久野収 市民として哲学者として の商品レビュー
「思想の科学」研究会の後輩である高畠を聞き役に、対談形式で語られた久野の回想録。京大事件を皮切りに、『世界文化』『土曜日』の活動、保護観察下での昭和高商(現・大阪経済大)の日々、敗戦後の平和問題懇談会と砂川・内灘闘争、安保闘争とベ平連での活動と、市民主義哲学者としての久野の思想...
「思想の科学」研究会の後輩である高畠を聞き役に、対談形式で語られた久野の回想録。京大事件を皮切りに、『世界文化』『土曜日』の活動、保護観察下での昭和高商(現・大阪経済大)の日々、敗戦後の平和問題懇談会と砂川・内灘闘争、安保闘争とベ平連での活動と、市民主義哲学者としての久野の思想と経験、運動における出会いと交流とが、くわしく語られる。 いろいろ教えられることの多かった1冊だが、まず印象的だったのは、『土曜日』の巻頭言。我が身をふり返り、いかに自分が硬直した文章しか書けなくなっているかを自覚させられる。また、中井の言説実践が、美学者としての徹底したモダニズム研究から来ているというのも興味深い(『美・批評』は、復刻されているのだろうか?)。1930〜1940年代が「大学論」の季節だったことも、重要な論点だろう。 1955年ごろの『改造』廃刊反対闘争の話題もじつに興味深かった。『改造』廃刊の背景に、合州国による文化工作の問題があった、という視点はまったく知らなかった。この点、当時の資料や改造社内部資料から見直していく必要があるかもしれない。要チェックである。 久野自身は、教条主義的・公式主義的な左翼の硬直性を批判、冷戦構造の一方を敵とすることのない「平和」を追求する立場で一貫していたと言える。だが、それはすなわち、労働者だから―被圧迫民衆だから平和を希求する、という規定には依拠しない、ということだ。とすれば、「平和を追求する主体」をどう構想するかが問われることになる。 久野のいう〈にもかかわらず〉の論理は、社会的な諸関係・ポジションと、心理的・思想的な立場性とを区分しつつ、矛盾を抱える実存であることを引き受けながら運動にコミットする主体性を構築しようとするものだ。この立場の可能性と問題性を含め、突っこんで考えてしかるべき内容ではないか?
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