猿を探しに の商品レビュー
ノスタルジックなエッセイが多いと思った。少年時代に遡る話。奇想の冴えは相変わらずでこの点はもっと評価されても良いと思う。何気に知識を披露するあたりも凄味がある。マギー司郎のマジックの世界ですね。トボけた味わいを出しておきながら、いざという時に凄いトリックを披露するという。それは堂...
ノスタルジックなエッセイが多いと思った。少年時代に遡る話。奇想の冴えは相変わらずでこの点はもっと評価されても良いと思う。何気に知識を披露するあたりも凄味がある。マギー司郎のマジックの世界ですね。トボけた味わいを出しておきながら、いざという時に凄いトリックを披露するという。それは堂に入っているが、巻末の座談会(?)はギャグが滑っており悪い面が出たなという感も。馴れ合いを止めてもっとシビア/ハードなエッセイを書いて欲しいのだが、それは学術書になってしまうからダメなのだろうか。そのあたりが不幸な文筆家だと思った
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東大文学部教授にて名翻訳家のエッセイ集です。 エッセイストとしてもすぐれている方ですね。 軽妙な文体とでもいうのでしょうか、翻訳のうまい人は、当然ながら文章力がありますね。 ちなみに彼は村上春樹の翻訳の訳文をチェックする人でもあるそうです。 この本のジャケットは絵本作家きたむらさ...
東大文学部教授にて名翻訳家のエッセイ集です。 エッセイストとしてもすぐれている方ですね。 軽妙な文体とでもいうのでしょうか、翻訳のうまい人は、当然ながら文章力がありますね。 ちなみに彼は村上春樹の翻訳の訳文をチェックする人でもあるそうです。 この本のジャケットは絵本作家きたむらさとしさんによるもので、それも素敵で思わず買ってしまいました(ハードカバーで買いました)。 ところで、彼は教授なので、学生に教訓を垂れるエピソードが出てきます。 勝手に「教授=年配のおっさん」を想像していたら、この本を書いた当時彼は私よりも若かったと気が付き、唖然としました。 教授というのは、だいたいにおいて地味で顔色の悪い人たちと思うわけですが(筋肉粒々で日焼けしていて白い歯のスマイルがさわやかな大学教授というのはレアでありました)、そ・・・そうか・・・私が学生だったころ、さえないおっさん連中であった(はずの)彼らは、実は今の私よりも若かったのか! 「やっぱり僕、英語そんなにできないから」というコメントが出てきて笑いました。 同じく名翻訳者の仁平和夫も「英語なんてとても書けない」と書いてあって、笑ったことがあります。 平均的日本人からしたら恐ろしく英語ができるはずの彼らも、仕事柄真摯に英語に向き合うから結果「英語はやっぱりわからん」ってことになるんだろうなー。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
この本の中で共感できたことの一つに、「人間の時間がどんどん早くなっている」という柴田さんの考えがある。 携帯やパソコンなどで便利になった現代では、事柄そのものを効率的に処理できるようになった。 しかし、機器による時間短縮と仕事の細分化によって、人々の生活は楽になるどころか、仕事量自体が増えてしまっている。 人の時間は感覚的に加速し、柴田さんはそこに人類自滅への兆候をみている。 本来与えられた時間よりも駆け足で過ごす未来では、近く何かのひょうしにつまずいて、取り返しのつかない結果を招くのではないかなと不安に感じた。 と、ここだけ抜き出すとすごく堅い内容のようだけど、実際は柴田さんの自虐的なユーモアがふんだんに盛り込まれている一冊で、素直に楽しめました。
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試験期間が終わりかけているのでやっと息抜き向きの本を読むことができた。日常や文学やその他取るに足りない(失敬)ことがただただ綴られているだけなのに読み終わるのがもったいない柴田先生のエッセイ。 本の真ん中あたり、ダニエル・ソレル・クッシュマンの『五番目の車輪』を読みました、とい...
試験期間が終わりかけているのでやっと息抜き向きの本を読むことができた。日常や文学やその他取るに足りない(失敬)ことがただただ綴られているだけなのに読み終わるのがもったいない柴田先生のエッセイ。 本の真ん中あたり、ダニエル・ソレル・クッシュマンの『五番目の車輪』を読みました、というエピソードがあった。 どうやら和訳は出ていないようで、数行が柴田先生オリジナルの訳で抜粋で載っている。白鯨や変身など名作のパロディーが収められた短編集のようだが、読みすごせないおもしろさ。 すぐにググってみたがそんな本も著者も見つからず、しょうがないので読み進めると次のエピソードにアマゾンでも見つからないとの投書があった旨が書かれていた。じゃ、最後に真相を明かしてくれるのかと思ったら「見つかり次第ご報告します」とされて章が終わってしまった。 この幻の本に気をとられて先を読んでも身が入らない。 という結果に終わってしまった。 柴田先生の訳だからこんなに気になってしまうのか、本当に面白いのか、気になったまま。 最後の特別対談はいらないかな、という気がした。
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雑誌「大航海」に連載されていたコラム、「生半可な漂流者」(1997年〜2000年)の内容を主体に構成されたエッセイ集。今回もイラストを「きたむら さとし」が担当しており、同じ新書館から出されたエッセイ集「死んでいるかしら」の続編ともいえる。「まえがき」にならないまえがきとして書か...
雑誌「大航海」に連載されていたコラム、「生半可な漂流者」(1997年〜2000年)の内容を主体に構成されたエッセイ集。今回もイラストを「きたむら さとし」が担当しており、同じ新書館から出されたエッセイ集「死んでいるかしら」の続編ともいえる。「まえがき」にならないまえがきとして書かれている、本書のタイトルの決め方が著者らしい「いい加減さ」でおかしい。
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