ナジャ の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
ちょうど先々週に上野のキリコ展に、マルドロールの歌も詠み終わらないまま行って、やっぱりナジャは読まなくてはね(?)となったのでした。キリコからしたら怒るかもしれないけれど。 短くあっという間に読んでしまった笑。 全然ナジャと出会うまでが長いのですが、「私とは誰か?」という文章から始まる本作は、解説と合わせて読むと、とてもしっくりくる。 …要するに私が誰と「つきあっている」かを知りさえすればよい、ということになるはずではないか?…私に生きながら幽霊の役を演じさせる、つまり明らかにそれは、私である誰かとなるために、私がもはやそうであることをやめなければならなかったもの、そのものを暗示するのである。… 解説では…エリュアール、スーポー、ペレ、デスノスといった具合に、ひとりひとり友人を紹介してゆく過程は、この本がシュルレアリスムの共有空間であることを示すとともに、ブルトン自身の「複合的ナルシシスム」を反映してもいるはずだ。…「雙面劇場」という名の通り、そこにブルトン自身の二面性、この書物自体の転身の構造が投影されていること、また太陽の天使(ソル・アンジュ)、唯一の天使(スール・アンジュ)を連想させる女主人公ソランジュの「おちぶれた」ありようのなかに、やがて「身をもちくずす」ナジャの運命が予告されていること… この偶然の一致は私もすごく好きで、大事にしている。本を選ぶ時もこの偶然の導きに従っているところは大いにある。 メリュジーヌ、私も好きになった。 ナジャがファムファタルではなく、守るべき子ども的立ち位置の"妖精"であるというのは、そうなんだという感じ。ナジャのような女性に振り回されるブルトン、典型的なこじらせ男だし、こういうの好きな男性は全然一定層いるよなと思いました。 好きな言葉の抜粋(p.119) 「あたしの呼吸がとまると、それがあなたの呼吸のはじまり。」 「あなたがお望みなら、あたしはあなたにとって何でもないものに、それとも足跡だけのものになるわ。」 「あなたはあたしの主人。あたしはあなたの唇の端で息をついたり息をひきとったりするただの原子。涙にぬれた指先で、静けさに触れてみたい。」 …周知のように非狂気と狂気とのあいだに境界がない以上、私としては、そのどちらかに属している知覚や観念のなかに、それぞれ別個の価値を認める気になれないのだ。どんなに疑う余地のない真実よりも、はるかに意味ぶかく、はるかに重い効力をになう詭弁というものがあるー…私はこの私自身に対して、またはるか遠方からこの私自身と出会いにくる人に対して、いつまでも悲愴なこの叫びを、「そこにいるのは誰か?」という叫びを、投げかけることができたのだ。そこにいるのは誰か?ナジャ、君なのか?彼岸が、彼岸のすべてがこの生のなかにあるというのは本当なのか?私には君の言うことが聞こえない。そこにいるのは誰か?私ひとりなのか?これは、私自身なのか?(p.143-4) 君は私にとってひとつの謎ではない。 私が言うのは、君が私の目を永久に謎からそむけさせるということだ。 君だけが存在する術を知っているのだから、現に君が存在している以上、あるいはこの本が存在することも、さほど必要ではなかったかもしれない。(p.159) 美とは、リヨン駅でたえず息をはずませ、だが決して出発しようとはしない、すでに出発してもいない、と私にわかる汽車のようなものだ。美とは発作的衝撃のつながりから成るものだ。… 美、動的でもなければ静的でもないもの。人間の心、地震計のように美しいもの。沈黙の王権…。美とは痙攣的なものだろう、さもなくば存在しないだろう。(p.162-3) 美は痙攣的なものというのもわかるが、私としては、圧倒的な光の光線で貫かれる体験であって、それが自分の身体を通過した際に残された自身の肉体の痙攣ということで一旦理解しました。笑
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2008年11月23日~23日。 巖谷 国士は翻訳者の名前。作者はアンドレ・ブルトン。 これがシュルレアリスムなのか。だとすると、僕がイイメージしていたものと、かなり違う。そして僕がイメージしていた以上に魅力的だ。
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ずっと日本文学を読んできたなかで、久しぶりの海外翻訳。 翻訳小説は好きだが、そのワケが少しわかった気がする。 だから必ずしもこの本に限った感想ではないが。 内容はよくのみ込めないが、スラスラと読めてしまう。翻訳小説の文章はたぶんに「音楽的」だ。翻訳小説はある程度「よくのみ込めな...
ずっと日本文学を読んできたなかで、久しぶりの海外翻訳。 翻訳小説は好きだが、そのワケが少しわかった気がする。 だから必ずしもこの本に限った感想ではないが。 内容はよくのみ込めないが、スラスラと読めてしまう。翻訳小説の文章はたぶんに「音楽的」だ。翻訳小説はある程度「よくのみ込めない」を前提として読むことが多いから、そういうちょっと、手抜きともいえる読み方をしてしまいがち。 でもかえって、見開きのページがところどころ穴あきに感じられるくらいが、ちょうど読みやすいといえば、その通りなんだろう。 さて、『ナジャ』。 僕にはいまいちシュールレアリスムのなんたるかがまだハッキリしないが、たぶん内容的にというより、ブルトンの文章自体がシュールレアリスムの体現であるのだろう。 偶然性、目に見えないつながり、デペイズマン…… 解説のこじつけっぽさはなんていうか、あんまり好きになれないけど、この行き当たりばったり加減がシュールレアリスムなのかな? 中盤のナジャとの交友の場面は好きなんだけど。
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2011年11月13日、再々々読ぐらい(?)→記事編集。 アンドレ・ブルトンの自伝的小説で、 ナジャと名乗る風変わりな女性との交際について綴られたものだが、 一つ一つの出来事に シュルレアリストとして特殊な意味づけを施しながら進行する。 が、そうした細部を取っ払えば――いや、それ...
2011年11月13日、再々々読ぐらい(?)→記事編集。 アンドレ・ブルトンの自伝的小説で、 ナジャと名乗る風変わりな女性との交際について綴られたものだが、 一つ一つの出来事に シュルレアリストとして特殊な意味づけを施しながら進行する。 が、そうした細部を取っ払えば――いや、それじゃダメなんだけど(笑)―― 一種の不倫小説として読むことも可能。 姿を消した女生徒を捜索していると、 その少女は夜明け前、医療戸棚の中から頭を下にして床に崩れ落ちてくる ……という『気のふれた女たち』なる、 グラン=ギニョル風の芝居を上演する《雙面劇場》の条が印象的。 ちなみに、雙面劇場ことドゥー・マスク座は、モンマルトルにあった劇場で、 グラン=ギニョル劇場と類似の芝居を上演していたライバル的存在だったそうな。
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シュールレアリスムの代表作。ナジャのキャラクターは優れているけれど、全体的にあまり理解できなかった。 また描写を排除する目的で何枚もの写真が差し込まれているが、それ自体がよくわからないシュールなものでおもしろい。
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素直に面白いと思えた。巌谷先生の解説も非常にわかりやすくブルトンへの興味もより深まった。人称認識について考えさせられる
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