アトリエから戸外へ の商品レビュー
アントニー・メイソン著、武富博子訳『アトリエから戸外へ:印象派の時代:クールベ、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンたち(名画で見る世界のくらしとできごと)』(国土社) 2004.2.25初版第1刷 2020.2.2読了 物事を見る際には3つの目を備えよ、とはよ...
アントニー・メイソン著、武富博子訳『アトリエから戸外へ:印象派の時代:クールベ、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンたち(名画で見る世界のくらしとできごと)』(国土社) 2004.2.25初版第1刷 2020.2.2読了 物事を見る際には3つの目を備えよ、とはよく言われるところだ。高みから俯瞰して大局をとらえる「鳥の目」、現場に立って目を凝らす「虫の目」、今後流れ行く方向を見定める「魚の目」。今まで読んできたゴッホ本は、言わば「虫の目」だったが、本書は、印象派が成立する以前から20世紀はじめの表現主義の成立までの「鳥の目」でゴッホをとらえる。 そもそも西欧における絵画は、1800年代半ばまで宗教画と貴族の肖像画ばかりだった。絵で食べていくためには金持ち(パトロン)の援助が必要だったため、画家は高貴な絵しか描けなかったと言えよう。 身の回りの風景を描くという表現は、そもそも画材の選択肢として一顧だにされなかったし、戸外で絵を描こうにも1840年代までチューブ入り絵具というものが存在しなかった。それまでは、画家が自分で絵具を練って豚の膀胱に詰めて持ち歩かねばならなかった。技術の発展によって、次第に戸外に出て身近な風景画などを描くようになった若い画家たちは、1874年に第1回印象派展を開く。ところが、印象派の描き方は、ルネサンス以降の伝統的な描き方とは随分異なっていたので、ほとんどの批評家から軽蔑された。その後も印象派展は開かれ、1886年の第8回まで続いた。1886年と言えば、パリに来たゴッホが初めて印象派と出会う年である。ゴッホが印象派ではなく、ポスト印象派と呼ばれる所以でもある。ゴッホの絵は、1886年にパリに出て、印象主義や点描主義の技法をとりいれることで明るくなるが、ほんとうに画風が変化したのは、1888年2月に南仏アルルに引っ越してからのことだった。ゴッホはフランス南部の強い日ざしとあたたかい陽気に驚き、34歳にして新しい独自の技法を生み出していった。明るい色の絵具を絵筆にたっぷり乗せ、厚塗りする技法である。ゴッホは次第に精神の病に侵され、描く絵も彼の感情そのものが風景に現れるようになった。もともと印象派とは、目で見たものを記録しようとしたのに対し、ゴッホは自分の感じたことを絵に表現しようとした。天才的な色彩感覚(補色の巧みな使い方)と構図のセンスを生かして、ありふれた題材にしても、高まった感情が作品の外に飛び出してくるような印象を人々に与えた。ゴッホは20世紀はじめにおこった表現主義のさきがけとなり、彼の精神は、例えばエドワルド・ムンク(1863-1944)が継ぐことになる。 URL:https://id.ndl.go.jp/bib/000004367803
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子供向け絵本のコーナーに置いてありましたけど、侮るなかれ。その内容は濃密!!しかも、子供向けだから分かりづらい絵の世界がとっても分かりやすく紹介されていて、ナイスな本だと思いました。
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印象主義を、アトリエから出て戸外の光のなかで制作するようになった画家が生み出した、画期的で新しい絵の描き方や、物の見方と定義。 彼らが、身の回りで見る現実に自分たちが生きている世界を描こうとし、ある日のある一瞬の感じをとらえて、すばやく画面に描き出した、その代表的な作家と作品と...
印象主義を、アトリエから出て戸外の光のなかで制作するようになった画家が生み出した、画期的で新しい絵の描き方や、物の見方と定義。 彼らが、身の回りで見る現実に自分たちが生きている世界を描こうとし、ある日のある一瞬の感じをとらえて、すばやく画面に描き出した、その代表的な作家と作品と特徴をわかりやすく紹介。 総ルビです。
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