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漢字と日本人 の商品レビュー

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50件のお客様レビュー

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著者は、もともと日本…

著者は、もともと日本語を学ぶ外国人のために書いたそうです。しかしそれが図らずも、日本人が漢字との付き合い方を考え直すための根本文書です。「とる」を「取る」「撮る」「摂る」「盗る」「獲る」「執る」「採る」「捕る」などと書き分けることの無意味さを知らされ、さりとて漢字との決別はできな...

著者は、もともと日本語を学ぶ外国人のために書いたそうです。しかしそれが図らずも、日本人が漢字との付き合い方を考え直すための根本文書です。「とる」を「取る」「撮る」「摂る」「盗る」「獲る」「執る」「採る」「捕る」などと書き分けることの無意味さを知らされ、さりとて漢字との決別はできないことがわかります。

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日本語は特殊な言葉だ…

日本語は特殊な言葉だと聞くことが多いが、自分は「そういうのってアレでしょ、『個性的な自分』とかの延長で『個性的な日本』と思いたいだけでしょ(笑)」とバカにしていたのだが、どうもある意味において日本語は本当に特殊らしいのである。特殊どころか「奇形」であるようなのだ、自己を記述する文...

日本語は特殊な言葉だと聞くことが多いが、自分は「そういうのってアレでしょ、『個性的な自分』とかの延長で『個性的な日本』と思いたいだけでしょ(笑)」とバカにしていたのだが、どうもある意味において日本語は本当に特殊らしいのである。特殊どころか「奇形」であるようなのだ、自己を記述する文字との関係が。 そして、日本語はどう奇形なのか?我々はそれとどのようにつきあっていくべきなのか? それをこの本は示している。また、日本語の音標文字化(と、それに伴う漢字廃止運動)について詳しく説明が

文庫OFF

2024/09/10

漢字とは、使い始めの歴史から、戦後の漢字撤廃や英語公用語化、英語や中国台湾との比較、当用漢字に制定などまで。そして数多くの用例の提示が非常に分かり易い。良書。

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2024/08/27

ネットで話題だったので手に取った。 新刊ではなく、すこし前の本だった。 3章が面白かった。 漢字を、外来の文化をむやみやたらに有難がる日本人の姿はずっと変わっていないんだなあ。 漢字の学習が苦手な子どもに毎日聞かされる不満にも、漢字を日本語に使う中での不具合=漢字を使う日本語...

ネットで話題だったので手に取った。 新刊ではなく、すこし前の本だった。 3章が面白かった。 漢字を、外来の文化をむやみやたらに有難がる日本人の姿はずっと変わっていないんだなあ。 漢字の学習が苦手な子どもに毎日聞かされる不満にも、漢字を日本語に使う中での不具合=漢字を使う日本語が実際的でないことには歴史的背景に裏打ちされた理由があるのだなーと、思わされました。

Posted byブクログ

2024/08/19

感想 音が伝える意味。文字があまりに多くの役割を担ってしまった。しかしもはや手放せない。どれだけ時代が変わっても付き合い続ける。便利だから。

Posted byブクログ

2024/02/05

漢字が日本に取り入れられた歴史がおもしろい。 漢字の音は、3~6世紀の中国南北朝の時代につきあいのあった漢人の南朝から呉音が朝鮮や対馬を経由して入ってきた。平安時代の初めに、遣唐使が学んだ長安の漢語が正音として取り入れられた(漢音)。鎌倉・室町時代には、主に僧侶によって南宋、元...

漢字が日本に取り入れられた歴史がおもしろい。 漢字の音は、3~6世紀の中国南北朝の時代につきあいのあった漢人の南朝から呉音が朝鮮や対馬を経由して入ってきた。平安時代の初めに、遣唐使が学んだ長安の漢語が正音として取り入れられた(漢音)。鎌倉・室町時代には、主に僧侶によって南宋、元、明の頃の漢語が伝えられた(唐音)。 呉音は、如来や供養、精進などの仏教関係、外科、小児科などの医学関係に残っている。呉音以前の音も、相(さが)、馬、梅、銭、竹などに残っている。 漢語がngで終わる音を日本語で表現するために、奈良・平安時代には「ウ」「イ」とし、鎌倉・室町時代には「ン」とした。鈴(レイ、リン)、燈(トウ、ドン)、請(セイ、シン)など。奈良より前は、相(さが)のように後に母音を付けた。 漢語がt,kで終わる一、律、結、日、節、力、直などの音には、「イ」「ウ」を付けた。pで終わる急、蝶などは、最初は「ウ」をつけて「プ」と発音したが、日本語がパ→ファ→ハと変化したことに伴って、「フ」→「ウ」→「ウー」が付くようになった。また、雑、立、執、合、甲、納などのように、日本でpがtに変化したものがある。なお、現代の漢語では、語尾のp,t,kはすべて脱落している。 仮名は本の行間に書き込みをすることから生まれた。カタカナは、漢字の部分をとって略すことで、ひらがなは漢字全体の姿を略すことで作られた。 明治以降、西洋の用語を訳すために、音を無視して文字の持つ意味だけを利用した和製漢語がつくられたために、耳で聞いただけでは意味が確定しない同音異義語が大量に生まれた。一方、日本の文字を音標化して漢字を全廃しようとする動きが生まれ、その過程として戦後の昭和21年に使用する漢字を制限する枠組みとして当用漢字が制定された。

Posted byブクログ

2023/08/09

家にあったので読んでみた。再読ではないと思うけど? おもしろかったです。 文字を持たなかった日本語に、日本語とは全く異なる中国語の文字を取り入れたから変なことになったといろいろ説明する本。 例えば、「カテーの問題」と言われたら、家庭か仮定か課程かを文脈で判断する。その際、無意識...

