虚無への供物 の商品レビュー
中井英夫の『虚無への供物』を初刊行時の「塔昌夫」名義で再現。 素人はだしのミステリ好きが、国内外の有名作を引き合いにして作り上げたシナリオに、事件の諸要素を当てはめようとすり合戦を繰り広げる。非常にメタフィクショナルな作品。 カーテンが開いて物語が始まり、カーテンが閉じて物語...
中井英夫の『虚無への供物』を初刊行時の「塔昌夫」名義で再現。 素人はだしのミステリ好きが、国内外の有名作を引き合いにして作り上げたシナリオに、事件の諸要素を当てはめようとすり合戦を繰り広げる。非常にメタフィクショナルな作品。 カーテンが開いて物語が始まり、カーテンが閉じて物語が終わる。 三大奇書のなかで一番読みやすい。
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アンチ・ミステリの最高傑作。ミステリ作品や用語が散りばめられておりミステリを読み慣れている中・上級者向けの作品。 一文が非常に長く「、」で無理やり繋げている印象がある。また、シャンソンや色彩、不動明王など身近ではない知識が必要なため読みづらさは否めない。 一方で4つの密室、推理合戦などミステリ好きが興奮すること間違いなし。 最後の100ページ程でそのワクワクが意図せぬ形で自分に跳ね返ってくることになる。それこそがアンチミステリと言われる所以であろう。 ともかくミステリ好きは一読の価値あり。
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タイトルや各章の見出しは、耽美を通り越してどうも中二病のはしり(中井英夫の数々のペンネームからしてそうだけど)のように思えるが、この美文は本当に読み応えがある。今はYouTubeでちょっと文字列を入力すればだいたいの音楽は聴けるいい時代だから、作中に登場するシャンソンもすぐにいち...
タイトルや各章の見出しは、耽美を通り越してどうも中二病のはしり(中井英夫の数々のペンネームからしてそうだけど)のように思えるが、この美文は本当に読み応えがある。今はYouTubeでちょっと文字列を入力すればだいたいの音楽は聴けるいい時代だから、作中に登場するシャンソンもすぐにいちいち聴いて、昭和ウン年代にいったようなつもりにもなれる。 ミステリーとして読むとなんか肩透かしではある。私みたいな鈍い読者でも犯人は割とすぐに検討がついたし、その犯人の殺しの動機というのも…「それは動機として成立するのか??ここまで引っ張っておいて、イマイチわからん!」という感じ。だけどそんなことは著者自身織り込み済みだろう。だってこの本は「アンチ・ミステリー」なんだから。こんなにうまい偶然が重なって、当初一つしか予定されていなかった殺人が、なんだか何倍までにも膨れ上がってしまうように見えるなんて、そんなことあるのか?お噺の筋としてはあまり出来がよくないんじゃないか?と思ってしまうかもしれないけど、けど現実って意外とそんなものなのかもしれない。誰だって「なんであの時こんなことが起こったんだろう、神仏の示し合わせか」というような経験はあるはずだ。 だから…本書が偶然の名を借りて現実の奇矯性を言い立ててるんだとしたら、不気味な本ではあるし、奇書と言われるもんなのかなと思う。
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日本三大奇書とはどれほどのものかと思って読んでみた。おもしろかった。びっくりするくらいおもしろかった。
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面白かったよー! けっこう好き嫌い分かれるらしいけど、自分は好き派。文章のかっこつけ具合がとても良かったので何もかも許す派。今作った一人派閥だ。 推理小説だと思って真面目に読むとイライラする部分もあるかもしれないです。 私も、後半、「新機軸の推理が登場→新事実判明で空振り」の繰り返しにはちょっとうんざりしましたし。牟礼田さんのドリーム小説にはキレかかりましたし。 でもそういう「もっとこう、驚愕の事実ってやつを見せなさいよ!」