ハネムーン の商品レビュー
奇妙な関係性の物語。語り手のまなかと裕志もそうだが、まなかと今はブリスベンに暮らす実の母、まなかと継母のそれぞれは、違和感はないものの、やはり特殊な関係性にある。物語そのものの内容はけっしてそうではないのだけれど、全体には一貫して孤独感と寂寥感が覆う。また、夢と現実とが等価なほど...
奇妙な関係性の物語。語り手のまなかと裕志もそうだが、まなかと今はブリスベンに暮らす実の母、まなかと継母のそれぞれは、違和感はないものの、やはり特殊な関係性にある。物語そのものの内容はけっしてそうではないのだけれど、全体には一貫して孤独感と寂寥感が覆う。また、夢と現実とが等価なほどに語られ、そこには非在感さえもが漂うのである。あるいは透明感こそがこの作品の本質なのかもしれない。特にエンディングの空気感は鮮やかだ。なお、MAYA MAXXの挿画は小学生のような具象と、プロの抽象とが混在したような味わいだ。
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再読なのですが、なかなか合わない。 最初の時も違和感があったのですが、 まだ時期じゃなかったかー。 またリベンジします。
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だいぶ特殊な境遇にある新婚さんですが、あまりにも自然体で、うらやましいくらいです。 1回目も2回目も、素敵なハネムーンでした。
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すごいよかったと思う。 白石一文の翼に相通ずる何かがあったと思う。 連続して読んだから、びっくりした。
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166 子供は、気を使って無理に話し続けるということを知らないから、時として大人よりもロマンチックに沈黙を味わう。なにも言わないことによって、完璧にわかち合う。 「やっぱりうちに来てごはん食べたら?」 母は言った。ダイニングの小さなテーブルにすわる母の顔はいつもの...
166 子供は、気を使って無理に話し続けるということを知らないから、時として大人よりもロマンチックに沈黙を味わう。なにも言わないことによって、完璧にわかち合う。 「やっぱりうちに来てごはん食べたら?」 母は言った。ダイニングの小さなテーブルにすわる母の顔はいつものとおりに見えた。やはり私だけが違う宇宙にいたような気がした。ずっとこの家で続いてきたこの平和な風景の一歩外側には、様々な人の心が生み出す様々な色の空間がひしめいている。それを思うとどきどきした。この夜の中に満ちている果てしなく深い孤独の色彩……それに直接触れずにいるために、みな家の中を飾ったり、大きな木に体をあずけてすわったりするのかもしれないと思った。 朝早く起きて、庭で水を撒いた。(略) 虹を作りながら、泥の水たまりに映る美しい空、流れて行く雲を見ながら私は思った。こういう小さな、笑ってしまうようなことが、人生を作る細胞だと。ていねいに感じることができるコンディションでいることはむつかしい、そのために私は、空や、草花の息吹や、土の匂いがとても必要だ。それで私は裕志に、旅行にでも行こうか、と言いたいと思った。なにかいい景色でも見ないと、この気持ちが漬物みたいに濃く漬かったまま固まってしまう。温泉にでも行って、濃い緑や谷を見ながら露天風呂に入って、まずいおさしみやしし鍋を文句を言いながら食べたら、元気になるかもしれない。濡れた庭石が光っていた。とてもきれいだったが、私はもっと大きくて美しいものを見たくてたまらなくなった。 