知的生産の技術 の商品レビュー
「勉強しなさい!」といわれるけれども、どうやったらうまく勉強できるのかわからない。「整理整頓しなさい!」といわれるけれども、どうやったらうまく整理整頓できるのかわからない。こんな経験、ありませんか? 世の中にはいわゆる「知識」のほかに、「ものごとをうまくやるため」の知識が存在し...
「勉強しなさい!」といわれるけれども、どうやったらうまく勉強できるのかわからない。「整理整頓しなさい!」といわれるけれども、どうやったらうまく整理整頓できるのかわからない。こんな経験、ありませんか? 世の中にはいわゆる「知識」のほかに、「ものごとをうまくやるため」の知識が存在します。けれども、そういった知識はあまりにも身近なことなので、体系的に教わる機会はそうそうありません。「暗黙知」であり「ブラックボックス」なのです。 大学には世界中からたくさんの人が集まります。「あの人はどうしてあんなに頭がいいのだろう」と、自分の不器用さ、どんくささに悩むこともあると思います。そんな時はぜひ、この本を開いてみてください。明確なこたえは書いていないかもしれませんが、きっと「うまくやる」ための考えのタネが、書いてあるはずです。 ポッケやポーチに入るサイズで、気軽によめるのもうれしいところ。てはじめに、レポートがかけない、と悩んでいるあなた。この本をひらいて「文章」の項目をよんでみてはいかがでしょうか。人よりも「うまいやりかた」で文章がかけるようになるかもしれません。 (ラーニング・アドバイザー/地球 SUZUKI) ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1115869
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文章にひらがなが多い。書類の整理の仕方や情報の収集、活用法など今でも参考にしている。古典的名著だと思う
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いくら頭の良い人でも記憶はあいまいになるから記録が大切であると著者。 知的生産とは何かしらの新しいこと、本や資料、観察した事柄等々の様々な情報を記録して、つなぎ合わせたりして発見した事柄(これも情報)をわかり易く人に伝えること。 1969年が初版。情報の重要性について述べていま...
いくら頭の良い人でも記憶はあいまいになるから記録が大切であると著者。 知的生産とは何かしらの新しいこと、本や資料、観察した事柄等々の様々な情報を記録して、つなぎ合わせたりして発見した事柄(これも情報)をわかり易く人に伝えること。 1969年が初版。情報の重要性について述べています。 開発新人の時に習ったKJ法(ブレーンストーミングの後の情報整理する方法)を開発した川喜多二郎氏と同じ時代に生きた著者が、川喜多氏と同様な手法で、収集した情報の記録方法や整理方法、アウトプットする方法を考察されていて、40年以上経った今でも参考になる部分が多かったです。 自分で考えて試すことの繰り返しが重要であること、勇気をもらえます。
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〇研究の仕方の基礎のキをまとめた、研究者のバイブルであってもいい本 相当以前に書かれた本だ。1969年に第1刷が出て、わたしが入手したのは2015年の第94刷である。昔の本なのに読みやすいなぁと思ったら、改版して文字を現代の版に変えているために少し読みやすくなっていたことに後から...
〇研究の仕方の基礎のキをまとめた、研究者のバイブルであってもいい本 相当以前に書かれた本だ。1969年に第1刷が出て、わたしが入手したのは2015年の第94刷である。昔の本なのに読みやすいなぁと思ったら、改版して文字を現代の版に変えているために少し読みやすくなっていたことに後から気づいた。 読み始めてからも違和感を特に感じなかった理由は、改版されていたからだけではない。 なんとなく、今にも通じそうな話題ばっかりなのだ。 本書は、全11章の構成で、情報を入手する方法、情報を整理する方法、情報をアウトプットする方法の3つくらいに分かれているような気がする。 とりわけ、筆者は民族学の専門であったことからフィールドワークでの手法をどのように日常や学問に応用するかが考えられていて、詳しく、実践的だ。 ただし、情報を整理する方法については昔のように書斎を持って机がある生活をしている方だけではないだろうから、カードをフォルダにまとめ引き出しで一覧化する方法は難しいだろう。梅棹先生の方法に即して現状でできそうなことを考えるとすれば、先輩の職員がやっていた方法に、A4を8つ切りにした紙の左上にパンチで穴を開けリングを通し、それをメモ帳の代わりにするのである。