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夏の終り の商品レビュー

3.5

72件のお客様レビュー

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自立した独身女性の知…

自立した独身女性の知子と妻子のある慎吾と年下の凉太との不倫愛の小説です。せつないです。後に書かれている短編小説では、4才の娘を置いて不倫に走ってしまう内容に恋は人を盲目にするものだと強く思いました。

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女の性を新しい感覚と…

女の性を新しい感覚と、大胆なタッチで描き出す5作の連作

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2024/05/21

習慣になった不倫は断ち切ることが難しい。 という言葉に度肝を抜かれた。 不倫が習慣だと? 私たちが普段特に何も考えず、ただ体に染み付いたルーティンのように行っているもの。例えば歯磨き、靴を履く、ご飯を食べる、スマホを触る。 そんな、とくべつ頭で何も考えなくても自然にできるような...

習慣になった不倫は断ち切ることが難しい。 という言葉に度肝を抜かれた。 不倫が習慣だと? 私たちが普段特に何も考えず、ただ体に染み付いたルーティンのように行っているもの。例えば歯磨き、靴を履く、ご飯を食べる、スマホを触る。 そんな、とくべつ頭で何も考えなくても自然にできるような習慣化したものの1つに、不倫だとは。 瀬戸内寂聴はアッパレです。 感情の言語化が非常に巧みだな。 そして、本の中で妻子持ちの慎吾と付き合いながら、同じく同時進行で関係を持っている涼太から 「僕はあなたにとってどんな存在か?」 と問われたとき、 主人公の言った 「憐憫よ」 という返しにも驚愕した。「P77」 その時は、へぇ〜憐れみ、可哀想っていう自惚れのような気持ちで付き合っているんだなぁと斜に構えて解釈してしまったのだが、 改めて考えると、自分にもそんな憐れみの気持ちで付き合っている存在がいなくも、ない、な。 始めは愛があり、好きなんだけど、本命に気持ちが傾くにつれ2人へ注ぐ愛情は等しくなくなっていく訳で、いつの間にか平行だった天秤はどちらかへ大きく傾き、軽さに上へ上がった方への扱いがぞんざいになってしまう。 インスタントでキープのような愛人。 それに比べて、肉体関係を持たなくとも、ただ2人でいるだけで幸せを感じる。浄福という。それが不倫相手だとしても。いや、不倫相手だからこそなのかな。 2人でいる時間が8年も続けば、それは習慣となるだろう。十何年と毎日行ってきた食後の歯磨きを、今日から止めなさいと言われたら嫌だし違和感感じまくるもの。 それが恋愛相手ならより一層、断ち切るのは容易ではないのだろう。 そして、この物語が瀬戸内寂聴の経験に基づいた私小説だということだから、更にリアリティは増す。人生は経験だよ、と身に染みて感じる。 不倫したことないのに、あたかも自分がしているように思えてしまうから、文章力はさすがだと感じた。 印象的な文章↓ P39 愛は抽象的な聖心の貴族であり、肉欲はその前では無様な道化にすぎなかった。 P117 歳月に綯いからまれた習慣は、裁ち切る努力をするよりも、そのまま巻き込まれていく方が、はるかに安易で楽なのだ。心も安堵の倦怠感になかば満たされかけていることに気づいてぎょっとした。 ↓慎吾と別れる決断をする主人公のシーン P164 別れという土壇場にのぞんでも、知子は新語に切りつける刃があるのなら、それで時分を傷つける方がやさしかった。 (好きな相手、愛することが習慣化した相手を傷つけるなんてできないもの。)

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2023/07/10

短編五つから成る。最後以外の四つは登場人物も同じ連作な感じで、最後のみ異なっている。 著者の本はおそらく初めて読んだけど、これは私小説ということでちょっとびっくりした。私が知っている著者は、既に出家されお年を召してからの活動で信奉者が多数いるように見受けられる方だったので。出家前...

短編五つから成る。最後以外の四つは登場人物も同じ連作な感じで、最後のみ異なっている。 著者の本はおそらく初めて読んだけど、これは私小説ということでちょっとびっくりした。私が知っている著者は、既に出家されお年を召してからの活動で信奉者が多数いるように見受けられる方だったので。出家前の氏については全然知らなかった。 なんというか、情熱的かつ衝動的な方だったのだなぁという印象。

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2023/05/25

いかにも、瀬戸内寂聴さんの本です!という題名の、『寂聴 九十七歳の遺言』、『愛に始まり、愛に終わる 瀬戸内寂聴108の言葉』などの本よりも、この本や、『あちらにいる鬼』、あと少し毛色が違うかもしれないが『おちゃめに100歳! 寂聴さん』などの方が、インパクトがあって寂聴さんを身近...

