木曜島の夜会 の商品レビュー
熊野の山から濠州の島に行って出稼ぎをしていた日本人がいたなんて、知らなかった。 また、国を出て働かなくてはならない人々の悲哀を感じた。日本人はどこにいても日本人である、ということ。
Posted by
読んだ目的は、この本の中に入っている短篇の「有隣は悪形にて」。 「木曜島の夜会」は、戦後の木曜島に住む人たちの様子が書かれている。淡々と書かれていて、なんとなく読み終わってしまった。懐古録みたいな部分もあるせいか、全体的にしみじみとしている。戦争をはさんだ時代の話だけど、戦争ら...
読んだ目的は、この本の中に入っている短篇の「有隣は悪形にて」。 「木曜島の夜会」は、戦後の木曜島に住む人たちの様子が書かれている。淡々と書かれていて、なんとなく読み終わってしまった。懐古録みたいな部分もあるせいか、全体的にしみじみとしている。戦争をはさんだ時代の話だけど、戦争らしい場面はあんまりでてこない。戦争をはさんで生きた人たちの生活がちょっと物悲しく、ちょっと寂しく感じた。 「有隣は悪形にて」は、童門冬二著「小説 吉田松陰」を読んでいて登場した人物だから興味があった。「小説 吉田松陰」では、獄中で松陰と出会って出獄後には松陰の松下村塾で講師をした人と書かれていたので、吉田松陰と言う人に感化された人なのかと思っていたのだけど、違った。この話では終始、吉田松陰という人に馴染まぬ人として書かれている。講師をやっている間にも悪口を言うし、一緒に投獄されたくないと考えて逃げるし。感化はされなかったけど、吉田松陰という名と時代に翻弄された人。 「大楽源太郎の生死」。この人は松下村塾の門下生。高杉晋作らと同じく攘夷を行いながら、吉田松陰や高杉晋作をライバル視して生きた人として書かれている。少し、有隣と似ているところがある気がする。有隣は吉田松陰を悪く言いながら、だけど吉田松陰の名から逃げるようにしてかかれていた。ここでの大楽源太郎は、吉田松陰や高杉晋作の悪口を言いながら、自分がその地位に立とうと足掻いて生きていく。似ていると思うのは、自分がそうと思わずに関わってしまった偉大と称される人物に反発し、感化されず、だけどその人たちから離れられないで一生が終わるところ。 有隣も大楽源太郎も「小説 吉田松陰」を読んだときとはまるで印象の違う話だったから、書き手でこんなに違うのかと、そのギャップが面白かった。(2011.02.01)
Posted by
- 1