そうすると、ジャンルごとにメモ帳に記入していき、1日もしくは1週間単位くらいでフォルダに整理すれば体系的に自分の考えをまとめることもできるのではないか。もっとも、A4サイズのフォルダでは大きすぎるので、A4サイズクリアファイルを4つ切りにしたサイズくらいでファイルを作るとちょうどよいかもしれない。 また、アウトプットの際は、"苦心して文章を短くすることの愚をさとった。みじかいことよりも、わかることのほうが大切である。(p226)"とあるように短くったって意味が通じないとその文章に意味はない、ということである。かといって長くあればあるほど良いと言っているわけでもないので中庸が肝心なのだろう。 総括すれば、タイトルは「知的生産の技術」であるが、知的情報を情報として生産するためには、整理するのが大事だし、どうわかりやすく伝えるかが大事だ、と言っているように感じます。 いまもうすでに通じなくなった話題と言えば、 p133からの第7章「ペンからタイプライターへ」という章だ。手紙を出すときに、手でローマ字で(こんにちは→konnitiha など)書くということから、タイプライターでローマ字で打つ、さらにそれをカタカナやひらかなで打つ、というところまで話が進んでいるのは、そのときの時代だろう。 そのタイプライターはワープロになり、パソコンへと進化していった。今では手紙の送付ではなくメールを送るというように行為そのものが変わっている。 また、日本語をいまのローマ字やひらがな・カタカナではない何か別の文字で表現しようとした学者もいたようである。 現代の研究者はこの梅棹先生の手法をどう真似しどう変革しているだろう。 決して現在の研究水準が劣っているわけではない。しかし、梅棹先生のやってきた基礎的な、あるいは現場での実際的な研究にはこの記録方法はかなり大きな役目を果たしたに違いない。 インターネットが発達した現代を、梅棹先生はどのように評価し活用するだろうか。
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ただのメモ ・本より ★私見 ----- ★京大型カードは初耳。大きめのカード ★調べたところ、サイズのA系は世界共通、B系はお役所でよく使われるらしい ・メモを書くのは覚えるのではなく忘れるため ・見返す時には忘れているので未来の自分=他人に向けて書く ★学生の時は覚えるために...
ただのメモ ・本より ★私見 ----- ★京大型カードは初耳。大きめのカード ★調べたところ、サイズのA系は世界共通、B系はお役所でよく使われるらしい ・メモを書くのは覚えるのではなく忘れるため ・見返す時には忘れているので未来の自分=他人に向けて書く ★学生の時は覚えるために書いたので逆だ ・分類はゆるい方がメモとメモを組み合わせやすい ・ノートではなくカードに書くと書き出す量(自分の価値)の少なさにがっかりするが、まずはそれを乗り越えないとカードへのメモは定着しない ★カードにするつもりはないけれど、なるほど ・整頓とは見た目がきれいなこと、整理とは必要な時に取り出せるようになっていること ★整頓より整理が重要 ・読書記録と感想文は別に整理する ★自分は欲しいものリストはamazon、読書記録はブクログ、感想はノート→ブログ ・新しいことを書いた本は引用や参考文献が少なくなる。参考文献の少なさは恥じることではない ★?ローマ字運動、今はどうなってるか ・新字論はだめ。どんなに素晴らしくても流行らせられない ★世界共通言語(エなんとか)みたい ★?漢字が残った日本と消えた韓国の違いとは ★出した手紙のコピーを控えるのはいいアイディアだ ・物事はなるべく記憶するのではなく記録するのが知的生産する人の基本的心得 ・「やがて情報科ができる」文章整理、情報整理 ★?情報科ができたけど、実際どうか ★私の大学はもっと公共的な整理術だった。十進分類法とか ★Trelloアプリで「こざね法」できるな --- ★戦後の知的活動の移り変わりが読めて面白い ★日記についての話もあった --- 気になった参考書籍 『知的生産者たちの現場』藤本ますみ
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古い本だが,日々考えるアイディアや,気づきなど無駄にせず,活かす技術が書かれている. 現在なら,様々なツールで代用できそうだ. アナログとデジタル,各々のツールの使い分けの参考にもなりそう.
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新しい実用本ばかり読む自分にとって、1960年代の書籍を最初から最後まで読了するというのは珍しい経験かも。だいたい皆同じ感想を持つと思うが、知的生産の技術は、時代が変わっても原理原則は変わらないことを認識させる。 「発想はメモに残す」 ヒラメキやアイディアを宇宙線に例えていて...