いかにも、瀬戸内寂聴さんの本です!という題名の、『寂聴 九十七歳の遺言』、『愛に始まり、愛に終わる 瀬戸内寂聴108の言葉』などの本よりも、この本や、『あちらにいる鬼』、あと少し毛色が違うかもしれないが『おちゃめに100歳! 寂聴さん』などの方が、インパクトがあって寂聴さんを身近に感じられるような気がする。 解説にもあるように、「悪魔と愉しみを分つ部分」が拡大されていても、それが深められ、「普遍性を獲得し」ているからなのだろうか。 『和泉式部日記』も読んでみたくなった。

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2022/12/15

 5つの短編からなる連作集。1〜4作目がひとつの物語、5作目だけそれとは独立した物語になっている。とはいえ、どちらも著者の私小説的な内容であることに変わりはない。前半は長年の不倫相手だった井上光春氏との間で揺れ動く心境を、後半は前夫との間に生まれた娘との別れと、それに伴う苦悩をテ...

 5つの短編からなる連作集。1〜4作目がひとつの物語、5作目だけそれとは独立した物語になっている。とはいえ、どちらも著者の私小説的な内容であることに変わりはない。前半は長年の不倫相手だった井上光春氏との間で揺れ動く心境を、後半は前夫との間に生まれた娘との別れと、それに伴う苦悩をテーマにしてそれぞれ描いたものと思われる。  この本の前に井上荒野さんの『あちらにいる鬼』、同『ひどい感じーー父・井上光春』を読んでだいたいの関係性は把握していたから、それを寂聴さんの視点からトレースし直したような感じ。必要以上にこねくり回すようなまどろっこしい文体で、読んでいて疲れた。内容もああそうですかという印象で途中で飽きてしまった。同じ題材を扱うにしても、井上荒野さんのようにドライな文章ならまだしも、こういうねっとりした文章で読むのはなかなかしんどい。内容も相当ねっとりしているし。  寂聴さんの本は初めて読んだけれど、もういいかな。

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2022/12/13

映画「あちらにいる鬼」がとても面白かったので、面白かったのに、本書を紐解いた。映画は、中年を過ぎて男と確かに別れるために尼になるまでの、男と瀬戸内寂聴とその妻の不思議な三角関係を、淡々と描いたものだった。 本書も、著者と不倫男とその家庭との不思議な三角関係が出てくるが、映画の不...

映画「あちらにいる鬼」がとても面白かったので、面白かったのに、本書を紐解いた。映画は、中年を過ぎて男と確かに別れるために尼になるまでの、男と瀬戸内寂聴とその妻の不思議な三角関係を、淡々と描いたものだった。 本書も、著者と不倫男とその家庭との不思議な三角関係が出てくるが、映画の不倫男と本書の不倫男は現実でも別人である。むしろ、映画の前日譚だった。知っていて紐解いた。 1960年代。未だ不倫が不貞と言われていた時代だ。刊行年は昭和38年(1963年)。瀬戸内晴美(寂聴)が、新進の小説家として台頭していた頃。もしかして未だ井上光晴(「あちらにいる鬼」での不倫男)にも会っていないのかもしれない。晴美(もちろん、小説内では別名になっている。職業も違う)は、経済的に男に依存していない事を誇りにしている。現代ならば当たり前だが、当時としては娼婦以外では画期的だったのか。その他、女性から別れを切り出すとか、新しい不倫の形を描いたとして、当時は意義のある小説だったのかもしれない。 連作短編で前四篇は登場人物は同じで、むしろ長編の雰囲気。知子(晴美)は、売れない小説家の小杉と8年間付かず離れずの関係を持っていたが、昔の男と寝てしまった事をキッカケとして別れを切り出す。現代になって読んで驚くのは、あまり知られていなかった井上光晴との不倫の構造とあまりにも似ていたことである。 ・知子は小杉と不倫の終わりかけに、やはり若い男とも関係を持ってしまう。 ・小杉の妻は、長い間小杉の不倫を知りながら、知子を非難したり小杉を非難したりする事なく、淡々と過ごしていた。 ・知子は小杉との関係を精算するためには、小杉が通ってくる自宅を畳んで他所に引越しをしなければならないと思い込む。男はそれを淡々と受け入れる。 コレは井上光晴の娘・井上荒野が書いた「あちらにいる鬼」と同じ経過だ。引越しの代わりに、もっと徹底的な「尼になる」ことを晴美が選んだに過ぎない。瀬戸内晴美は、全く同じ事を井上光晴との関係で繰り返したのだろうか。詳しい人はいるかもしれないが、今回そこまで調べることができなかった。 短編集の最後の1篇「雉子」だけは、登場人物の名前を変え、彼女の最初の不倫から子供を捨て、次の不倫の顛末までざっと振り返っている。そこで、以下のように「まとめ」のような記述がある(牧子とは瀬戸内晴美のこと)。 男に溺れこむ牧子の情緒は、いつの場合も、とめどもない無償の愛にみたされていた。それは娼婦の、無知で犠牲的な愛のかたちに似ていた。(略)牧子の愛は充たされるより充したかった。たいていの男は、おびただしい牧子の愛をうけとめかね、あふれさせ、その波に足をさらわれてしまう。結果的にみて、牧子に愛された男はみんな不幸になった。 ←決定的な不幸を招く直前に、晴美は寂聴になったのだろうか?