とか思うことが既にこの小説の術中にはまってる状態なんですよねー。 その部分を作者によるトリックとして捉えるかどうかが、好き嫌いの分かれ目か。 推理小説としてどうこう、っていうのから離れると、文章も素敵だし登場人物も良かったです。 最初、これは人物が多いから後々忘れそう…って思ってメモ取りながら読んでたんだけど最終的に必要なかった。確かに多いけど、いちいちキャラが立ってて判りやすいんだ。 お気に入りは久生さん! 彼女のお召し物の描写だけでご飯三杯はいけます。「UN-GO」みたいにアニメ化されたら「久生さんの荒ぶる場面集」みたいな動画見てニヤニヤしたい。 しかしアンゴがやってるような、時代を現代だか近未来に移してどうのこうのっていうのは難しいかもね。 1954年から55年が小説の時間なんだけど、戦争とか洞爺丸事件とか、当時の事件や世相が物語にガッチリ食い込んでるものねえ。 っていう一方で、何度か出てくる「この時代とはどういうものなのか」っていう語りの内容は、不思議なくらい2011年3月以降の様相と重なるような気もする… もっと思い切って推理小説から離れてみると、切ない恋愛小説として読むことも出来そう。 いやそれらしい描写はないよ。ラブシーンどころか恋愛っぽいシーン全然ないよ。でもそこはかとなく妄想させるものがあるんだよ! 私だけですか? 何故、亜利夫はゲイバーに通ってたのかな。藍ちゃんに蒼司の面影を見ていたんだろうな。蒼司のことはかなり好きで、何とかしてあげたい心境だったんだろうなー。 久生さんが探偵ゲームに執着したのも、このまま結婚して良いのだろうかって悩んでた部分があったから、かも。牟礼田のことは好きだけど、彼が自分を見ていないことに気づいてしまったのでは… 結局この二人がガッチリ振られて牟礼田邸を後にする場面で小説は終わっているのですが、ひっくり返すと物語を経て結ばれたカップルは蒼司と牟礼田ってことか。 この二人のやり取りってあまり作中には出てこないんですけど、全部読み終わってみると舞台の裏側にはカップル成立までのあれやこれやが存在したことがクッキリと想像されますよね! ますよねー! つまりあれだ、牟礼田の書いた小説にあった、眠りながら涙を流す蒼司を亜利夫と久生さんが目撃してしまうっていう所。 あの実際の目撃者は牟礼田なんだろうな、と。 切ないじゃないか… 誰かこの視点でお話を書いてください。
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無反省に”刺激”ばかりを追い求める人々への痛烈な警鐘。 人は自分の身を切られなければ、人の痛みが分らないものなのでしょうか。 そんな事は無いと言いながら、当事者にならなければ分らない苦しみは確かにあるのでしょうし、その苦しみが無くなる事はありません(癒える事はあったとしても) ...
無反省に”刺激”ばかりを追い求める人々への痛烈な警鐘。 人は自分の身を切られなければ、人の痛みが分らないものなのでしょうか。 そんな事は無いと言いながら、当事者にならなければ分らない苦しみは確かにあるのでしょうし、その苦しみが無くなる事はありません(癒える事はあったとしても) 安全な場所にいて、自分は痛みとは無縁なところにいれば、人はどんな痛ましい出来事にも、勝手知った顔をして色々と口を出すことが出来るものなのでしょう。 虚無への供物 読後詩的な響きのこの言葉がとたんに深い意味を持つようになります。 この言葉を思い浮かべる度に自分を省みてしまいます。
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脳内にガツンと衝撃を受け、それでいて余韻が美しいだなんて作品、そうそうめぐり合えるものではありません。
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加筆された講談社文庫版ではなく、初刊時の文章で再刊されたもの。口絵、著者の言葉も再現。著者名が「中井英夫」ではなく「塔晶夫」、奥付の刊行年月日が「二月二十九日」というこだわりぶり!さすが東京創元社!
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