ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記 の商品レビュー
読み始めて、数ページで惹き込まれる。「いつ私から奪われるかもしれない一つの才能に、自分の職業がいかに完全に依存しているか考えると、私はいつも恐ろしくなる。」(p22)第一次大戦中に、『論考』を書いた天才も、教師時代の挫折を経て、おそらくそこまで望んでいなかった哲学者として生活する...
読み始めて、数ページで惹き込まれる。「いつ私から奪われるかもしれない一つの才能に、自分の職業がいかに完全に依存しているか考えると、私はいつも恐ろしくなる。」(p22)第一次大戦中に、『論考』を書いた天才も、教師時代の挫折を経て、おそらくそこまで望んでいなかった哲学者として生活するようになる。そういう悩みが記されている。仕事の話、恋人の話、兄弟の話から年代が進むつれて、信仰の話、罪の話が多くなっていく。 その過程で、彼の後期哲学の重要概念である言語ゲームのアイディアが現れてくる。「例えば何か特定のことが体内で進行していて恐ろしい痛みを感じている人が、特に何かがどこかに行ってしまうことを望んでいるわけではないのに「どこかに行ってしまえ!」と叫んでいると想像せよ、さて、「この言葉は誤って使用されている」と言えるだろうか??…ここでは「誤り」ということは問題にならない。もし必要な使用が誤りなら、どんな使用が正しいというのだろうか?…このことを祈りに当てはめてみよ。手をもみ、祈願せざるを得ない人間に、彼は誤っているとか妄想を抱いているとどうして言えようか。」(pp130~131)と。
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好きな人が読んでたから、ウィトゲンシュタインの本をいくつか読んでみてた時期に、これを図書館で見つけて、読んだ。 表紙のデザインが良いね。 彼のこと、ほとんど知らなかったんだけど。ひじょーに悩んでる人なんですね。生真面目というか。ケインズとも友達だったの? 数学的な才能があったんで...
好きな人が読んでたから、ウィトゲンシュタインの本をいくつか読んでみてた時期に、これを図書館で見つけて、読んだ。 表紙のデザインが良いね。 彼のこと、ほとんど知らなかったんだけど。ひじょーに悩んでる人なんですね。生真面目というか。ケインズとも友達だったの? 数学的な才能があったんですね。でも人間としては不器用だったんですね。この人の哲学は難しくてよく分かんないけど、なんだか、とても人間的なカンジがする。
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どうにも驚きを隠せない。「語りえぬものついては、沈黙しなければならない」で有名な『論考』という歴史に残る哲学書を完成させながらも、解説者に言わせればそれが「原罪」として後の彼をいかに苦しめたかが痛々しいまでに暴かれている。実際、後期思想においてウィトゲンシュタインは『論考』の論理...
どうにも驚きを隠せない。「語りえぬものついては、沈黙しなければならない」で有名な『論考』という歴史に残る哲学書を完成させながらも、解説者に言わせればそれが「原罪」として後の彼をいかに苦しめたかが痛々しいまでに暴かれている。実際、後期思想においてウィトゲンシュタインは『論考』の論理的誤りだけでなく、講演において「(語りえぬものについて)語ろうとすることを、私は生涯において嘲るようなことはしないでしょう」とまで発言していたのは衝撃だった。生きる為に食べていく様に、生きる為に考えてきた者による言葉がここにある。
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悩みに悩み、それをそのままに描いている。 よもすると、私たちはそれをごまかそうとしてしまうが、 そういったくだらない見栄が近寄れないほど、ウィトゲンシュタインは素直に苦悩を描いている。 そのことに、胸が打たれた。 気がついたら、この本に付箋紙を30枚以上も貼っていた。 特にその苦悩に「仕事」という言葉が加わった部分を見るとき、仕事に依存して自分を壊してまで働いていた自分、日々報道される過労死、自殺、パワハラなどが頭に浮かんでしまう。 『《神よ!私はあなたと次のような関係に入らせて下さい。そこでは私が「自分の仕事において楽しくあれる」、そのような関係に!》 仕事ができず、疲労を感じ、誘惑に乱されずには生きられない苦しみに私はのたうち回っている。 《そして今私は本当に仕事ができない。私の泉が干上がってしまっていて、みつからないのだ。》 《深い水を覆う薄い氷の上を不安に歩く人のように、今日私は、自分に許される限り、少し仕事をした。》』(121~122p) もうこれは、仕事のストレスで躁鬱がひどくなっている人そのものではないか。 仕事で悩んでいる人は是非これを読むべきと思う。 自分と同じに、または自分以上に悩んでいるウィトゲンシュタインを見て、共感してくれる誰かを見出したかのように安心できるかもしれないし、これに比べればまだマシだと思う人もいるかもしれない。あるいは、自分もこれほど悩んでいるなら、思い切って休もう、転職しようと発想の転換を図れることも起こりうる。 ウィトゲンシュタインを読むという「対処療法」によって、「この状況から抜け出せ!」と自分に言えるかもしれない。 そして、心の深淵を見て答えを得るチャンスとなるかもしれない。(125~126p) しかし、逆説的ではあるが、「この状況から抜け出せ!」と抵抗手段を探しているということは、まだその状況にいるという意味でもある。 その状況にいるときに、してはいけないこと。それは「憤慨」 憤慨は、ただ自分自身への攻撃にすぎず、他の誰かを抗議期している事にはならない。そして自分の心を降伏させなければならなくなる。 私自身、憤慨したところで、状況が改善されたり、幸せになれたというのを聴いたこともなければ、体験したこともない。 「もし私が信仰を持つなら、つまり内なる声が自分にするように勧めることをひるまずにするなら、この苦しみはおわるだろう。」とウィトゲンシュタインは言う。 なかなか自分の内なる声のとおりには生きにくい社会ではあるが、ウィトゲンシュタインがしたように、せめて日記の中ぐらいでは苦悩の自己欺瞞もあるがままに書きだす勇気が欲しいものだ。
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「生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ」という言葉が特に印象的。 ウィトゲンシュタインのような人でも(或いはこういう人だからこそだろうか)仕事や人間関係、更には自己欺瞞めいたことで悩み苦しむのだなあと思い知らされた。天才(のように、少なくとも非凡な自分の目には映る)でも、天才...
「生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ」という言葉が特に印象的。 ウィトゲンシュタインのような人でも(或いはこういう人だからこそだろうか)仕事や人間関係、更には自己欺瞞めいたことで悩み苦しむのだなあと思い知らされた。天才(のように、少なくとも非凡な自分の目には映る)でも、天才だからこそ人並みの悩みや苦しみを人並み以上に思い詰めてしまうのかも知れない。 どこか励まされるような思いを感じながら読んでいた。
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「ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記」読むと、こうしてコメントしてる事自体が罪深い事に思える。でもどこからか人は実践的になれねば生きづらい。 彼も中田英寿も勝間和代も転回の構造は似ているでしょう?
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これは買うしかないな。 買って何度も読み直すべき。 好きな言葉や考え方がたくさん。 本自体の出来もいいと思われます。 これで2000円とか版元は無理してないのか?
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烏兎の庭 第三部 書評 7.8.06 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03/bunsho/witmiki.html
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専門の研究者は重宝するかもしれないが、それ以外の人は読んでも仕方ない気がする。(ウィトゲンシュタインの人となりに少しだけ触れられるのは嬉しいわけだが。) 大型書店によく平積みされているのを見かけるが、うかつに買ってはいけない。
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