権利のための闘争 の商品レビュー
中二病が疼く表現いっぱい。だからドイツを嫌いになれない。 法の健全さを保つためには個人が個人の権利を主張しなければならず、それは国家という共同体に属するものの義務である、というのが趣旨。 この趣旨にら賛同するけれど、エゴのままに権利意識を暴走させる例も多い。権利を適切に行使するバ...
中二病が疼く表現いっぱい。だからドイツを嫌いになれない。 法の健全さを保つためには個人が個人の権利を主張しなければならず、それは国家という共同体に属するものの義務である、というのが趣旨。 この趣旨にら賛同するけれど、エゴのままに権利意識を暴走させる例も多い。権利を適切に行使するバランス感覚に言及した論説はないんかね。
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Rechtは「権利=法」として訳されています。 「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である」 今、自分はそういう立場に置かれていて、ヒントが欲しく本書を手にとりました。 権利に対する攻撃が人格の蔑視を含む場合にのみ闘争に立ち上がることを求めるものである。 あ...
Rechtは「権利=法」として訳されています。 「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である」 今、自分はそういう立場に置かれていて、ヒントが欲しく本書を手にとりました。 権利に対する攻撃が人格の蔑視を含む場合にのみ闘争に立ち上がることを求めるものである。 あらゆる権利は戦いによって獲得されたもの。権利の侵害に対しては断固として戦わなければならない。
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「権利のための闘争は義務である」という主張。それだけ聞くと闘争好き・訴訟好きに聞こえるが、そうではない。権利侵害によって人格が踏みにじられる場合にのみ、権利主張は人格の自己主張であり、倫理的な義務であると説いている。そして、それは自分自身への義務であり、ひいては共同体への義務である。 言われてみるとその通りな点。「財産や権利は二つの顔をもつヤヌス神である。それらはある者にとっては享受と平和を、他の者は労働と闘争だけを割り当てられることがある。ある者にとって生活とは平和であり、別の者にとって生活は戦争である。」
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ローマ法研究から出発したイェーリングが、次第に概念法学への批判を強め、目的法学という見地を確立しつつある時に行われた講演をまとめたもの。不法によって自己の倫理的生命が脅かされたとき、人は権利を闘争Kampfによって実現しなければならない。そうした主観的意味における権利Rechtの...
ローマ法研究から出発したイェーリングが、次第に概念法学への批判を強め、目的法学という見地を確立しつつある時に行われた講演をまとめたもの。不法によって自己の倫理的生命が脅かされたとき、人は権利を闘争Kampfによって実現しなければならない。そうした主観的意味における権利Rechtのための闘争が、客観的意味における法Rechtの実現につながる。著者のおおよその主張は以上の通りであり、こうした権利感覚の重要性の強調は、正当防衛に関する記述や国際関係論などでの行き過ぎのように思われる主張を補って余りあるほど、法的実践にとって重要な意味を持っている。現代でも熟読されて欲しい著作の一つである。
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権利について熱く語る。権利はただそこに在るのではなく、常に戦い求め続けなければならないものである。そのためには、ぼんやりと坐しているわけにはゆかず、常に行動しなければならない。
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『権利のための闘争』にはこんな例が載ってます。あるイギリス人の旅行者が、宿で不当に多く料金を取られた。それを取り返すために滞在期間を延ばして訴訟を起こす。取られたお金よりももっとたくさんのお金を払って闘う。これは経済合理性で見たらバカじゃないかと思われるような行動ですが、この闘い...
