抄訳版 失われた時を求めて(1) の商品レビュー
シリーズが長いと定評ですが、本当に長いのはその記述ですね。ページが文字でぎっしり埋まっていて、それだけでも圧倒されます。話自体はシンプルなようですし、登場人物一覧表もついているので、ゆっくり読んでいきたいと思います。
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やっと読み始めた。それも3冊にまとめてある抄訳版の一冊目を何とか読み終わったのである。 なるほど、 プルースト研究者でもある訳者鈴木道彦氏のあらすじがほどよく、解説もすばらしい。本文の挿入もさすがに、ここぞというところが選んである。 それでもこの小説は、その挿入の短い本文でさ...
やっと読み始めた。それも3冊にまとめてある抄訳版の一冊目を何とか読み終わったのである。 なるほど、 プルースト研究者でもある訳者鈴木道彦氏のあらすじがほどよく、解説もすばらしい。本文の挿入もさすがに、ここぞというところが選んである。 それでもこの小説は、その挿入の短い本文でさえ、なんと読みでがあることか。 むしろ、あらすじを追っての物語展開は複雑で興味が尽きない。この紺膨大な小説はあらすじを把握して細部を楽しむのがいいのだろう。と思われた鈴木道彦氏は明察の人である。 この小説の、名もなき語り手が語る心の動き、繊細で詳細に綴ってあり、さらに比喩を用いて説明してくれるのだが、その例に挙げてあるたとえがまどろっこしい、めんどくさい。眠りにつく際の描写や景色の見方の克明さ、音楽や絵画についての考察は微に入り細をうがち「もういい!」というぐらい。もちろん文学についてはもっと真剣だ。 そう、小説家になりたい語り手の使命感を解き明かしているのだが、本筋がどれで、たとえがこれでと、よーく見極めないと何が何やらわからなくなってしまうのだが。 「美しい作品がそれまでに読んだ美しい作品を基準にするのではなく、固有の美である」と作家道を説かれると(集英社文庫・抄訳版、344P)やはりこれは文学について真実を語っていて、それをおもしろがる向きにはもってこいだ。 と、「抄訳版の1」を読んだだけなのに目が離せない作品である。しかし、抄訳版2、3と読み進むのもしんどいのに、まして、これを機会に完訳版をどうぞと鈴木氏、手を出せるかどうか・・・。
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大きくなっても、ほかの大人たちのばかげた暮らしぶりなど決して真似しない、パリにいても、春になったら知人を訪ねてくだらない話に耳を傾けるのではなく、最初に花開いたサンザシを見に田園へ出かけてゆくだろう。
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≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫の引用から興味を持って。 長い。果てしなく長い。これ抄訳だからまだ読めるだろうけれどこの厚さを十五冊とかプルーストは手が痛くならなかったんだろうか……。 母は、「プチット・マドレーヌ」と呼ばれるずんぐりしたお菓子、まるで帆立貝の筋のは...
≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫の引用から興味を持って。 長い。果てしなく長い。これ抄訳だからまだ読めるだろうけれどこの厚さを十五冊とかプルーストは手が痛くならなかったんだろうか……。 母は、「プチット・マドレーヌ」と呼ばれるずんぐりしたお菓子、まるで帆立貝の筋のはいった貝殻で型をとったように見えるお菓子を一つ、持ってこさせた。少したって、陰気に過ごしたその一日と、明日もまた物悲しい一日であろうという予想とに気を滅入らせながら、私は無意識に、お茶に浸してやわらかくなったひと切れのマドレーヌごと、ひと匙の紅茶をすくって口に持っていった。ところが、お茶のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあるのに気づいて、びくっとしたのである。 (中略) そのとき一気に、思い出があらわれた。この味、それは昔コンブレーで日曜の朝(それというのも日曜日には、ミサの時間まで外出しなかったからだ)、レオニ叔母の部屋に行っておはようございますを言うと、叔母が紅茶か菩提樹のお茶に浸してさし出してくれた小さなマドレーヌの味だった。プチット・マドレーヌは、それを眺めるだけで味わってみないうちは、これまで何ひとつ私に思い出させはしなかったのだ。
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僕が紆余曲折の後にたどり着いたのがこの抄訳版。 一杯の紅茶とマドレーヌでここまで文章を繋げられるのかと表現の引き出し方に驚かされる。 全訳ではないので注意。 本来はじっくりと時間をかけて読むべき作品なのだろうが、「意識の流れ」を扱った作品なので、全体の「流れ」を”飽きず”に汲み取...