新しい実用本ばかり読む自分にとって、1960年代の書籍を最初から最後まで読了するというのは珍しい経験かも。だいたい皆同じ感想を持つと思うが、知的生産の技術は、時代が変わっても原理原則は変わらないことを認識させる。 「発想はメモに残す」 ヒラメキやアイディアを宇宙線に例えていて面白い。<誰の頭にも平等に宇宙線は降り注いでいるのに>、メモに残す人と残さない人がいるという表現。梅棹先生にはカードと万年筆があった。我々にはスマホがある。Evernoteがある。ブログがありTwitterがある。これ以上ない検索性。ありがたい時代だなと思う。 「複写を残す」 この時代、複写といえば、ペンと紙で書き写すことを言った。<提出論文の複写>って今と当時の違いを想像するだけで気が遠くなる。現代に生まれてよかった・・・。 「ノートからカードへ」 整理法を変えていく過程は丁寧に書かれていて、とても納得感の感じられるものである。工夫、こだわり、思い切りの積み重ね。この方の場合、周りの研究者のやり方を取り入れたり参考にしたりと、本人も友人に恵まれていると書く通り、周囲との切磋琢磨による工夫改善が優れている。そのうちの一人にKJ法の川喜田二郎がいるというのも素敵すぎるエピソードです。 「線の引き方=二重読み」 読書時に、2本以上のペンや色を使い分けるとき、そのルールが人によって違うのが面白い。梅棹は、「大事なところ」と「面白いところ」で線を引き分けるという。前者は筆者の主張に追随して感心したところ、後者は読者である自分の感じ取ったこと。後者を「筆者とは別の『あらぬこと』を考えながら読んでいることの証拠」とした表現が面白い。本を二重に読むということ。割と誰もがしていると思うが、プロになるほど、聞かれて答えられるような明確なルール化があるように思う。 院に、「納得したこと」と「納得できない腹が立つこと」の二色に引き分けているという先生がいた。社会学の先生っぽくてこれも面白いね。 「読むと”みる”の違い」 耳の痛い話。本は最後までしっかり読了するものと、つまみ食いして読むものがあるけれど、前者を「読む」として、後者は「みる」とする。本にはその構成も含めて著者の思考体系があるわけだから、「読んだ」本でないかぎり、少なくとも批評はしないという。これは現代社会への教訓と思う。ネットにおけるキュレーション(まとめサイトみたいな)の盛り上がりで、情報とはつまみ食いする(べき)ものだと、いつのまにか道理となってしまった気がする。ナナメ読みならまだいいが、目次を見て関心の無いところは読むなと指南する者までいる。論文だってアブストラクトと本文の最後しか読まなかったりするのは当たり前。でもそれじゃ本質に触れたことにはならないんだよね。確かに。 ”みた”だけで、読んだ気にならないようにしたいと思う。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
著者は、日本の文化人類学の先駆者で京都大学名誉教授の梅棹忠夫氏。京都大学時代、今西錦司、森下正明、梅棹忠夫、吉良竜夫などと探検隊を結成した方でもあり、同世代にKJ法で有名な川喜田二郎がいます。この本は今では相当年月が経ってしまいましたが、個人的には一度は目を通しておきたい本でした。 筆者は、人間の知的活動を教養としてではなく、社会参加の一つの方法としてとらえ、「知的生産の技術」を整理しました。当時、1960年代後半、会社に新しいシステムや機械が次々に導入されていましたが、革命は個人の能力には及ばず、個人の知的生産力が発揮できていないことを問題視されていたようです。つまり、筆者自身は組織の人材のスキルアップに注目されていたのですが、その重要性は今も変わらないと思います。 ツールとして、筆者が考案した京大型カードの紹介がされています。カードはB6版で本書の中で作成方法から使用方法まで詳細に記述されている。なお、アイデアは当時、ヒマラヤで調査していた川喜田氏の野外調査法の体系化の論文であるとのこと。 文章の書き方について、筆者の考え方が書き綴られていて面白かったです。まず、いい仕事をした人がおそまつなものしか書き残していないことに驚かされると述べられており、筆者自身も遅筆で文章アレルギーに近いとまで書いておられます。ただ、一方で、文章を書ける人は、うまれつきの才能もあるが、教育と訓練におうところが大きいと述べており、梅棹氏の書かれた本は実際にはとても多いと思います。文章として書き残すことについて、とても肯定的に考えておられたのでしょう。 さて、具体的な文章の書き方についてです。まず、書くという作業は、①「考えをまとめる」、②「実際に文章に書き表す」という2つの段階で構成されるといいます。そして、第一の「考えをまとめる」作業が実は非常に重要であると指摘されています。この重要な作業に役立つ方法として、「こざね法」という方法を紹介されており、この方法は個人用・密室向きのKJ法のようなものだそうです。筆者は、「人間の頭の中はシリメツレツなものであり、知識やイメージがめちゃくちゃな断片として詰まっており、論理的かつ整然と意識の表面に出てくるものではない」と言っています。現在でも意外と使えるかもしれません。
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【感応電流のための読書】 読書には食物と同じように、糧となる知的生産の為の読書と味わう為の読書がある。糧とするためには、著書を正確に理解する事とは別に、自分にとって発見があった箇所をカードにまとめる事で、本に書かれている内容を越えた知的生産のための素材を獲得できる。 このように本...
【感応電流のための読書】 読書には食物と同じように、糧となる知的生産の為の読書と味わう為の読書がある。糧とするためには、著書を正確に理解する事とは別に、自分にとって発見があった箇所をカードにまとめる事で、本に書かれている内容を越えた知的生産のための素材を獲得できる。 このように本の正確な理解に加えて、本をダシに自分の思想を開発する「感応電流」を起こす事が知的生産の読書で重要である。
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1969年に初版が出版された。電子計算機やインターネットの発達によって、この本が出版された時代とは情報管理の「作業方法」は全く異なる。しかしながら、一部を除き、全編にわたり普遍性のあるこの本は、是非とも手元に置くべき。学生時代に読みたかった。
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