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愛人 の商品レビュー

3.8

75件のお客様レビュー

  1. 5つ

    15

  2. 4つ

    27

  3. 3つ

    16

  4. 2つ

    1

  5. 1つ

    3

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2012/07/19

映像(イマージュ)という言葉が何度も出てくる通り、とても映像的な作品でした。正直、1度読んだだけで理解したとは思えないけれど、行った事もないサイゴンの街並みと、小説世界のけだるく倦んだ空気を感じたような気がします。

Posted byブクログ

2012/07/05
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

確か島本理生さんが文体に魅せられたと紹介していたので読んでみた。 自伝的小説なのにほとんど現在形で語られ、一人称と三人称が混在しているのが斬新だった。が、翻訳によるところが多いので、たとえば村上春樹が訳したら1Q84みたいな普通の語りになるのではないか。 この訳はかなり原文に忠実なようで、翻訳小説らしくセンテンスが長く、挿入句、修飾句が多く入り、日本人にはかなり読みにくいと思う。 内容的には、長男にだけ異常な愛情を注いで家を破滅させた母親のせいで、15歳の若さで愛人を持ったヒロインに深く同調した。顧みられずに死んでいった下の息子も哀れであった。 表紙の写真は著者が18歳のときのものだそうな。なんと妖艶な。

Posted byブクログ

2012/07/03

18歳のときの顔写真を表紙に、15~7歳あたりの日々を回想しつつ書き記された一冊。18歳の彼女は確かに美しいがどことなく不気味である。「18歳で私は年老いた」という述懐があるが、この写真は年老いた前なのか後なのか、恐らくここが境なのだろう。とはいえ、老いたというのは傍目に映じるも...

18歳のときの顔写真を表紙に、15~7歳あたりの日々を回想しつつ書き記された一冊。18歳の彼女は確かに美しいがどことなく不気味である。「18歳で私は年老いた」という述懐があるが、この写真は年老いた前なのか後なのか、恐らくここが境なのだろう。とはいえ、老いたというのは傍目に映じるものではなくて、彼女の中で何かしら決定的なものがあったのだろう。決定的なこと、それは、表面的には、「愛人」との別離であろうか?白人である彼女は仏領インドシナで暮らしていた時代があったのである。17歳でフランスに行くまで、彼女はインドシナで過ごした。彼女からして彼女の家族はすっかり破綻していた。父親は死に、母親は気が狂っていた。おまけに彼女は、「性的快楽」を知らなかった、だから、逆に彼女は性的快楽を知る必要性に駆られたように思われる。また、上の兄は、放蕩者でお金ばかりを湯水のように使い切ってしまう人間であったが母親の偏執的な愛を受けてもいた。下の兄は、痩せ細り気が弱かったようである。上の兄に、彼は脅かされ、上の兄の特別扱いを目の当たりにして彼は生きた。だが、デュラスは上の兄を生理的に半ば拒絶し、下の兄を偏執的に愛した。といった具合に、彼女の家族の中でまともな人間はある意味いなかった。加えて、彼らの生活は非常に苦しいものがあった。父親が死に、稼ぎ頭を失い、母親も舵取りに失敗し、一家は物を売ることで日々を凌ぎながら生きていたのである。植民地で生活する彼らは、白人であるという特権意識と貧困との間で、矜持を歪ませてしまったのだろう。 という、前提があった上で、デュラスは華僑の青年と身体を擦り合わせた。といっても、青年も、実際は父親が金持ちなだけで、彼自体は留学していたものの、落第気味なので強制的にインドシナへと帰された身で、現実から逃避するためにセックスばかりしていたようである。そうした彼はある意味で不可思議な魅力を放っていたのだろう。特に、デュラスからしてみれば、「セックスのために生きている」と思われるほどに、彼はセックスがうまくそのことをデュラスはついていると感じたのである。彼女の小さな乳房に彼は噛みつき、巧みに指を彼女の孔へと差し込む。彼女は快楽に咽び、彼からお金を得た。つまるところ、彼はパトロンだったのである。やがて彼は公認的な存在となる。だが、それは婚約者のようなものではなくて、彼女に惚れて彼女に尽くすパトロンとして、であり、それも、卑しいパトロンとして、である。ねじくれた白人意識によって彼女の家族は彼を下僕みたいに扱おうとする。繊細な彼は不満を抱きながらも爆発することはできずに、そう、惚れた弱みで彼女に尽くし続ける。彼女は彼の黒塗りのリムジンに迎えられ、セックスをしてはこっそりと夜中にでも寮に帰ってくる。17歳のデュラスは本国に行くことになり、それが彼らの別れとなる。彼らは別れる。彼女は白人である彼女は彼を愛してはいけなかったが、彼から離れて彼女は彼を愛していたような気になる、いや、愛していたという気持ちを受け容れることが可能となる。彼と一緒にいるときはそれを受け容れてはいけなかった、あくまで、彼の肉体とお金だけを愛していなければならなかった。やがて、時が流れ、彼が妻を連れてフランスに出てきたときに、電話がかかってくる。「僕はまだあなたを愛している」と、そして、彼女は彼のことを一度も忘れていないのである。 ストーリー中心でレビューをつけてしまったが、それは本作が伝記や私小説としての性格を持っているからであろうし、ただ、反面で彼女の多作品とのリンクが見られるらしい。訳者はひたすらそうしたあたりをプラスにとらえているが、自分からすると意味不明な描写が目立った、といった感じである。短めの、簡素な文が続く。役者は抒情的になりすぎたか?と書いていたが、確かにそのきらいはあるが、むしろ、それこそが本作の味とも言えると感じる。当時の彼女はすべてをわかっていたのだろう。簡素で断定的な言葉が連ねられ続ける。すべてを知っていた彼女は、彼の「愛人」になるのだということもやはり知っていた。母から放れることも知っていた、全てを知っていた彼女が、その特権的な力を失うまでの数年間が凝集された一作、というのが、本作の主軸なのかもしれない。

