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暗黙知の次元 の商品レビュー

3.9

49件のお客様レビュー

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2020/06/07

音、映像などと表現方法が広がるについて、「語れる」「伝えられる」範囲は広がったのか、それともそれを知覚することは相手に委ねられているから変わらないのだろうか、などと読みながら考えた。十分理解したとは言い難いので、何度か読み返すと解釈が変わってくるんだろうな。

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2020/05/02

身体知を学ぶ人はやはり一度は読むべきであろうが、感銘を受けるかと言われれば、ちと違う気がする。あくまでも私見。

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2019/02/07

いわゆるSECIモデルなどででてくる「暗黙知」について、原典を確認するため読んでみた。 安富歩さんが、「暗黙知」は、"tacit knowing"であって、"tacit knowledge"ではないといっていたのを念頭に置きながら読むと、...

いわゆるSECIモデルなどででてくる「暗黙知」について、原典を確認するため読んでみた。 安富歩さんが、「暗黙知」は、"tacit knowing"であって、"tacit knowledge"ではないといっていたのを念頭に置きながら読むと、なるほど、理解が進む。暗黙的な知ることのプロセスなしには形式的な知識がそもそもありえない、つまり、一体のものであることがわかる。 だが、この本の議論は、「暗黙知」でおわらない。それは単なる入り口である。その後、創発のはなしがでてきて、自然の階層的秩序形成、そして、生物の発生や進化、人間の心の発生などの創発に進む。 そして、そうした「創発」について、なぜそうなるか、ということを説明することはできない、とポラニーはいう。 で、最終的には、「科学」に関する認識論(ちょっと、「パラダイム」の議論に似ている)や科学をイデオロギーに従属させようとする社会主義への批判、ある種の宗教的な世界観が肯定される。 これが、いわゆる「科学哲学者」ではなくて、自然科学を自身でしっかりやっている人からでてきたのは驚き。 科学的な議論をしっかりと積み上げなら、自己組織化的な世界観にいたり、「科学主義」や社会主義への批判に展開していくハイエクの議論に似ている感じもあるかな? で、SECIモデルとの関係では、たしかにそれは「暗黙の知識」と「形式的な知識」が別々に存在するかのようなステップ論、サイクル論になってはいるが、SECIモデルでもスパイラルアップな知識創造、自己組織化みたいな概念もあるわけで、そこまでポラニーの言っていることの誤解というわけでもなさそう。 とはいえ、ポラニーのこの本を読んじゃうと、なんかSECIモデルが薄いものに見えてしまうのも事実。。。。

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2019/01/20

世の中の科学者コミュニティ(アカデミア)への信頼感というものがどこから生まれてくるのかという点について、昔から色々思うところがありましたが、本書を通して科学者たちのリスクを伴う決断を通して科学の発展が続いていくのだという発想に触れて、再び多くの疑問が湧き上がってきました。 一読し...

世の中の科学者コミュニティ(アカデミア)への信頼感というものがどこから生まれてくるのかという点について、昔から色々思うところがありましたが、本書を通して科学者たちのリスクを伴う決断を通して科学の発展が続いていくのだという発想に触れて、再び多くの疑問が湧き上がってきました。 一読して理解しきれる本ではないので時間を置いて再読してみたいです。

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2018/11/18

私は人間の知を再考するにあたって、次なる事実から始めることにする。すなわち、私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる(18) すなわち、私たちは、自己表現するための適切な手段を与えれさえすれば、誰かの人相についての認識をいずれは伝えることができるということだ。しかし...

私は人間の知を再考するにあたって、次なる事実から始めることにする。すなわち、私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる(18) すなわち、私たちは、自己表現するための適切な手段を与えれさえすれば、誰かの人相についての認識をいずれは伝えることができるということだ。しかし警察がこの方法を使っても次の事実は変わらない。すなわち、私たちが、その方法以前に、言葉にできるより多くのことを確かに知っていた、ということである。(19)

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2018/11/05

とにかく小難しく書いてあるが今に通じる色々な側面がある。暗黙知という概念は、直接でなくとも現在の認知科学につながっている感がある。対象への棲み込みみたいな話は、暗黙知の直系子孫だ。複雑系なんかもコンセプトは近いような。 進化論についての直線的・進歩的な考え方は、まあ時代が時代な...

とにかく小難しく書いてあるが今に通じる色々な側面がある。暗黙知という概念は、直接でなくとも現在の認知科学につながっている感がある。対象への棲み込みみたいな話は、暗黙知の直系子孫だ。複雑系なんかもコンセプトは近いような。 進化論についての直線的・進歩的な考え方は、まあ時代が時代なので仕方が無い。そのあたりはライバルであるマルクス主義と同じ次元にいるのだろう。

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2018/10/09

言語化することが困難な、場合によっては意識の閾下での出来事に影響される暗黙知。 暗黙知というものを解説しつつ、 暗黙知、創発によってこそ創造的独自性が発揮されるということを なんとか言語化しようと試みているため、 文章が右往左往することが多く難解に感じる。 そもそも非言語的なも...