僕が紆余曲折の後にたどり着いたのがこの抄訳版。 一杯の紅茶とマドレーヌでここまで文章を繋げられるのかと表現の引き出し方に驚かされる。 全訳ではないので注意。 本来はじっくりと時間をかけて読むべき作品なのだろうが、「意識の流れ」を扱った作品なので、全体の「流れ」を”飽きず”に汲み取りたかった。そういう意味で抄訳はうってつけ。日本語翻訳文章がやや苦手な自分でも1巻を読了できた。 プルーストの表現を堪能したいという人には全訳をおすすめする。
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ちゃんと、ちくま文庫で全訳を読みましょう。文体も、読みやすくしたつもりでしょうが、壮麗さに欠けます。原書だって、それなりに壮麗です。それから、肝心なところが抜けてます。登場人物リストのところしか読むべきところはありません。「小説のおもしろさ」というものがあるとすれば、細部にしかあ...
ちゃんと、ちくま文庫で全訳を読みましょう。文体も、読みやすくしたつもりでしょうが、壮麗さに欠けます。原書だって、それなりに壮麗です。それから、肝心なところが抜けてます。登場人物リストのところしか読むべきところはありません。「小説のおもしろさ」というものがあるとすれば、細部にしかありませんので、輝かしい細部が「失われた」抄訳というのはいかがなものか。「失われた」細部を「求めて」古本屋へ走りましょう。
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マドレーヌと1杯の紅茶、静かな小道・・この世界の雰囲気が好き。抄訳版ではなく、私は全訳を少しずつ、美味しい高級なお菓子を味わうようにして、年数かけて楽しんでいます。
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マドレーヌと1杯の紅茶、静かな小道・・この世界の雰囲気が好き。抄訳版ではなく、私は全訳を少しずつ、美味しい高級なお菓子を味わうようにして、年数かけて楽しんでいます。
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すみません。まだ第1巻の3分の2しか読んでません。何しろ、時間が掛っています。 とんでもない本を読み始めてしまいました。ただし、抄訳版ですが…。 高校生の頃、なぜこの小説を知ったのか覚えていませんが、ずっと読みたいと思っていました。 しかし、その長さ(『源氏物語』よりも長い!)と...
すみません。まだ第1巻の3分の2しか読んでません。何しろ、時間が掛っています。 とんでもない本を読み始めてしまいました。ただし、抄訳版ですが…。 高校生の頃、なぜこの小説を知ったのか覚えていませんが、ずっと読みたいと思っていました。 しかし、その長さ(『源氏物語』よりも長い!)と全体構造が捉えにくいと言われていたため、手を出すことができずに30年以上の年月がたってしまいました。 先日、書店の文庫棚で、集英社文庫から出ている、鈴木道彦訳の抄訳版を見つけたのです。(読んだことがないのに)とても懐かしく思い、第1巻をほとんど衝動買いしてしまいました。 読み始めた最初から、もう錯綜した人間関係を理解するのが難しくなってきましたが、訳がとても分りやすく意外と入り込んで行くことができます。また、抄訳版のため、抜粋した部分の間には訳者によるあらすじが挿入されているので、全体像がとても掴みやすくなっています。 それでも、いつも読んでいるような日本の作家の小説に比べると、とんでもなく時間が掛りそうです。 抄訳版でさえ読破できるかどうか不安なのですが、いつの日か、全訳を読んでみたいと思います。
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