北風のうしろの国 の商品レビュー
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結末にハッとした。悲劇ではなく、愛するとは何かについての本質がこれ以上ないほど示されていたからだ。自分を愛するとはその死をも愛するということ。自殺ではない。死を受け入れるというのでもない。北風とは死の比喩か。ダイアモンドという主人公の名前にも象徴性を感じる。 文体はアンデルセン童話の翻訳を読んでいるようだった。大切なものを尊重する姿勢が感じられた。翻訳は中村妙子さん、挿絵はアーサー・ヒューズ。どちらも感慨深い。
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ファンタジーを読んでる(当時、ミヒャエル・エンデを読んでた)と言ったら、大学文学部の先生に勧められたうちの一冊。 内容は忘れました(*´з`)
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ダイアモンド少年と北風の精とのやりとり。神が使わしたようなダイヤモンド少年の純真さ。そして色々な姿になる北風の精。ダイヤモンドには青白く美しい女性の姿をした北風が見える。そして彼女に抱かれて北風のうしろの国に行く。
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語り手はダイヤモンド少年を中心に聞いた話を書いているというスタイル。p427でついに対面する場面まで行く交差。この物語の書き手(マクドナルドとは限らないかもしれない)が、間接的に聞いた話というかたちをとることで、"北風のうしろの国"に実際に行ったという人から語...
語り手はダイヤモンド少年を中心に聞いた話を書いているというスタイル。p427でついに対面する場面まで行く交差。この物語の書き手(マクドナルドとは限らないかもしれない)が、間接的に聞いた話というかたちをとることで、"北風のうしろの国"に実際に行ったという人から語られるよりもリアリティーがあるだろう(「リリス」では当事者が書き記したが)。最初の北風との出会いから"北風のうしろの国"に一度行くまで(しかしそれは、絵だったという[p457])のシークエンスからしばらく、北風と会わずに現実的な出来事が続く。その長さが重要で、さらにリアリティーを高めているように感じられる。最後にはやはりダイアモンド少年も"北風のうしろの国"に行くわけだが、それはあらゆる言動の端々からも避け難いこと、必然であった。どうしてこんな物語が、とりわけ会話(ダイアモンド少年の独白にせよ、北風とのやりとりにせよ)書けるのだろうか?その答えは出ている。
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この本を購入したのは偏にこの表紙の美しい絵に魅せられたから・・・・と言っても過言ではありません。 と、同時に KiKi にとって意外性があったから・・・・・と言う理由もあります。 と言うのもね、KiKi の漠然と抱いていたイメージとして、北風の精っていうのは女性じゃなくて男性...
この本を購入したのは偏にこの表紙の美しい絵に魅せられたから・・・・と言っても過言ではありません。 と、同時に KiKi にとって意外性があったから・・・・・と言う理由もあります。 と言うのもね、KiKi の漠然と抱いていたイメージとして、北風の精っていうのは女性じゃなくて男性のような気がしていたんですよ。 これはイソップ童話の「北風と太陽」の影響もあるだろうし、ギリシャ神話の影響もあると思うんですけどね。 北風の神・ボレーアスと言えばちょっと獰猛で暴力的な男神だったように思うんですよ。 だから KiKi がイメージしていたのはこの挿絵は「北風」その人(?)ではなく「北風のうしろの国(ヒュペルボレイオス)に暮らす幸せな人々」の代表なんじゃないかと思っていたぐらい!(笑) でも、この女性、実はこの物語で描かれる「北風」その人だったんですねぇ。 KiKi にとってこれは初読の物語だったんだけど、ここで描かれる死生観には正直なところ違和感を感じずにはいられませんでした。 ただこの物語はヴィクトリア朝のイギリス人が書いたものだと考えると、さもありなん・・・・と納得できる部分もあります。 やっぱり「死 ≒ 永遠の命」と捉えるあたりはキリスト教的だなぁ・・・・と。 そういう宗教性(精神性)には若干の抵抗を感じつつも、この物語、KiKi にはとても親しみのもてるものに感じられます。 と言うのはね、そこかしこに溢れる価値観の揺れみたいなものと、ダイアモンド少年というフィルタを通して、何の固定観念にも囚われず物事を素直に見つめてみるという疑似体験をしてみたことにより、現代人 KiKi の目を通して世界を見たときとは違う一面が見えてくるような感覚の体験・・・・とでも言いましょうか。 (全文はブログにて)
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貧乏でもいいこと探しをする少年ダイヤモンド。 少年ダイヤモンドが弟の赤ちゃんのために唄う 歌のけなげさにただただじんわり・・・・。 癒されたい人におすすめ。
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