翔ぶが如く 新装版(一) の商品レビュー
竜馬が好きです。 でも、この本を読んでいたら 西郷どんってどんだけいい人なんじゃろーって思った! カリスマ性なんて言葉じゃ片付けちゃいけないと思った。 そのぐらいいい人なんです。
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明治維新とともに新政府が立ち上げる。その政府の抱える問題に、西郷が唱える征韓論がある。新政府の取り組み、特に外国からの知識の習得が紹介され、また、西郷の苦悩のはじまりが描かれている。
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明治維新の立役者たちの、政府創世記。 倒幕のエネルギーの中で、新しいものを運用するための日本人のルール作りの苦手さを感じることが出来る。 西郷隆盛という幕末の志士を中心とした話である(今のところは)。 ちょっと小説でも読んでみようかと思って手に取った司馬遼太郎。 普段小説を読ま...
明治維新の立役者たちの、政府創世記。 倒幕のエネルギーの中で、新しいものを運用するための日本人のルール作りの苦手さを感じることが出来る。 西郷隆盛という幕末の志士を中心とした話である(今のところは)。 ちょっと小説でも読んでみようかと思って手に取った司馬遼太郎。 普段小説を読まないので、この手の硬めのものならなじむかなと。 賢人は歴史から学ぶと言うこともあるし、歴史小説で最も有名な著者の作品を選んだ。 で、翔ぶが如くになったのは、単純にそれが図書館にあったから。 読んでみると、それなりに読める。 単行本のサイズの割には、読む時間もそれなりにかかる。 関連知識が乏しいため、状況を整理しきれないところもあるが、もう少し読んでみようという気になった。
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全10冊。 我ながらよく読んだと思う。 明治維新後何が起きていたのか、教科書ではさくっと流されてさっぱりだったのが、多少は頭に入ったような・・・とはいえいまさら知ってどうなんだろうか・・・・。 そして、いまいち好感の持てなかった西郷隆盛、、益々好感度が下がった。
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維新後の日本国作りというものは、会社の経営と似ていた部分があるのかも知れません。経営者は風土作りに頭を悩ませ、意見と見聞と実行実践をしていきます。実名人物が各人キャラクターがあって、まさに小説の如く面白いです。幕末から日本敗戦にいたるまでの道のりを知りたい方が読んでみたら、いっそ...
維新後の日本国作りというものは、会社の経営と似ていた部分があるのかも知れません。経営者は風土作りに頭を悩ませ、意見と見聞と実行実践をしていきます。実名人物が各人キャラクターがあって、まさに小説の如く面白いです。幕末から日本敗戦にいたるまでの道のりを知りたい方が読んでみたら、いっそう興味深く読み進んでいけると思います。昭和の戦争をひもとくときに、幕末からの時代のうねりに伏線が張られていたことがわかってきます。
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全十巻です。かなり読み応えがありました。「燃えよ剣」の後に読みました。 西郷隆盛、木戸孝允のその後が気になったため、読み始めました。この作品は主人公が特定されておらず、登場人物が入れ替わるため感情移入は静ら買ったですが、明治という時代を感じることは大いにできました。 しかし、西郷...
全十巻です。かなり読み応えがありました。「燃えよ剣」の後に読みました。 西郷隆盛、木戸孝允のその後が気になったため、読み始めました。この作品は主人公が特定されておらず、登場人物が入れ替わるため感情移入は静ら買ったですが、明治という時代を感じることは大いにできました。 しかし、西郷隆盛はなぜ象徴になり行動力がなくなってしまったのか。残念でなりません。
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幕末の西郷隆盛・大久保利通を中心とした薩摩藩と西南戦争についての小説です。司馬遼太郎さんの司馬観と呼ばれる観点から、維新後の西郷隆盛・大久保利通を主とした薩摩藩がどのようなものだったか、そして、西南戦争が何故おこり、どの様なものだったかを10巻にわたって書いているうちの一巻めです...
幕末の西郷隆盛・大久保利通を中心とした薩摩藩と西南戦争についての小説です。司馬遼太郎さんの司馬観と呼ばれる観点から、維新後の西郷隆盛・大久保利通を主とした薩摩藩がどのようなものだったか、そして、西南戦争が何故おこり、どの様なものだったかを10巻にわたって書いているうちの一巻めです。
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司馬遼太郎の最高の駄作。10巻読み終えるのにかなり時間がかかった。良く調べたなぁと思うが、調べた事をダラダラと書いているだけ。
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両親が鹿児島出身って言うのもあって、ものすごく思いいれを持って読んだ小説なんだけど(司馬さんの小説で、3作品目ぐらいだったかな、読んだの)、本当に悲しかった。 それに、もう、結末は歴史で習って知ってたわけだから、どうしてもね、、、最後になればなるほど、どんどんページの進み方が遅く...
