陸軍の反省(上) の商品レビュー
1909年生まれ、陸士42期・陸大を卒業して、日米開戦前から戦争前半に陸軍省軍務局軍事課で資材や予算を担当した加登川氏による陸軍(上層部)批判。 陸軍部内で奉職してきた内部者の目から見える実務的な視点が貴重で面白い。 特に面白かったのは、国防の台所感と陸軍の教育・人事の影響...
1909年生まれ、陸士42期・陸大を卒業して、日米開戦前から戦争前半に陸軍省軍務局軍事課で資材や予算を担当した加登川氏による陸軍(上層部)批判。 陸軍部内で奉職してきた内部者の目から見える実務的な視点が貴重で面白い。 特に面白かったのは、国防の台所感と陸軍の教育・人事の影響の2点。 国防の台所感とは、日米開戦やや前の昭和14年に、加登川氏の上司たる中原軍事課資材班長がまとめて回覧した文書であるが、当時の日本の軍事生産力が質・量とも劣っていた(鉄の生産力で日米18倍。米国は上昇、日本は日中戦争で加工中)。また、日中戦争の関係で国力のピークは昭和13年であったこと。そして、幹部の誰もその厳然たる事実に目を向けなかったこと。なお、当時作っていた兵器は、日露戦争直後に制式化されたものかその改良版で、第一次大戦を経ている欧米にはとても太刀打ちできる代物ではなかった。 この関係での関特演についての筆者の分析も秀逸。在満鮮の14師団35万に内地から2個師団増派と言われているが、実際にはあちこちから抜いて50万人・馬匹15万匹の増派で要した経費が9兆円で、今の防衛費の2倍近い。そもそもこれも、独ソ開戦で浮き足立った判断を参謀本部の勢いに飲まれた東條大臣が決心し、泡よくばとソ連国境を伺ったが、8月には早々に諦めている。しかし、軍馬は移動しており、それに9兆円という国費の無駄遣い。しかも、その後の開戦で臨時軍事費が降りて責任も有耶無耶になったという。 また、ノモンハン事件で兵器の質で大敗しているのに反省せず、何かあれば兵力増強で乗り切ろうとしていた。 こうした背景として、幼年学校からの陸軍エリート教育が挙げられている。幼年から将来幹部として自尊心を高め上げ、軍事中心で視野狭窄、行動主義で待つことを知らず、念仏岩をも砕くの精神論、身内主義で排他的、外国語は独仏露語であり英米軽視に繋がったこと、中央勤務が多く現場の実情を必ずしも理解していないこと、など。辻政信などが典型的な人物像。また、日露戦争時など士官が多くいる場合には、陸軍士官学校への中学からの入学も多かったが、大正軍縮期に数が減り、結果として幼年学校卒が中核となり、純血度をさらに高めていった模様。この世代が満州事変から日米開戦までをリードしていった模様。 これがために冒頭のような科学的事実軽視の作戦論重視の幹部層が生まれたのかと理解できる。なお、国防の台所館を書いた中原資材班長は、員外学生出身とされ、陸大出ではない。しかし、国力についての常識的な鑑識眼があった。 本書は、論が前後したり、必ずしも読みやすくは無いが、最早、旧軍要職で奉職された方はほぼ全て世を去った中で、実務者の見方が残っているのは貴重。このような具体的で結果として役に立つ視点は実務経験のない研究者や歴史家からは生まれてこない。
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