中国に学ぶ の商品レビュー
結構古い本でして、昔ながらの文体というか何というか美文ではありません。したがってリズム感が少なくとも現在性を有しておらず読み辛い。 それでも幾つか印象的なコメントがあります。中国史を学ぶのは日本人たる自分を知るためとか、数十年スパンの観点からの某欧州企業の投資感覚の遠大性とか、欧...
結構古い本でして、昔ながらの文体というか何というか美文ではありません。したがってリズム感が少なくとも現在性を有しておらず読み辛い。 それでも幾つか印象的なコメントがあります。中国史を学ぶのは日本人たる自分を知るためとか、数十年スパンの観点からの某欧州企業の投資感覚の遠大性とか、欧州と比較した際の日本の(アジア)世界の把握の仕方の狭小さとか、あまりに現在を的確に言い当てていて、この本には歴史を学ぶ意味が確かに詰まっております。
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宮崎市定『中国に学ぶ』を読む。 「あとがき」にこうある。 中国を学ぶことは、中国に学ぶことに終わる。 ただし中国に学ぶとは、 何もかもすべてを肯定することではない。 学ぶためにはまず批判することが必要だ。 (中略) 私が中国から学んだ若干の事...
宮崎市定『中国に学ぶ』を読む。 「あとがき」にこうある。 中国を学ぶことは、中国に学ぶことに終わる。 ただし中国に学ぶとは、 何もかもすべてを肯定することではない。 学ぶためにはまず批判することが必要だ。 (中略) 私が中国から学んだ若干の事物のうち、 最後まで心の底に残るのは、 長い目で物を見ること、表面ばかりでなく 必ず裏面の存在を考えること、等の数端を最とする。 しかもこれを能くすることは、 何人にとってもはなはだ難い。 (p.339) 今年7月以降に上海、北京、瀋陽を仕事で訪れた。 特に東北随一の都市、瀋陽で街を散策し人を観察しながら ここには計り知れない巨大な謎が横たわっていると感じた。 瀋陽はかつての奉天であり、 日本の歴史とも密接にからまっている。 当たり前のように吉野屋がありUniqloがあり地元の人で賑わう。 表面ばかり見ていれば中国に学ぶことはできないと思った。 『アジア史概説』『中国史(上・下)』に続いて 本書を読んだのも、長い目で物を見、裏面の存在を考える力を 学び、養いたかったからだ。 「はしがき」の最後の一文に苦笑した。 世は白眼視しながらでも渡って行ける という余の発明からして どうやら中国に学んだ結果であるらしい。 (p.12) 軍部、官公庁、学会、マスコミなど、 そのときそのときの大勢、権力に安易に乗らなかった 硬骨の碩学に僕は惹かれる。 (文中敬称略)
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