フーコー入門 の商品レビュー
フーコーは現存の体制から新しい可能性を見つけた人。 監視社会としての二つの要素 身体の規律化と、眼差しでの精神の規律化のパノプティコン。 現代福祉社会の 権力と生との関係。国民の福祉の維持を建前としながら、生という観念から国の維持のために必要な国民を管理し、自国の力の維持を図る。...
フーコーは現存の体制から新しい可能性を見つけた人。 監視社会としての二つの要素 身体の規律化と、眼差しでの精神の規律化のパノプティコン。 現代福祉社会の 権力と生との関係。国民の福祉の維持を建前としながら、生という観念から国の維持のために必要な国民を管理し、自国の力の維持を図る。と同時に戦争などでの暴力によって国民を殺す、人種差別的な観点。国の維持と言う構図それは、司牧者の権力図と重なる。 途中中だるみしたけど、権力の分野はおもしろでした。。
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人間が「正常である」という思考そのものを侵犯しようと試みること、これがこれからのフーコーの思考のエチカとなる。p36 【レヴィ=ストロースの構造主義】p71 サルトルとメルロ=ポンティにおいては、人間の行為の意味と価値は、歴史の方向性が決定するものであった。しかしレヴィ=ストロースは、意味とは体系における要素の差異で発生することを示したソシュールの言語学に依拠しながら、意味を生み出すのは社会の構造であると指摘した。そして歴史とは、共時的な社会構造が内的な理由から変動することにすぎないと考えたのである。 <一般文法>p94 「思考は単一な操作であるとしても、言表することは継起的な操作である」 フーコー「富に秩序があり、これであれを買うことができ、金が銀の二倍の価値があるとすれば、それはもはや人間の欲望が比較できるからではない。身体を持つ人間が同じ飢えを感じるからでも、人間の心が同じ魅惑にとりこになるからでもない。人間が時間、労力、疲労、さらに究極において、死そのものに支配されているからである」p103 リカード「歴史の一刻一刻において、人間は死の脅威のもとで労働するほかない。すべての住民は、新しい資源をみいださなければ、消滅するように運命づけられている」このように経済を可能とし、必要とするのは、稀少性という基本的な状況であり、労働はこの稀少性を一時的に克服し、一時的に「死に打ちかつ」方法である。p104 生物学、言語学、経済学の誕生によって、それまでに存在しなかったある概念が誕生した。これが<人間>という概念である。p105 (人間は)「知にとっての客体であるとともに認識する主体として、その両義的な立場において登場する」p106 知として学んだものを身体に教え込み、身体の次元で学んだものが知として普遍化される必要がある。そのための一つの手段が試験であり、これは近代の特権的な<真理の保証>である。p143 パノプティコン:「権力を自動的なものとし、没個人化する」p145 ⇒近代の新しい「政治解剖学」の基本原理 身体と精神の双方に働きかける戦略は、魂という「柔らかい脳繊維」の上に「強固な帝国」を築くことによって、身体の叛乱を未然に防止することを目的とする身体の「政治解剖学」として結実する。p147 プラトンは、身体が魂の牢獄であると考え、哲学とは魂をそこから解放するための「死の稽古」であると語っていた。フーコーはこのテーゼを完全に逆転させる。身体が魂の牢獄なのではなく、魂が身体の牢獄なのである。p147 ストア派では自己の吟味には四つの技術があったー書簡、良心の点検、アスケーシス(禁欲)、夢の解釈である。p217 【真理のゲーム】p228 ①主体化の様式 ②行動の戦略 ③歴史的な条件 ④客体化の様式 ⇒絶対的な真理が存在するのではなく、個々の真理は自由な主体の行為としてしかあり得ないと考えると、すべての主体は自分なりの真理の確立に参加することができる。
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入門にしては難しかったが授業で習ったことが沢山出てきていて面白かった。これからも繰り返し見て復習したい、特に性の歴史の所が難しくてまだわからない。
