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日本・現代・美術 の商品レビュー

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2022/08/13

【オンライン読書会開催!】 読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です ■2022年1月4日(火)20:30 〜 22:15 https://nekomachi-club.com/events/7d722115f644 ■2022年1月26日(水)20:30 〜 22:1...

【オンライン読書会開催!】 読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です ■2022年1月4日(火)20:30 〜 22:15 https://nekomachi-club.com/events/7d722115f644 ■2022年1月26日(水)20:30 〜 22:15 https://nekomachi-club.com/events/c6a07de7bcfd

Posted byブクログ

2012/02/23

日本では、「日本現代美術史」という歴史的認識の営みがつねに無効にされてしまう。こうした日本を著者は「悪い場所」と規定し、何がそのような事態を招いているのかを論じている。 本書中に一箇所、「アメリカの影」という言葉が使われていたように記憶するが、江藤淳が文学の領域でおこなった問い...

日本では、「日本現代美術史」という歴史的認識の営みがつねに無効にされてしまう。こうした日本を著者は「悪い場所」と規定し、何がそのような事態を招いているのかを論じている。 本書中に一箇所、「アメリカの影」という言葉が使われていたように記憶するが、江藤淳が文学の領域でおこなった問いかけを、現代美術史においてあらためて問いなおす試みとして読むことができるように思った。ただしその問いかけのゆきつく先は、江藤とは大きく異なる。田中康夫の小説を絶賛し、靖国神社という伝統のシンボルに回帰していった江藤と比較するならば、「悪い場所」でくり返される、いつまでも変わらない光景として「日本現代美術史」を描き出そうとする本書は、はるかに底意地の悪い意図に貫かれている。 著者は本書の問題設定を説明する際に、水村美苗の『私小説 from left to right』を手がかりにしている。この小説の意義は、単に二言語併用者による新しい文学の形式を作り出したことには尽きないと著者はいう。明治以降に西洋という「外部」と接触した日本は、西洋文学という「原典」を「翻訳」することで自国に「文学」という営みを立ち上げた。「日本近代文学」という営みは、そうしたみずからの出自を忘却することによってはじめて成立する。水村の小説は、みずからのよって立つ「場所」の不自然さを暴くという意味で、「文学の起源」に迫った試みだったということができる。 著者はこうした観点を美術史に持ち込み、「日本現代美術」という営みそのものが、たえずみずからを忘却することによってはじめて成立しているということを明らかにしてゆく。たとえば村上隆の作品は、現代日本のオタク的な意匠を美術の文脈に取り込んでいるが、それは現代日本を「反映」したものではない。むしろそうした仕方で「現代美術」を成り立たせている日本という「悪い場所」を、破廉恥なまでに暴露する試みである。 著者はさらに「美共闘」、「もの派」、赤瀬川原平と「読売アンパン」、「九州派」、岡本太郎などに目印を入れながら日本現代美術史をさかのぼることで、「日本現代美術」という営みが流産しつづけてきた歴史(あるいはむしろ「非-歴史」と呼ぶべきか)をたどっている。

Posted byブクログ

2010/02/07

第一章 閉じられた「円環の彼方」は? 第二章 九〇年代日本の「前衛」 第三章 スキゾフレニックな日本の私 Ⅰ 第四章 スキゾフレニックな日本の私 Ⅱ 第五章 日本・現代・美術 第六章 バリケードのなかのポストモダン 第七章 「もの派」と「もののあはれ」 第八章 裸のテロリストたち...

第一章 閉じられた「円環の彼方」は? 第二章 九〇年代日本の「前衛」 第三章 スキゾフレニックな日本の私 Ⅰ 第四章 スキゾフレニックな日本の私 Ⅱ 第五章 日本・現代・美術 第六章 バリケードのなかのポストモダン 第七章 「もの派」と「もののあはれ」 第八章 裸のテロリストたち 第九章 芸術である、だけど犯罪である 第十章 日本の熱 第十一章 アンフォルメル以前 第十二章 芸術は爆発だ 第十三章 暗い絵 註 主要参照文献 口絵作品データ あとがき 索引 (目次より)

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