『権利のための闘争』にはこんな例が載ってます。あるイギリス人の旅行者が、宿で不当に多く料金を取られた。それを取り返すために滞在期間を延ばして訴訟を起こす。取られたお金よりももっとたくさんのお金を払って闘う。これは経済合理性で見たらバカじゃないかと思われるような行動ですが、この闘いに彼が勝利することによって、彼のようなこのような被害を受ける人が少なくなるという大きなメリットがある。裁判まではいかなくても、日常生活で「闘うか、闘わないか」という状況におかれることはどんな人にもあり得ます。自分の損得ではなく、自分以外の誰かのために闘うことの意義に気づかせてくれる本です。 湘南OPAC : http://sopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1250028
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読了—6/26 2012 【感想】 本書で人間は、自己の倫理的生存条件を権利というかたちで保ち、それを守る存在と捉えられる。その上で、ただ狭い自己の権利を超えて法律の力と威信を維持し、国家共同体の秩序を維持するべく義務を負った「生まれながらの戦士」としての描かれる。法律の形成と権利の実行を「力」「闘争」の観点から考察し、法律学の限界を乗り越えようとする観点はかなり共有出来る。 イェーリングは言う、健全な権利感覚とは、自己に与えられた侵害行為に対して、反応する敏感さ(苦痛感覚)とそれを退ける意志(実行力)によって担保されると。残念ながら現代日本には「健全な権利感覚」は無いように思える(過去にあったことは不平等条約改正への日本の熱意に見て取れよう)。 権利侵害の苦痛を感じる能力(苦痛感覚)及びそれを退ける意志(実行力)は、長い占領体制で決定的に欠落しているように感じる。イェーリングの言うように、健全な権利感覚は劣悪な状況によって歪み、鈍化し、萎縮することは想像に難くない。しかし、おそらくイェーリングの予想(p108)に反して不思議なことに、日本では国家が国民の権利感覚を醸成しなくても、国内的な安定は可能となった。これはなぜだろうか。 さらに一度、国家として長く権利感覚が鈍化した状態において、国家が国民の権利感覚を醸成することは、果たして議会制民主主義でいかに可能なのか。国民の代表として民意を体現する際には、政策には権利感覚の無さが反映され、それが国民との感覚と乖離しないものとして選好されるのがおちにならないだろうか。
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権利=法であろうか。 私をとりまく環境の多くにはルールが付与されている。 それらのルール(法)は、いかにして形成されてきたのであろうか。 本書では、法形成の歴史を人間の闘争の歴史に投射し、 一人一人が、法の下で利己的に訴訟を行ったとしても、それが法、ひいては社会秩序形成の礎となる、と主張する。 彼の根源は現実主義的であり、法を整備することは本質的ではなく、法を整備するために闘争を奨励することが社会秩序につながることを、ローマ法を紐解き、解説する。 講演内容をまとめた薄い本ではあるが、主張は頑健的である。
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内容としては、自己の権利を主張しなければ、それは自己の権利が蹂躙されても文句が言えないばかりでなく、社会秩序を乱す行為であるといったものである。 日本では自分のことを我慢してでも集団の平和を保とうとするきらいがあるが、この本を読んで思うに、実はそれは誰の得にもならないし、その集団...
内容としては、自己の権利を主張しなければ、それは自己の権利が蹂躙されても文句が言えないばかりでなく、社会秩序を乱す行為であるといったものである。 日本では自分のことを我慢してでも集団の平和を保とうとするきらいがあるが、この本を読んで思うに、実はそれは誰の得にもならないし、その集団の本当の意味での秩序維持や発展は望めないと感じた。
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法は権利への闘争によって生きたものになる。専門家が与え国が運用し民衆がそれによって庇護されるだけの法は、人格を護るという観点がなくやがては法、国家そして国民自らを滅ぼす。 今日の日本では、政治については市民参加(これも概念の曖昧な言葉である)がよく議論されるが、法については法学...
法は権利への闘争によって生きたものになる。専門家が与え国が運用し民衆がそれによって庇護されるだけの法は、人格を護るという観点がなくやがては法、国家そして国民自らを滅ぼす。 今日の日本では、政治については市民参加(これも概念の曖昧な言葉である)がよく議論されるが、法については法学者に任せきりの風潮がある。法学者が司法制度改革を99年ごろから進め、裁判員制度や新司法試験導入が試みられている今日、我々国民が再考すべき、国家の法と自らの権利についてどう向き合うべきかの根本を考えさせられる古典。
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