両親が鹿児島出身って言うのもあって、ものすごく思いいれを持って読んだ小説なんだけど(司馬さんの小説で、3作品目ぐらいだったかな、読んだの)、本当に悲しかった。 それに、もう、結末は歴史で習って知ってたわけだから、どうしてもね、、、最後になればなるほど、どんどんページの進み方が遅くなって、読むのにだいぶ時間がかかった。 でも、一番可哀想なのは、村田新八なんじゃないか、という気はする。 限りなく5に近い★4つ。 ちなみに、鹿児島に帰った時、村田新八のアコーディオン(手風琴って当時呼んでたみたいだけど)も飾ってあった気がする。
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明治維新後の日本の話しで、幕末に活躍した人達のその後の生き方を知れるということが面白い。続「竜馬がゆく」を読んでいるような感覚だ。作者の個人的感情がだいぶ入っているが、伊藤博文や大隈重信や板垣退助など、エラいことをやったと思われている人達の欠点を欠点としてはっきりと書いていて、彼...
明治維新後の日本の話しで、幕末に活躍した人達のその後の生き方を知れるということが面白い。続「竜馬がゆく」を読んでいるような感覚だ。作者の個人的感情がだいぶ入っているが、伊藤博文や大隈重信や板垣退助など、エラいことをやったと思われている人達の欠点を欠点としてはっきりと書いていて、彼らもその他と大差ない人間だということが感じられるというのは新鮮な感覚だ。教科書はその人間が行った実績や事実は書くけれども、その人はどういう人間であったかということまでは書かない。どこまでが真実でどこまでが司馬遼太郎の私見なのかはわからないけれども、明治の、今に名が残っている人々の生き方を知ることが出きるというのは面白い。 大久保には厳乎として価値観がある。富国強兵のためにのみ人間は存在する、それだけである。かれ自身がそうであるだけでなく、他の者もそうであるべきだという価値観以外にいかなる価値観も大久保は認めてない。 なんのために生きているのか。 という、人生の主題性が大久保においてはひとことで済むほどに単純であり、それだけに強烈であった。歴史はこの種の人間を強者とした。(p.76) 薩長の士は、佐賀人とは政治体験がちがっていた。個々に革命の血風のなかをくぐってきて、「才略や機鋒のするどさだけでは仲間も動かせず、世の中も動かせない」ということを知るにいたっている。むしろなまなかな才人や策士は革命運動の過程で幕吏の目標にされて殺されるか、そうでなければ仲間の疑惑をうけて殺された。たとえば幕末に登場する志士たちのなかで出羽の清河八郎、越後の本間精一郎、長州の長井雅楽、おなじく赤根武人といった連中は、生きて維新を見ることができたどの元勲よりも頭脳が鋭敏であり、機略に長け、稀代といっていい才物たちであったが、しかしそれらはことごとく仲間のために殺された。結局、物事を動かすものは機略よりも、他を動かすに足る人格であるという智恵が、とくに薩摩人の場合は集団として備わるようになっていた。(p.155) 江戸期の武士という、ナマな人間というより多分に抽象性に富んだ人格をつくりあげている要素のひとつは禅であった。禅はこの世を仮宅であると見、生命をふくめてすべての現象はまぼろしにすぎず、かといってニヒリズムは野孤禅であり、宇宙の真如に参加することによってのみ真の人間になるということを教えた。 この日本的に理解された禅のほかに、日本的に理解された儒教とくに朱子学が江戸期の武士をつくった。朱子学によって江戸期の武士は志というものを知った。朱子学が江戸期の武士に教えたことは端的にいえば人生の大事は志であるということ以外になかったかもしれない。志とは経世の志のことである。世のためにのみ自分の生命を用い、たとえ肉体がくだかれても悔いがない、というもので、禅から得た仮宅思想と儒教から得た志の思想が、両要素ともきわめて単純化されて江戸期の武士という像をつくりあげた。 西郷は思春期をすぎたころから懸命に自己教育をしてこの二つの要素をもって自分の人格をつくろうとし、幕末の激動期のなかにあってそれを完成させた。(p.220) 長州人の集団というのは薩摩人集団とちがい、頭目を戴くということを習慣としてもっていない。幕末、長州藩を牛耳った革命集団は書生のあつまりであった。かれらの師匠は死せる吉田松陰で、死者だけに頭目としての統率力はもっていない。長州の革命秩序は、せいぜい兄貴株の存在をゆるす程度であった。この兄貴株が、すでに亡い高杉晋作と、明治後まで生きて元勲になった当時の桂小五郎、いまの木戸孝允である。 木戸がもし薩摩にうまれておれば悠揚たる親分の風格を身につけたにちがいないが、長州人集団ではそういう型の人間を許容せず、書生気分を維持することを必要とする雰囲気があった。木戸は、あくまでも書生気質を維持している。(p.226) 斉彬はライフル銃を作ろうとした。かれは帰国の前日、幕閣に、ぜひ、そのめずらしいものを拝見したい、と乞い、一挺を借り、一晩でそれを分解して図面に写しとり、幕府に返し、帰国した。帰国後、からは「集成館」と名づけているかれの工場に、「これを三千挺つくれ」と命じた。集成館には、この小銃をつくるだけの工作機械がそろっていたのである。ペリーも、かれが愚弄した日本国のなかでライフル銃を大量製造しうる侯国が存在していることを想像すらできなかったであろう。物理学や化学などの基礎学問や応用化学や機械学などもアメリカのハイスクールやその種の職業学校程度で教えられているぐらいの内容のものは、肥前佐賀藩や薩摩藩ではすでにもっているということもペリーは知らなかった。(p.300)
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