家にあったので読んでみた。再読ではないと思うけど? おもしろかったです。 文字を持たなかった日本語に、日本語とは全く異なる中国語の文字を取り入れたから変なことになったといろいろ説明する本。 例えば、「カテーの問題」と言われたら、家庭か仮定か課程かを文脈で判断する。その際、無意識に漢字を思い浮かべる。言語の実体は音声であるはずなのに、文字に結びつけないと意味が確定しないという奇妙な言語であることなど。 最後は国語審議会への苦言を通して、筆者の立ち位置を述べている。

Posted byブクログ

2023/02/18
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2016.06―読了 「漢字は日本語にとってやっかいな重荷である」 なるほどと膝打つ言語論にて誠に面白くもあり良書。 ‘01年初版第1刷で、すでに13刷を数えるというのも肯ける。

Posted byブクログ

2021/07/03

本来日本語を表記するのに漢字はまったくあっていないというのが高島先生のご意見で、本書もそれが前提で書かれている。日本語と漢語(シナ語)は言語として共通点がほとんどなく、もし日本列島が無文字の時代に漢字とアルファベットが周辺国で使われていたら、日本では間違いなくアルファベットが入っ...

本来日本語を表記するのに漢字はまったくあっていないというのが高島先生のご意見で、本書もそれが前提で書かれている。日本語と漢語(シナ語)は言語として共通点がほとんどなく、もし日本列島が無文字の時代に漢字とアルファベットが周辺国で使われていたら、日本では間違いなくアルファベットが入ってきたはずなのである。 さらには、日本語を表記するのに漢字を採用したことで日本語が日本語として成熟する事ができなかったとする。無文字時代の日本語では抽象的な概念を表現するコトバはほとんど無かった。本来はコトバが熟成していく中で、日本語で抽象的概念をあらわすコトバが出来てきたはずが、漢字で表現することを先に覚えてしまい、日本語での語彙がでてくる事がなかったのである。かくして、漢字なしで日本語を表現できるすべがなくなったのである。日常的なできことの表現なら日本語だけで可能だが、抽象的な概念を使っての議論は漢字抜きでは成立しなくなったのである。 「みる」という日本語にあてられる漢字、見・観・視・看・診・覧・海松・水松、ATOKで変換してもこれぐらいがでてくる。高島先生に言わせるとこんな使い分けは無意味で「みる」と書くべしとのこと。この場合では観るをつかうとか、視るが正しいというような蘊蓄を垂れるのはナンセンスというのである。日本人は「みる」ときいたときに文脈から無意識のうちに該当する漢字を思い浮かべながら意味を理解しているというのであう。言語学では言語の実態は音声であり、文字はその影にすぎないとするが、日本語では文字が言語の実態になっており、漢字に結びつけて理解しないと意味が確定しない状態になっているとする。 「みる」は「みる」を書いて、一々漢字をあれはめる必要はないというのが先生の主張である。例えば英語で「take」はつかわれる文脈でいろんな意味を持つが、英語で「take」を書くときに意味に応じたかき分けがあるわけでは無く「take」はtakeとしか書かれない。 最後の数章は日本での漢字廃止運動について書かれている。先生も、和語を書く際には、一部のものはのぞいて仮名で書くのがよく、和語を漢字で書くのはよろしくないとする。しかしながら『「山」「水」「人」「家」のごとく、字もやさしく、またその意によってあてているものは、ながく習慣にもなっていることだからやむを得ない。特に「手」「目」「戸」「田」「根」「木」など一音のものはかながきするとまぎれやすいのでしかたがない。』とし、音読熟語についても漢字を使わざるをえず、この場合は「ほ乳類」「は虫類」といった書き換えはせず「哺乳類」「爬虫類」と書くべしとする。常用漢字はあくまでも漢字使用の目安で一般の社会生活で使われる日本語が対象だが、新聞社等マスコミがこれ幸いと使う漢字を制限しているという。一々活字を拾ってきて製版していた時代に使う漢字を制限するのは出版業界としてメリットがあったろうが、電子製版の時代にそのような手間かからなくなったのにである。 で、感想。高島先生の御説ごもっとも、であります。が、漢字が日本語をさらにゆたかにしてきたという事はありそうに思う。もともとの経緯はともかくとして漢文が日本文化にはたした役割とか見・観・視・看・診・覧といった使い分けが表記としての日本語をより豊にしているということもありそうである。いま「漢文の素養」加藤徹著をよんでいるが、漢字の果たした役割について高島先生とは違う観点からの考え方を知ることができそうである。

Posted byブクログ

2020/02/19

漢字は中国語に根ざす文字なので、言語体型が全く異なる日本語に移植すれば、「ムリ」が生じる。明治以降の新漢語の登場の影響もあって、日本語は同じ読みの言葉が多く文字がないと成立しない言語になってしまった。 今の新字体は戦中前後のドサクサに紛れて成立し、いずれは漢字の全廃を目指す取組の...

漢字は中国語に根ざす文字なので、言語体型が全く異なる日本語に移植すれば、「ムリ」が生じる。明治以降の新漢語の登場の影響もあって、日本語は同じ読みの言葉が多く文字がないと成立しない言語になってしまった。 今の新字体は戦中前後のドサクサに紛れて成立し、いずれは漢字の全廃を目指す取組の一環だった。 筆者の思いはわかるがもう少し感情を抑えた方が良いと思った。

Posted byブクログ