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史上最も偉大だとされる哲学者であるミッシェル・フーコーの晩年を、主要な著作とその概要を交えながら描いた本。解説もわかりやすいし、何よりこの一冊で、フーコーがどのようなことを問題意識として持ちながら人生を歩んだのかが良くわかる。この点において、本書はかなり有用だといえるだろう。 フーコーの数ある著作のうち、最も示唆的なものは「監獄の誕生」であると個人的には感じる。なぜなら、後から述べるように、従来信じられてきた「権力」に関する概念を全く新しいものに構築し直した上に、それは現代まで通じるものであるし、加えて、あらゆる学問分野・生活に適用可能だからである。これが幅広い読者によって長年読み続けられてきたのが何よりの証拠であろう。 さて、監獄の誕生において、フーコーは何を主張したのか。フーコーがこの著作を通じて主張していることは、「主体内部の権力」に関することである。古代ヨーロッパにおいては、罰則とはすなわち体罰を表した。それは鞭打ちに代表され、人間の身体に直接ダメージを与えるものであった。つまり、人間の「身体」という外部的なものに罰を与えることによって、人間の「精神」を正すことが目的とされたのである。これはいわば「従順な身体」を作ることだといえる。例えば、軍隊がいい例になろう。軍隊では規律を乱す人間には容赦なく殴る・蹴るなど身体的な罰則が与えられ、それに従って、やがって軍人の「精神」を持つようになるのである。つまり古代における罰則のベクトルは、身体⇒精神という方向性を持つものであったといえる。 だが、この罰則は中世ヨーロッパを境に激変することとなる。この変化をもたらした主要因とは、「監獄の誕生」であった。すなわち、罪を犯した人間を「監獄」という非社会的環境におき、精神の矯正を図る形の罰則が誕生したのである。従って、従来の罰則のベクトルが逆転することになる。監獄の誕生によって人間の「精神」という内面的要素を矯正することによって、「身体」の正統性の確立が目指されたのである。 フーコーは中世ヨーロッパにおけるこの監獄の誕生に着目し、新しい権力論を主張した。それはすなわち、従来の権力とは「相手を支配・抑圧」する力であったが、中世以降は「相手自身の内面から支配・抑圧」する力へと変わったと指摘したのである。これらはそれぞれ、前者が「身体⇒精神」の罰則、後者が「精神⇒身体」の監獄と対応している。複雑な近代社会を作り上げるためには、一人一人の人間を「従順な身体」にすることは不可能である。従って、権力者の意のままに動く従順な人間を作り出すためには、彼ら自身が自発的に行動し、近代というメカニズムの歯車になる必要がある。近代では、こうした主体を形成するために考え出された装置の一つが「学校」であり、先生が学生に知を「真理」として供与することによって、学生という主体を「精神」から支配するのだと、フーコーは主張する。 この原理を建築的に示したのが、イギリスの法学者であるベンサムであった。彼はパノプティコンという装置を考察した。これは、円環上に配置した建物の中心に見張り台が設置されているという状況である。重要なことは、見張り台からは建物の中で暮らしている人間を自由に監視することができるが、そこで暮らす人にとっては見張り台にいる人間が見えないことである。つまり、見張り台には常駐の監視者を設置する必要がない。それにもかかわらず、建物で暮らす人にとっては「見張られている」可能性が常時発生するので、自身の心の中に第二の監視者を設置してしまうのである。このようにして、パノプティコンは個人の主体の様々な欲望を絡めとり、内面からそれを支配するのである。このように、主体の内部から相手を支配することが、フーコーの主張した新しい権力論である。 このような監獄の誕生という歴史を踏まえたうえで、現代まで通じる権力論を展開したフーコーの主張は見事といわざるを得ない。フーコーが人生の課題としたことは、その時代において絶対に真理だと考えられていることは、実は歴史的・権力的に形成されたものに過ぎず、普遍的なものではありえないということであった。「監獄の誕生」はこの点を見事に表している著作だといえるだろう。
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自分にとっては難しかったので、読むのに時間がかかった。でもためになったとは思う。いろんな学問が成立するのには並々ならぬ苦労があるとわかった。それから最後にわりと実践的なことが書いてあって、おもしろかった。難しいのをう~んってなりながら読んだ後、最後にそんなことが書いてあったからび...
自分にとっては難しかったので、読むのに時間がかかった。でもためになったとは思う。いろんな学問が成立するのには並々ならぬ苦労があるとわかった。それから最後にわりと実践的なことが書いてあって、おもしろかった。難しいのをう~んってなりながら読んだ後、最後にそんなことが書いてあったからびっくりしたし、プレゼントのようだった。
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こんなことを言ってはフーコー礼賛者にぶっとばされるかもしれないが、どうにもフーコーは哲学者だと思われない。確かに彼は真理に迫っているつもりではったのかもしれないが、彼が迫ろうとしていたものは本当真理なのだろうか?フーコー入門という二百三十ページほどの新書を読んでこんな感想を抱くの...
