「ピリピリ」「ジンジン」などとラベリングを入れます。このように一点に絞った身体部位から、センセーションを次々と感じ取っていけば身髄観になるのです。
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最近のマイブームイズブッダ。と、妙に語感の良い嗜好もありつつ気になって読んでみた。ヴィパッサナー瞑想とは20世紀の東南アジアで生まれた原始仏教、つまりブッダの悟った方法に根差した瞑想法のようだが、その教えとして慈悲と同じぐらいに合理性を重視しているのが興味深い。瞑想の効果について...
最近のマイブームイズブッダ。と、妙に語感の良い嗜好もありつつ気になって読んでみた。ヴィパッサナー瞑想とは20世紀の東南アジアで生まれた原始仏教、つまりブッダの悟った方法に根差した瞑想法のようだが、その教えとして慈悲と同じぐらいに合理性を重視しているのが興味深い。瞑想の効果についても脳科学の結果に基づいて説明され、心理療法的な効能も理に叶った説明がされている。サティ=気づき=マインドフルネスの考えは仏教という枠を超えて認知されているが、本書を読んでやっとその必要性について納得ができた。すごいぞ、仏教。
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「瞑想法」とは先人の知恵であり、運動が身体の健康に必要なように、精神の健康に必要なツールである。「宗教」「オカルト」と一緒にして食わず嫌いになるのはもったいない。 自分の「締め切り間際にならないと行動に移せない」という問題は「性格」だと思っていた。しかし、それはトラウマが原因であるということが何となく分かってきてはいた。しかし、生きる上でクリティカルではなかったので、病院やカウンセリングなどを受けずにほっておいた。というのも、その対処方法は思いのほか高額だったり、瞑想、アファメーションなどはオカルトだと勝手に思っていたからです。「怖い」という感情でそれを積極的に生活に取り入れるということには思いが至らなかった。 一旦「苦手意識」を持ったことについては、どんどんそれが強化される傾向があるように思える。具体的には、「走るのが苦手」という思い込みがあった。これは、中学生の時に全校生徒で10 kmのランニングをするという行事があるのだが、1回目のチャレンジで後ろから数えたほうが早いような順位になってしまったという経験がある。それ以降、「自分は走るのが苦手」「自分は走るのが苦手」と走る前に思い出すことになってしまった気がする。これでは、自分は走れないという洗脳をしているようなものだ。 ヴィッパサーナ瞑想の自分なりの解釈は、何らかの出来事をきっかけに生じた心や身体の反応について付けてしまったネガティブなラベルを剥がし、新たなポジティブなラベルに張り替えてしまうという行動のことである。適切な例かどうかは分からないが、「見えない幽霊は怖い」という話と一緒で、実際はただ風が吹いて柳が揺れ動いているだけなのに、幽霊の存在を感じて怖がるというのが近いだろう。事実をありのままに感じ、それを言葉に出すことで自分を取り巻く世界の捉え方を変えていくということだ。 また、自分に優しくなるということと、自分以外の他者に優しくなる、良いことをしていくということも大事だと説いている。さらには、自分を特別視せずに謙虚になるためには、トイレの掃除が効果的だとも言っている。ビジネス書などで「できる経営者」の一部は、自分より他者のためになることをするというのを社是に掲げたり、社長になっても職場やトイレの掃除をする、社長室に閉じこもらないで一般社員と同じ場所で仕事をするということが取り上げられることがあるが、根っ子はこの本の実践であるのではなかろうか。 こうやって書き出せば分かることだが「オカルト」では断じていない。証明は不可能かもしれないし、この行動を繰り返すことで必ず幸せになるといおう保証はない。しかし、まぎれもなくこの本に書いてあることは効果があるのだと私は信じる。表面だけを変えるような本が多い中、本書のように自分自身の根本をよりよく変えていくということに気づくことは重要であると思う。
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それまで瞑想といえば「座禅」のイメージしかなかったけど、これを読んで瞑想というものの理解が一気にすすんだ目からウロコの一冊。
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ヴィパッサナー瞑想について具体的、実践的に書かれた本。しかし、瞑想法というのは頭でやり方が分かっても実際にできているのかは指導者がいないと難しそうということも同時に分かりました。
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私はまだまだ、漫然と生きているなぁ、ということを痛感した。 自分で選択しているようで、自分の反応パターンに振り回されている。 しょっちゅう空想や妄想にとらわれている。 そのことに、しっかりと気付けたように思う。 非常に易しい文章で、わかりやすかった。
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ヴィパッサナー瞑想の本は沢山あるけど、日本人である地橋さんが、日本人にわかりやすいように書かれたと言う意味で、貴重である。確かに、難しい箇所もありながら、何とか理解しながら読む事ができた。 理論はわかっても、実践しないと何の意味もない。確かにその通りで、色々と納得する事が多かっ...
ヴィパッサナー瞑想の本は沢山あるけど、日本人である地橋さんが、日本人にわかりやすいように書かれたと言う意味で、貴重である。確かに、難しい箇所もありながら、何とか理解しながら読む事ができた。 理論はわかっても、実践しないと何の意味もない。確かにその通りで、色々と納得する事が多かった。
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般若心経に書いてあったの無色無受想行識を実感するためにする瞑想法と思われた。「無」って言うことを理解するには逆に意識することが必要なのか?
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仏教によれば私たちの人生が苦しいものになってしまうのは、事実をありのままに見ないで、思い込みや自己中心的な妄想で編集した世界を心の中に作りだし、それに対して嫌悪や不安、欲望、執着などの不全なる反応を起こすからだと考えています。妄想を離れて、自分がもつ色眼鏡を外して、自分自身の目で...
仏教によれば私たちの人生が苦しいものになってしまうのは、事実をありのままに見ないで、思い込みや自己中心的な妄想で編集した世界を心の中に作りだし、それに対して嫌悪や不安、欲望、執着などの不全なる反応を起こすからだと考えています。妄想を離れて、自分がもつ色眼鏡を外して、自分自身の目でしっかりと洞察していくことが大切です。 日々の生活、仕事、友人との付き合いなどにも、これは考えられると自分は考えいます。なぜなら、自分自身の思い込みが、方向性を変えていってしまうことが多々あるためです。大切なことは、ものごとの本質をあらゆる側面から見て、否定説にまず受け入れてみること。 相手の視点、のみならず第三者の視点もかりながら、世の中を自分中心ではなく、広い視野でみることで、より充実した人生がおくれると自分は思っています。
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ラオスのお寺がただで泊まれるからって、 言われるがままにやらされていた瞑想法が あんなに今の自分には大切なものだなんて 今頃きがつきました。 なんとなく東南アジアのお坊さんのやさしい笑顔ばかりが思い出されます。
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