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ダルマ の商品レビュー

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2017/02/22
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・しかし、本来清浄の誤解ほど、あぶないカケはない。何の修行も条件としないだけに、本来清浄の確認くらい、困難な修行もないのである。一歩誤れば空見、誤らざれば自然外道である。 ・ダルマの教えの基本となる実践を、壁観とよぶ。壁観とは、“壁が見る”のである。往々にして、壁を観ることと混同されて、ダルマは終日、壁に向かって座禅していたとか、九年面壁したとかいわれる。 誤解は、すでに古く唐代にさかのぼる。『伝灯録』のダルマ伝に、「嵩山少林寺に寓止し、面壁して坐して終日黙然たり、人は之を測るなく、之を壁観バラモンと謂う」とあるのがそれである。昔も今も、ダルマの壁観を測る人はないのである。しかし、壁観は壁を観ることではない。 ダルマは、西域を通って北魏にくる。西域に点在する千仏洞は、ダルマのあしあとにほかならぬ。ダルマの壁観は、石窟寺の壁面を飾る千仏の、仏が仏を見る、仏仏相念のけしきをはなれてはありえない。壁観という言葉は、千仏洞の壁が、流砂を超えて来た胡僧ダルマを見たことからはじまる。「大通方広経」は、ダルマの壁観のよるところであった。 ・慧可とダルマの安心問答(あんじんもんどう)。 わたくしは、心がおちつきません。どうかおちつかせてください。 心をもって来なされ、君をおちつかせてあげよう。 探しても、見つかりません。 わしはもう、君の心をおちつかせてしまった。 ・師、わずかに出ず。祖、召して曰く、大徳。  師、首を回す。祖曰く。これなんぞ。  師すなわち領悟して、礼拝す。祖云く、この鈍漢、礼拝してなにかせん。 無業は、背後に退ろうとする。そのとたん、馬祖が「君」とよぶ。無業は、ふりかえる。「ふりかえったのは何か」、「何がふりかえったのか」、これが、馬祖の直示する「祖師西来、密伝ノ印」であった。無業は、はじめてそのことに気づく。礼拝は、その証拠である。しかし、気づくのは、見失っていたからである。見失わねば、あらためて気づくこともない。「この鈍漢」、血のめぐりの悪い奴、今ごろ気づいて何になるかい、これが馬祖の総括である。気づかせられて気づくこと、そのことを取り払うのである。 ・曇林は、「理入とは安心であり、安心とは壁観である」とする。安心は、先にいう安心問答のように、心に実体がないことを知るに尽きる。 ・悟らぬとき、人は法を追っかける。悟ってみると、法が人を追っかけてくる。悟ってみると、識(意識)が色(対象)をとりこむ。迷うとき、色が識をとりこむ。 色によって、識を生じないのは、色を見ない人とよばれる。 求めることを求めないのは、求めぬことを求めているので、これも君の求めである。 取ることを取らぬのは、取らぬことを取っているので、これも君の取るである。 心に何かほしいものがあるのを、欲界(欲望の立場)とよぶ。 心は、それみずから心ではない、色によって、心を生ずる、これを色界(対象の立場)と呼ぶ。 色はそれみずから色ではない。心によって、はじめて色となる。心にも色にも、ともに色の無いところ、これを無色界(対立のない立場)とよぶ。 ・犬に土の塊りを投げつけると、犬は塊を追っかける。獅子は塊に目もくれず、投げた人に飛びかかる。―大般若経 第569 ・人々は遠い昔から、自己を見失って物と思い、本心を見失って、物に動かされている、みずから物を動かすことができるなら、もうすでに如来である。 (一切衆生、従無始末、迷己為物、失於本心、為物所転、若能転物、即同如来)

Posted byブクログ

2015/09/14

柳田聖山『ダルマ』(講談社、昭和56 ; 人類の知的遺産16) 著者は大正生まれの仏教学者で、大谷大で真宗学を専攻、のち京大教授に。 本書では禅の初祖ダルマについて、その人物と思想に迫っています。 第3部「ダルマの思想」と題する敦煌本「二入四行論長巻...

柳田聖山『ダルマ』(講談社、昭和56 ; 人類の知的遺産16) 著者は大正生まれの仏教学者で、大谷大で真宗学を専攻、のち京大教授に。 本書では禅の初祖ダルマについて、その人物と思想に迫っています。 第3部「ダルマの思想」と題する敦煌本「二入四行論長巻子」の翻訳と解説がメインですが、 ここに至るまでに唐代以前の中国仏教と禅宗の広がり、ダルマの伝記の変遷に言及しており興味深いところです。 (「敦煌本」とは1900年出土の文献群で、伝来の仏教経典との異同が当時の研究課題になっていたとの由です。) 禅の受容の過程で特に興味深いのが中国禅との差異で、室町以降の日本臨済宗、日本曹洞宗は当時の中国の最先端の禅とはかなり異なっていたようです。 明末の混乱を経て日本に逃れた隠元禅師、「臨済正宗」を称するも室町以降の日本臨済宗とはなじまず、 やがて将軍家から黄檗山万福寺を与えられ、独自の教派として黄檗宗を成立させています。 同様にして曹洞宗の心越禅師が渡日するも、同じく道元以来の日本曹洞宗とはなじまず、この黄檗宗へと吸収されていきます。 かくして明末における中国禅の最先端は黄檗宗に結実し、日本禅宗の新たな一分野へ。 他、ダルマの伝記では、初期経典でペルシャ人とされていたダルマが「南天竺の人」と変容していく過程に迫り、初期禅門における権威づけの必要性に迫っています。 【本文より】 ○こうして、『洛陽伽藍記』のいう波斯の胡僧より、ダルマは南天竺の人に変わる。南天竺は、ブッダの正法眼蔵を伝える新大乗の根拠地である。(p.104) ○心は、おちつくも、おちつかないもないのである。探しても見つかりません、心を求むるに不可得とは、たんに心が見つからぬという、絶望の言葉ではなしに、自分の心の本質を言いあてた、自己確認である。(p.108) ○「修行のめあてとして、何を法とすればよろしいか」 「悪をみてもことさら嫌わず、善をみても進めず、愚をすてて賢をとらず、迷いを払って悟りを求めず。大道に達するが、大道には数量がない、仏心に通ずるが、仏心には限度というものがない。凡にも聖にも足あとをのこさず、超然としてあるのを、祖と名づける」(p.112)

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