こんなことを言ってはフーコー礼賛者にぶっとばされるかもしれないが、どうにもフーコーは哲学者だと思われない。確かに彼は真理に迫っているつもりではったのかもしれないが、彼が迫ろうとしていたものは本当真理なのだろうか?フーコー入門という二百三十ページほどの新書を読んでこんな感想を抱くのもあれなのかもしれないが、そうした感想を抱かざるにはいられなかった。確かに、フーコーを歴史家というのは不十分だろう。彼は「考古学」といった歴史的な概念を持ち出し、実際に歴史を彼なりの価値観(哲学観とは敢えて言わない)でたどっていったように思われる。彼なりの起源を見つけて、ある種の歴史性、しかし、彼独自の歴史性を見出す手腕は見事である。とはいえ、現代的には半ば常識となりつつ範囲のこともある。これはある人が言っていたのだけれど、「ロックやルソーなんかが言っていることは別に誰でも言えることである」というのと非情に近しい感想なのかもしれない。個人的にはロックやルソーなんかも思想家だとは思うけれど、哲学者だとは思えない。そもそもが誰かのために――といった理由のために哲学があるわけではないのではないか?フーコーは大衆が当たり前のように信じている「真理」をうち揺るがすことこそが哲学者の使命だと感じているようであるが、それは二次的な使命であり、本性的には自らの疑問に答えを見つけることこそが哲学の使命であると感じられる。とはいえ、フーコーは同性愛者でありそのことに絶えず苦しみ続けたらしい。フロイトが言うところの超自我との戦いが彼の人生だったと言ってもいいくらいのようだ。彼は結果として、外部的な権威や道徳観を内部に取りこむといったことを言っているがそれにしたって彼自身の体験に根ざしているだろう。つまりは精神分析である。彼は絶えず自らを精神分析し、そうして自らがアウトローであるだけにそれだけに社会という意識も強く持たずにはいられなかった。結果として彼は社会観と精神分析を基軸とした哲学を構築したと言われるのだろうが、それは哲学というよりはやはり思想と思しい。精神分析は哲学ではないし、社会観はやはり哲学とは個人的には言い難い。個人的には精神分析を基軸とした社会思想学という方がフーコーを表すには的を射ているように思われるがどうなのだろうか? とはいえ、現代思想を理解する上でフーコーは非情に重要な人物にはなりえるのだろう。結局のところ現代思想においては歴史性(ヘーゲルマルクス)と構造性(レヴィストロース)とが重要な二大概念となっており、フーコーはその両者をある意味弁証法的に乗り越えようとしているからである。彼は主観や価値観によって歪められた歴史ではなくて純粋な歴史を捉えようとしているし、その過程で構造なるものを明らかにしようとしているように思われる。彼が言うところの「考古学」という言葉はそれら両者をうまい具合に内包しているのではなかろうか?また、彼の出発点は、現象学とマルクス主義であり、心理学への懐疑である。現象学による主観的アプローチを、マルクス主義により客観的なアプローチを、そして心理学、精神分析における「正常」と「異常」への疑義が彼のある種の原点となっている。彼は現象学とマルクス主義の二大基軸をすえたことを後で後悔しているようだが、俯瞰してみる限りではそれほど離れているように思われないし、精神分析は無論フロイトの影響を受けている。彼は考古学という概念を提唱する際に、現代思想の原点として、生態学・言語学・経済学をあげているが、これもかなり巧みな捉え方である。生態学はフロイトが、言語学にはソシュールが、経済学にはマルクスが含まれているとしたら、彼ほど現代思想の源流でありありとある要素を兼ね揃えている人物はいないであろう。無論、生態学には進化論が、言語学にはラカンが、経済学にはアダムスミスも含まれており、経済学における資本主義とマルクス主義は同じことを反対概念で述べているだけだというあたりもどうにも鋭い洞察である。正直、自らと徹底的に向き合い、そのことに死ぬまで悩みぬき、ゲイであることを公表し、性や異常といった概念を突き詰め続け、最終的にはエイズで没したミシェルフーコーという人物にはある種の敬意を払いたいくらいであって、ただ彼が哲学者であったのかということだけがどうにも疑義を呈してしまうというだけなのである。あと著者も、もう少しうまくまとめてほしかった。著作を読むときの解説本としては優れているのかもしれないが、一括で読み通すときにはこの構成はあまりよろしくないと思われる。
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フーコーの思想には「真理のゲーム」など啓発させられるものが多かったです。 著者のHPでも様々な解説を載せてるそうなのでぜひ参考にしたいところ。
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フーコーの話をずっとし続ける授業を受ける羽目になったので、とりあえず一冊入門書を読んでみようとして買ったもの。著者は最近光文社の新訳でご活躍中の中山元。 内容としては、フーコーが発表していった著作の流れに沿って、どのような問題意識によっていたのかと、その問題にどう取り組んだか...
フーコーの話をずっとし続ける授業を受ける羽目になったので、とりあえず一冊入門書を読んでみようとして買ったもの。著者は最近光文社の新訳でご活躍中の中山元。 内容としては、フーコーが発表していった著作の流れに沿って、どのような問題意識によっていたのかと、その問題にどう取り組んだかが章のテーマ・著作ごとに語られる。パノプティコンなどの比較的読みやすい部分はそこそこ理解できたように感じたが、正直なところチンプンカンプンな部分も多くあった。そういった意味で「ぺらい入門書だ」という意識で読もうとすると跳ね返されるかもしれないし、実際「入門書」だからといってレベルを下げきったものではないように感じられた。 授業の役に立つかはわからないが、最終章の「真理」についての部分あたりは(解説が正しいのであれば)フーコーと強く共感するところもあったので、それだけでも読んだ価値はあったように感じる。
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フーコーの思想を彼の著書をひもときながら、つまびらかにしていく。真理について、生権力と司牧者権力、統治性のプロジェクト、欲望、実存の美学、パレーシア、真理のゲーム。 とても分かり易く、面白い。生権力の福祉社会のパラドクスなど分かり易い。
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「監獄の誕生」を読んでみたくて、まずはとっかかりとして読んだ本です。 真理は権力と結びついている、真理を語っている人を見ないとダメ、といったあたりが新鮮でした。 次は「監獄の誕生」に行ってみよう!
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