言語化することが困難な、場合によっては意識の閾下での出来事に影響される暗黙知。 暗黙知というものを解説しつつ、 暗黙知、創発によってこそ創造的独自性が発揮されるということを なんとか言語化しようと試みているため、 文章が右往左往することが多く難解に感じる。 そもそも非言語的なものを言語化しようとしているのでそれは致し方ないのかもしれない。 しかし本書を読んでいると、ソビエト連邦の科学に対する姿勢というものに驚かされる。 そういった歴史的背景を知るという側面からも意義深い一冊。

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2018/02/10

マイケルポランニー 「 暗黙知の次元 」 哲学、進化論、科学論、社会学 と 知 の関係を整理した本。何度読んでも 全体を通じたテーマが理解できない きつい読書だった 著者が伝えたいことは *知の暗黙性 *知が創発に由来している点 *知の探求者による社会を維持できるか(高次の道...

マイケルポランニー 「 暗黙知の次元 」 哲学、進化論、科学論、社会学 と 知 の関係を整理した本。何度読んでも 全体を通じたテーマが理解できない きつい読書だった 著者が伝えたいことは *知の暗黙性 *知が創発に由来している点 *知の探求者による社会を維持できるか(高次の道徳的概念により) 暗黙知とは *ビジネスの暗黙知とは 少し違う概念→暗黙知とは 知覚された対象を介して神経過程を感知するための方法 *二条件が必要→近位項(諸要素からなる)+遠位項(諸要素が包括された意味からなる) 「暗黙知→内在化→包括化」 身体と事物の衝突→その衝突の意味を包括(理解)→周囲の世界を解釈 包括的存在と個々の諸要素との関係 *二つの実在レベルの関係 *高位の実在レベルが 低位の実在レベルの境界条件を制御 *個々の諸要素は 包括的全体の中で見出される=諸要素は全体に従属している 探求者の社会 *他の人には見えない問題を 自分の責任において探求する *探求者の社会では 人間は考えている *相互に及ぼし合う権威によって制御されている 「高次の段階は 低次の段階に根を下ろしている」 道徳的発展(高次段階)が実現するのは 物質的利益を目的とする社会(低次段階)の範囲内にすぎない

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2018/01/29

「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる。」 ・ 「私たちが言葉が意味するものを伝えたいと思うとき、相手側の知的な努力によって埋めるしかないギャップが生じてしまうものなのだ。私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれがきちんと伝わ...

「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる。」 ・ 「私たちが言葉が意味するものを伝えたいと思うとき、相手側の知的な努力によって埋めるしかないギャップが生じてしまうものなのだ。私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっているのだ。」 ・ 「私たちは、技能の遂行に注意を払うために一連の筋肉の動作を感知し、その感覚に依存している。私たちは、小さな個々の運動〝から〟それらの共同目的の達成〝に向かって〟注意を払うのであり、それゆえ、たいていは個々の筋肉運動それ自体をあきらかにすることはできないのだ。」 ・ 「人が対象を見るときの見方は、その身内に生起する特定の努力、しかも当人にはそれ自体として感じることのできない努力を感知することによって決まる。私たちは、注目している対象の位置、形、運動を介して、そうした、自分の身内で進行している事態を感知する。言い換えるなら、そうした内部のプロセス〝から〟外部の対象が有する諸性質〝に向かって〟注意を移動させているのだ。この諸性質は、身体的プロセスが私たちに示す『意味』なのである。こうした、身体的経験が外部の対象の近くへと転移される事態は、意味が私たちから転位していく事例であり、すべての暗黙的認識において、ある程度は出現する事態なのである。」

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2017/02/21

「科学とは何のために存在するのか・・・?」ということをしみじみと考える本である。本文はかなり難しいが、解説を参考にすると分かるように思える。 ポラニーは、科学は「懐疑主義」により事実上の無神論に陥っていたとみなしている。そこで一部の勢力はソビエト共産主義に奉仕するために科学は存...

「科学とは何のために存在するのか・・・?」ということをしみじみと考える本である。本文はかなり難しいが、解説を参考にすると分かるように思える。 ポラニーは、科学は「懐疑主義」により事実上の無神論に陥っていたとみなしている。そこで一部の勢力はソビエト共産主義に奉仕するために科学は存在する、と考えていた。ただいずれにせよ、それは彼は「懐疑主義」に堕しても、かつソビエト共産主義に奉仕する科学の姿も、それはどちらも違うだろうと考えた。その科学の「問題そのもの」をただ認識できる力が暗黙知であり、それが原動力だ、とする。 ヴィトゲンシュタインが対比として解説で出されている。彼はいったん哲学を「総決算」したかのようにしており、一定の周期でそのような人は哲学史にとどろく。中世から近世にかけてはデカルトがあてはまるだろう。ポラニーはそれに反対するタイプの哲学者であろう。「哲学」という「何かをしみじみと考えること」ということが、ポラニーからは伝わってくる。

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