Posted byブクログ

2012/05/31

母によって粗末に扱われたデュラスが、中国人男性とのマゾキスティックな性愛関係にアディクトすることで、必死にうちなる悲しみをのりこえようとする様が痛々しい。またそこに、植民地における支配-被支配の脈絡が、性愛化されて現れていく。この関係性の輻輳を破綻なくまとめあげるデュラスの力量が...

母によって粗末に扱われたデュラスが、中国人男性とのマゾキスティックな性愛関係にアディクトすることで、必死にうちなる悲しみをのりこえようとする様が痛々しい。またそこに、植民地における支配-被支配の脈絡が、性愛化されて現れていく。この関係性の輻輳を破綻なくまとめあげるデュラスの力量が堪能できる一冊。

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2014/01/07

とにかく文章が魅力的。 作中には「川」がよく登場し、デュラスもそれは意図的なものだったようだが、この文体にも私は「川」を感じた。 流れるような、ときに歌うような、ときに小石にけつまづいて滞るも、すぐに走り出すような、奔放で流麗な言葉に魅せられた。 イマージュのさざめき。 きっと...

とにかく文章が魅力的。 作中には「川」がよく登場し、デュラスもそれは意図的なものだったようだが、この文体にも私は「川」を感じた。 流れるような、ときに歌うような、ときに小石にけつまづいて滞るも、すぐに走り出すような、奔放で流麗な言葉に魅せられた。 イマージュのさざめき。 きっと読むたびに豊潤な味わいを感じさせてくれるであろう、深みのある作品。

Posted byブクログ

2012/02/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

最後まで読み終わってから全体を振り返ると、素敵なキレイな恋愛小説であった。かと思いきや、自伝であったようだ。 中国人青年の思いは一方通行で報われないのかと思ったが、実は報われていてホッ。 しかし、このあっちいったりこっちいったりの文章はなかなか読むのが辛かった。私には合わないのか、フランス文学を読みなれてないためか

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2011/12/31

 植民地時代の東南アジアが舞台の、エキゾチックな感じの恋愛小説だった。なかなか背徳的な感じもして面白いんだけど、場面の切り替えが多いし、外国文学特有の分かりにくい表現も多くてちょっと難しかった。  主人公はフランス人の少女だけど、父親を亡くしており、家は貧しい。周囲とも上手くいっ...

