竜馬がゆく 新装版(六) の商品レビュー
幕末列伝、坂本竜馬風雲ストーリー第6巻。時代は慶応二年、竜馬暗殺1年前、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎へ説得、薩長同盟、伏見寺田屋襲撃事件、竜馬負傷、拳銃分解、おりょうとの新婚旅行、江戸徳川幕府最後の戦争を収録。
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長次郎は才子ではあるが、組織でもって協同して事をする感覚が欠けているようである。貧家の秀才で無我夢中で世間の表通りに出てきた者のもつ悲哀といっていい。われがわれがとおもう一方で、仲間の感情を思いやるゆとりがないのである。 (しかし、城下の水道町のまんじゅう屋のせがれも、薩長両藩を...
長次郎は才子ではあるが、組織でもって協同して事をする感覚が欠けているようである。貧家の秀才で無我夢中で世間の表通りに出てきた者のもつ悲哀といっていい。われがわれがとおもう一方で、仲間の感情を思いやるゆとりがないのである。 (しかし、城下の水道町のまんじゅう屋のせがれも、薩長両藩を相手に大仕事ができるまでになったか) とおもうと、竜馬はあのまんじゅう屋の冷たくとぎすましたような秀才づらが、いとしくてたまらなくなるのである。(p.160) 「私は根が町人のうまれで、戦争はあまり好みませんが」 「ばかだな、お前は。そういうことをいうちょるから、あたらそれほどの才分をもちながら人にばかにされるのだ。男は、喧嘩をするときには断乎喧嘩をするという大勇猛心をもっておらねば、いかに名論卓説を口にしていても、ひとは小才子としか見てくれぬぞ」 「しかし、にが手はにが手です」 「にが手でもやれ、近藤長次郎が軍艦にのってひといくさした、といえば、あとあとお前の名論卓説に千鈞の重味がつくぞ。口さきの才子ではない、と人は思う。人がそう思えば仕事もやりやすくなる。思わぬ大仕事ができるというものだ」 「しかし、いくさに負けて軍艦が沈めばどうなります」 「死ぬまでさ」 と、竜馬はむしろまんじゅう屋の顔をふしぎそうに見、あたりまえだよ、といった。 「しかし死ぬのは、まだ惜しいです」 「惜しいほどの自分かえ、まんじゅう屋」 「まんじゅう屋はよしてください」 「では、長サン。男はどんなくだらぬ事ででも死ねるという自信があってこそ大事をなしとげられるものだ」(p.182) 桂の感情は果然硬化し、席をはらって帰国しようとした。薩摩側も、なお藩の体面と威厳のために黙している。 この段階で竜馬は西郷に、 「長州が可哀そうではないか」 と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。 あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。 奇妙といっていい。 これで薩長連合は成立した。 歴史は回転し、時勢はこの夜を境に倒幕段階に入った。一介の土佐浪人から出たこのひとことのふしぎさを書こうとして、筆者は、三千枚ちかくの枚数をついやしてきたように思われる。事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。(p.246)
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