自由を耐え忍ぶ の商品レビュー
自由は上から下へ押し付けていいものじゃない。 降ってくるものでもない。元々持ってるものだ。 小難しいことは抜きにして自分へ警鐘を鳴らしてくれた本の内の一冊。過去に感想を書いたがそのファイルが参照不可になってしまったので再度読み直しを検討中。
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「自由」とはなにか。イラク戦争下のイラクにイラクにおける自由に迫った内容。自由とナショナリズムとの関連が面白かった。
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現代世界で「市場の社会的深化」が進んでいる。これはすなわち、企業の投資対象が人間の精神や肉体の健康管理、教育や国家安全保障といった生活諸領域にまで広がり、これらが商品化されていく現象である。その特徴が、国家と市場が新しく複合的な方法で絡み合い、民主主義的な議論や実践の対象を減らし...
現代世界で「市場の社会的深化」が進んでいる。これはすなわち、企業の投資対象が人間の精神や肉体の健康管理、教育や国家安全保障といった生活諸領域にまで広がり、これらが商品化されていく現象である。その特徴が、国家と市場が新しく複合的な方法で絡み合い、民主主義的な議論や実践の対象を減らし、責任所在の曖昧化をもたらす「民営化」や入管に代表される「ワイルドゾーン」と呼びうる暴力の領域である。このような市場の拡大を支えているのが政府と私企業の緊密な連携による、「異常性」排除のための今日的パノプティコン的技術であり、すなわち自由の代償のための終わりのなき監視だ。このような市場の社会的深化がもたらした民主主義の縮小を逆転させるためには、政党、選挙、議会などを超えて民主政治の射程を拡大する必要があり、そして、企業と国家のどちらに責任主体があるのかを基本放棄に明記すること、国際法や国際機関の枠組みの再編成や人々の生に影響をおよぼす放棄や制度について学ぶ機会を与えるような教育が必要である。 ここまでが課題図書の要約である。今の世界で民主的であることが危うくなっている現状とその原因について、本書から読み取ることができた。ところで、民主的であるとはどういうことなのだろうか?今回は政治面に拘らないで、すこし一般面からもアプローチしてみたいと思う。 あることが民主的であるためには、まずそのこと自体、民衆に理解されていなければならない。たとえば、あるルールを最初から決める過程においてそのゲームに関わるすべての人がルール決定に参加し、納得するルールづくりをしなければならない。(ただし、いったんルールが成立すればその後ゲームに関わっていく者はそのルールを承諾したこととするが、これは「そのルールが民衆に理解されている」ことと矛盾しない。)なぜならば、もしそうでなければ少数による恣意的ルール決定、政治体制でいえば寡頭制、あるいは独裁制になってしまうからだ。言い換えれば、民主的であることには自由・オープンで一種の全員参加ともいえるような前提がある。 ところが、今の世界はどうだろうか?課題図書からも読み取れるように、たとえば経済学のように、学問の分節化や一部の人間による専門化が進んだり、市場の社会的深化によって情報と責任のグレーゾーンをもたらす「民営化」が進んだりすることで、民衆にわかっていなければならないあることが一部の人間にしか知られていない、あるいは理解できていないといった断絶化が進んでいる。外部からはまったくといっていいほど理解不能な運営の仕方をしていくなかで、自然と民主主義的な議論もできなくなってしまった。さらには、市場の社会的深化の過程で監視制度も進み、互いが監視しあう不自由な社会構造が出来上がりつつある。 さて、これらの市場の社会的深化がもたらす一番の問題点である、「民営化」のもたらすグレーゾーンの増大と監視制度、言い換えれば民主的であることを制限し、減少させていく制度に対して、もはや打つ手がなくなったのだろうか?本書を読む限り、そうでないことがわかる。第8章で著者は、民主的であることをとりもどすよう努力しているさまざまな団体を取り上げている。すなわち、市場の社会的深化が進む現代世界において民主的であることを取り戻すためには、監視に対する監視を民衆みずからおこなったり、責任やシステムの曖昧化を進める「民営化」にたいして透明性をもとめたりすることである。それはまた、先週のレポートにも書いたが、ひとりの人間として自律性を取り戻すためにも、自分がステイクホルダーであることを自覚し、参加することを要求し続けなければならないことであるだろう。
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