 植民地時代の東南アジアが舞台の、エキゾチックな感じの恋愛小説だった。なかなか背徳的な感じもして面白いんだけど、場面の切り替えが多いし、外国文学特有の分かりにくい表現も多くてちょっと難しかった。  主人公はフランス人の少女だけど、父親を亡くしており、家は貧しい。周囲とも上手くいっていない感じ。そんな環境だから、恋愛に没入していったのかなあ。すげえ浅い読みだな。

Posted byブクログ

2011/11/15

はじめてデュラスを読む。 映画の中のインドシナの退廃的な雰囲気が忘れられず原作をと。 映画では2人の逢瀬に多くの時間が割かれていた記憶があるのだが原作での描写は家族と私,彼と私,自分の周りの女性と私,という3つ程度にカテゴライズされる印象を受けた。 そのため最初は暴力的な家庭...

はじめてデュラスを読む。 映画の中のインドシナの退廃的な雰囲気が忘れられず原作をと。 映画では2人の逢瀬に多くの時間が割かれていた記憶があるのだが原作での描写は家族と私,彼と私,自分の周りの女性と私,という3つ程度にカテゴライズされる印象を受けた。 そのため最初は暴力的な家庭と悦楽の記憶が交互に立ち現れ,独白の羅列かのように見えるのだけれど,なぜか暴力ゆえにあれがさらに輝きを増していき,混濁が次第にエロスとタナトスの濁流を作り始める。私はその濁流にうっかり飲み込まれる(そうなることを望んでいたのだが)。メコンの流れを思い出す。あの土褐色の大河。 原作に忠実に映画化したら相当前衛的だっただろうな。とも。 たしか映画は時系列が割とシンプルだったような。 一方,原作はむしろそれを破壊し再構築し それによって未知の世界観を紡ぎ出す試みがある気がする。

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2013/07/15

わたしは十五歳で全てを知っているような顔をしていた。本当は何も知らなかったにも関わらず。時間、つまり経験に先んじて憔悴した顔。隈のできた眼。 十五歳半。まだ髪を長くして、お下げに編んでいる頃。仏領インドシナ。メコン河の渡し舟の上で黒塗りのリムジンに乗った金持ちの男と出会った。白...

わたしは十五歳で全てを知っているような顔をしていた。本当は何も知らなかったにも関わらず。時間、つまり経験に先んじて憔悴した顔。隈のできた眼。 十五歳半。まだ髪を長くして、お下げに編んでいる頃。仏領インドシナ。メコン河の渡し舟の上で黒塗りのリムジンに乗った金持ちの男と出会った。白人ではない。中国人の青年。 ……靄にけむる暑い光の中。すべてはそのときからはじまった。はじまる前からわかっていた──。 そして十八歳でわたしは年老いた。 貧しいフランス人少女の「わたし」と裕福な中国人青年との愛人関係を描いたマルグリット・デュラスの自伝的小説。

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2011/10/22

南方の植民地小説の典型かもしれないが、それでもデュラスの自伝的な作品という意味で私小説的な側面もあり、興味深く読めた。私小説的であるがゆえにデュラジア(デュラス+アジア)の真骨頂ともいえる。幻想と現在と過去と、そこを行き交う肉親と友人と愛人。南方独特の高湿な空気と、性に目覚めるこ...

南方の植民地小説の典型かもしれないが、それでもデュラスの自伝的な作品という意味で私小説的な側面もあり、興味深く読めた。私小説的であるがゆえにデュラジア(デュラス+アジア)の真骨頂ともいえる。幻想と現在と過去と、そこを行き交う肉親と友人と愛人。南方独特の高湿な空気と、性に目覚めることでしか自我を獲得できない主人公の価値観が絶妙な交配をみせる。圧倒的。

Posted byブクログ