あんたたちほどぶらぶらしていられる子たちは見たことがないよ。と言った。 それもそうだ、と私は思った。浜辺でぶらぶらしているということは、想像の上ではやさしいが、実際はむつかしい。だんだん服も髪も手も潮風や砂で汚れてうっとうしくなってくるし、飲み物や食べ物なんて一瞬のうちになくなってしまうし、それを超えてぼんやりとすわったり寝たりするには、時間に対する感覚を少し変えなくてはいけない。私は庭にいてそれを学んできたし、裕志はもともとあてがないから、それが苦もなくできるのだと思った。 「本気でいろいろなものを見ていると、どんなに小さなものの中にも、ニュースを見ているよりももっとすごい真実味があるのよ。」 と私は言った。生き物が死んだり、腐ったり、土になったり、虫同士で争いがあったり、洗濯物にとんぼが止まったり、さっきまで晴れていたのに雲がどんどん流れてきたり、家の中の物音でお母さんのきげんが悪いのを知って、買い物にすばやく行ってあげたり、ちゃんと見ていれば、外側に求める必要がないくらいに、心は忙しく働くのよ、と。 なにかが治っていく過程というのは、見ていて楽しい。季節が変わるのに似ている。季節は、決してよりよく変わったりしない。ただ成り行きにたいに、葉が落ちたり茂ったり、空が青くなったり高くなったりするだけだ。そういうのに似ている、この世の終わりかと思うくらいに気分が悪くて、その状態が少しずつ変わっていく時、別にいいことが起こっているわけではないのに、なにかの偉大な力を感じる。突然食べ物がおいしく感じられたり、ふと気づいたら寝苦しいのがなくなっていたりするのはよく考えてみると不思議なことだ。苦しみはやってきたのと同じ道のりで淡々と去っていく。 あれ、これかなーーーり前に読んだのに、なんで登録してなかったんだろ。ふしぎ。たぶん一月?メヒコから戻ってきて、まだいろいろ考えてはひたってた時に読んだ、からよけいおもしろかった。経験は読書を豊かにする。
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いいかもしれない。こんな暮らしも。 まなかの生き方が人間の本来あるべき暮らしであったらどんなにいいだろう。 庭の木の下に座り、何時間も何時間も空や虫や落ち葉を眺める。それだけで庭は世界のいろんなことを教えてくれる。 『ハネムーン』はその響きから連想される内容とはかけ離れたストー...
いいかもしれない。こんな暮らしも。 まなかの生き方が人間の本来あるべき暮らしであったらどんなにいいだろう。 庭の木の下に座り、何時間も何時間も空や虫や落ち葉を眺める。それだけで庭は世界のいろんなことを教えてくれる。 『ハネムーン』はその響きから連想される内容とはかけ離れたストーリーになっている。陰惨で奇怪とも言える内容を含んでいるのに何故だか暖かさは消えない。 どんな暗いとこにいても暖かい人と、自然があれば生きていけるんだろう。 『取り返しのつかないことはたくさんあるー取り返しがつかないことがいくらあっても生きていくしかないということだけを、人はいうことができる』 『世界はわたしがどうなろうとも、何とも思っていないけれど、世界はおもしろくて美しくて愛情みたいなものにあふれていて、なにがあるかわからなくて、その中で泳いでいるわたしは全然かわいそうなんかじゃないって思ったの』
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新宗教が深く関わる物語である。しかし、読む人により、流れるテーマはまったく異なるものになる。ある男性の心の再生の話でもあるし、人と人、動物、自然との絆の話でもある。でも宗教や倫理の問題にとらわれてしまっている人にとっては、とてつもない深いテーマが横たわっているようにも感じられるの...