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2022/11/20
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「あふれるもの」から「花冷え」までは連作の短編。はじまりから終わりまで、丁寧な心情描写が続く。紆余曲折を経た二人の境地は。 道を外れて、人として終わりなのだとしたら、終わりの先、さらに終わりの先まで行き…、それでもまだ二人は生きていて。 文章が綺麗で、深く、良い小説だと思いました。 「不倫」と「出家」という壁が立ちはだかり、なかなか読めずにいた。読んでよかった。 短編「雉子」は心重い。

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2022/09/16

アパートに一部屋借り、8年間、知子と暮らしたまに家庭に帰る慎吾の短編集。こんな感じの男女が次々に出てきたら疲れちゃうなと思ったけど、同じ人たちの連作短編集で助かった。不倫関係を扱うものはあまり生理的に受け付けないんだけど、女がサバサバしている(ように気を配っている)のと何事もなく...

アパートに一部屋借り、8年間、知子と暮らしたまに家庭に帰る慎吾の短編集。こんな感じの男女が次々に出てきたら疲れちゃうなと思ったけど、同じ人たちの連作短編集で助かった。不倫関係を扱うものはあまり生理的に受け付けないんだけど、女がサバサバしている(ように気を配っている)のと何事もなく日々が過ぎていくので落ち着いた風情があってちゃんと最後まで読めた、と思ったらこれは半私小説なのか、道理で背景や描写が細やかでよく作られてると思った。

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2022/07/06

 1962(昭和37)年から翌年にかけて発表された短編を収めたもの。瀬戸内寂聴さん出家前、瀬戸内晴美名義で可書かれた初期作品集。  瀬戸内寂聴さんは初めて読んだのだが、昭和の昔からよく新聞の広告欄にこの方のいかにも温和そうな笑みを浮かべたまん丸いお顔が載っていて、この顔と作家名は...

 1962(昭和37)年から翌年にかけて発表された短編を収めたもの。瀬戸内寂聴さん出家前、瀬戸内晴美名義で可書かれた初期作品集。  瀬戸内寂聴さんは初めて読んだのだが、昭和の昔からよく新聞の広告欄にこの方のいかにも温和そうな笑みを浮かべたまん丸いお顔が載っていて、この顔と作家名はずっと昔から知っている。その寂聴さんも昨年亡くなったそうで、そういえば読んでなかったから、今回読んでみた。  この文庫本の裏表紙には「私小説集」と書かれている。これは本当なのだろうか? 5編中4編は同じ知子なる女性が主人公で、同じ不倫のシチュエーションを描いているのだが、私小説と言うことは、作者の実体験をなぞった設定ということになるが。巻末の解説にはそうは書いていないので、よく分からない。  仮に作家の実体験がストレートに反映されているとしても、これらの短編は「私小説」らしい感触はなく、むしろ心理小説の書き方である。地味な心理描写ではあるが、それだけにリアルで、ラディゲの文体の猿真似ばかりやって喜んでいた三島由紀夫などとは遥かに別次元の小説作品だ。  が、とりとめもないといえば言える。すっきりと構築された作品体とはなっていないし、そもそも「連作」と言うには、重複する部分などもあるのでしっくりこない。特に大きな構想を描くことなく書かれた小品群、といったところか。  描かれている不倫の情緒は、何やらウェットで昭和っぽいのだが、やはり「演歌」で描かれるような単純なものではない。本作で描出される主人公の人物像は、小説ならではの<オブジェクト指向プログラム>によってオブジェクト化し、それゆえに多義的な・あるいは超-意味的な実在として屹立する。要するに「彼女」という第3者として、その存在が立ち現れる。  こういった小説の基本性能を備えた作品群ではあるが、ちょっと狭い世界に閉じこもっているようなところもあり、「優れた小説」と呼ぶには今ひとつのような気がした。  たぶん瀬戸内寂聴さんはどちらかというと大衆文芸サイドの「流行作家」であったと思われるので、後年はもっと面白い小説を書いたのかどうか、またそのうち読んでみようと思う。

Posted byブクログ