白い航跡(下) の商品レビュー
吉村昭らしい、綿密な取材と丁寧な描写が光る力強い作品。資料が皆無に等しい中、足を使い書き上げた渾身の長編。森鴎外の医師としての側面もなかなか知る機会がなかったため、それもまた一興を加えている。
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なんか最後のほうわりと悲惨な感じになってしまったので、えらくなりすぎるのも考えものなのだなと思いました。。
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「脚気」という原因不明の病気の解決策を突き止め、尽力した 「ビタミンの父・高木兼寛[1849-1920]」さんのお話し シーボルト(来日1823-1828、1859-1862)との接触はなし 臨床医学に重きを置くイギリス医学と病理学に重きを置くドイツ医学の対立 海軍と陸軍の対立...
「脚気」という原因不明の病気の解決策を突き止め、尽力した 「ビタミンの父・高木兼寛[1849-1920]」さんのお話し シーボルト(来日1823-1828、1859-1862)との接触はなし 臨床医学に重きを置くイギリス医学と病理学に重きを置くドイツ医学の対立 海軍と陸軍の対立 諸外国からは絶賛された説が国内では侮蔑の対象となり やっと認められたのは彼の死後であった 南極大陸の南緯65度33分・西経64度14分に 「Takaki Promontory(高木岬)」という岬があるらしい
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脚気で亡くなる人が戦死者より多かったとは驚きだった。彼の功績は直接日露戦争の勝利につながったと言える。彼あっての今の日本かもしれない。 だが彼の脚気の研究結果は日本では認められることなく、冷遇され寂しい晩年を送った。 彼の周囲には昔日本史で勉強して知った名前がたくさん出てくる...
脚気で亡くなる人が戦死者より多かったとは驚きだった。彼の功績は直接日露戦争の勝利につながったと言える。彼あっての今の日本かもしれない。 だが彼の脚気の研究結果は日本では認められることなく、冷遇され寂しい晩年を送った。 彼の周囲には昔日本史で勉強して知った名前がたくさん出てくる。まさに明治維新のど真ん中にいた人。
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