新宗教が深く関わる物語である。しかし、読む人により、流れるテーマはまったく異なるものになる。ある男性の心の再生の話でもあるし、人と人、動物、自然との絆の話でもある。でも宗教や倫理の問題にとらわれてしまっている人にとっては、とてつもない深いテーマが横たわっているようにも感じられるのではないか。 いろいろな読み方があるだろうが、私にとってこの話は「ダークサイドをどう消化するか?」という点を表現しているように受け止められた。 すべての人のすぐ近くにある人の悪さや残酷さ利己心、それらからは決して逃げることはできず、それらを含めて自分なのだというどうしようもなさの中から、それでもすべての人は希望を選んで生きていくという選択をすることができるという素晴らしさ。人がより良き生を歩むことと道を踏み外すのは紙一重であり、ほんのちょっとしたことでダークサイドに落ち、取り込まれてしまう。誰にもそのリスクはあり、ほんのちょっとしたことで、何も起こらなかったり、幸せだったり、取り返しがつかなくなったりする。 この本は2000年の発行。吉本ばななのオウム真理教事件への返答なのだろうか? 新宗教の内容はそれを匂わせる。村上春樹の『アンダーグラウンド』『約束された場所で』でを読めば、誰もがあの事件の被害者になり、加害者になる可能性があったことを感じただろう。被害者も加害者も特別な人ではない、あなたであり私である。決して他人事ではない、自分のすぐ隣にある闇。人はそのような闇から完全に逃げたり、安全だと言える場所を見つけたりすることはできない。 魂が研ぎ澄まされ、世界中の人の愛と祝福と豊かさを望み、自分が知りえる世界は幸せで満ちているのに、テレビではとてつもなく残虐な事件が報道されている。「なぜこのようなことが起こるのか」と嘆けば簡単なのだが、本質を知ってしまえば、このことは自分とは無関係ではないことを思い知らされる。悪や残酷さはほんのかけらも自分の中にはないはずなのに、世間では残酷事件が起き、それを伝え聞いてしまう。すべてがひとつである以上、その事件も自分の一部である。 でも、それにとらわれないで、影響を受けず、ただ慈悲の心を育てていくことはできる。被害者には大きな慈悲を。加害者にも慈悲をの心を。そうすることで自分の魂を癒すことは、すべての魂を癒すことにつながる。そしていつも希望を選んでいく。決して諦めず、ただ希望だけを選ぶ。裕志がやってきたことはそんなことなんじゃないかな? 段々と徐々に自分や周囲や世界を癒していった。 自然や地球の営みと同じように、人には当たり前に希望を選らんで、より良くなっていこうとする力があるという考え方。「季節は、よりよく変わったりしない」という表現が素晴らしい。良いも悪いもない。すべての人が等しく同じで、動物も植物も地球も同じ。営みがあるだけで、良い悪いではない。 最後はメタ視点でまとめちゃった。それはそうかもしれないが、ちと物足りない。ダークサイドとのつき合い方をもう少し慈悲の観点から掘り下げてくれるとより良かった。どうしたって悪いことはあるわけで、多くの宗教家は取り返しがつかなくなったことを抱えてなお生きていかなくてはならない人々に、慈悲を与えることで自らの活動を結実させ、取り返しのつかないことが取り返しのつくことになるのだと思う。だから、そんな慈悲を与える、与えられることによるすべての人に関わる魂の救済を、もっと深く知りたいと思った。
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『世界は私がどうなろうと なんとも思っていなけれど、 世界は面白くて 美しくて愛情みたいなものにも あふれていて、 なにがあるかわからなくって、 その中で泳いでいる私は 全然かわいそうなんかじゃない、 と思った。』
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惹きこまれる、せかいに。 闇に落ちてしまった人の黒い重たいもの。 その人がみる、生きる、息をする、まわりの息吹。 そのきらめき。 真逆なのに、どちらも身近で。どちらもいとおしい。 ばななさんの本を読み終えると、いつも 自分の周りの景色がよりいっそう好きになる。 だいすきだ。
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18歳で婚約。 それもかんたんな口約束ではない。 単なる幼馴染 その長何時未がひとりぼっちに 天涯孤独になった。 同情でもない、愛なのかなんなのか きっと愛を超えたもっとなにかだったんだとおもう まなかと裕志は。 テリア犬の愛犬が死んだってはなし うるうるし...
18歳で婚約。 それもかんたんな口約束ではない。 単なる幼馴染 その長何時未がひとりぼっちに 天涯孤独になった。 同情でもない、愛なのかなんなのか きっと愛を超えたもっとなにかだったんだとおもう まなかと裕志は。 テリア犬の愛犬が死んだってはなし うるうるしたし なによりところどころにある挿絵の美しさ 鳥肌立ったのは富士山の絵。 あんな富士山をいつか見てみたい そしてまなかと裕志が二度目のハネムーンに行ったブリスベンにも行ってみたい そして何より風邪で一週間寝込んだとき 雑草の綺麗でもない花束をもらいたい そのなかにあったよつばのクローバーも素敵だなと想った とにかく癒される。 だけど怖い表現もたくさんある。 毒々しい中の美しい表現。好きです
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