バガヴァッド・ギーター の商品レビュー
ヒンドゥー教の聖典「バガヴァッド・ギーター」(神の歌)。 本書を正しく理解するには、ヴェーダやウパニシャッド哲学、ヨーガの知識が必要不可欠。ゆえに難しい。 けれど、「果報を意図して、偽善のために祭祀を行う場合、それを激質的な祭祀であると知れ」「捨離により直ちに寂静がある」「欲望...
ヒンドゥー教の聖典「バガヴァッド・ギーター」(神の歌)。 本書を正しく理解するには、ヴェーダやウパニシャッド哲学、ヨーガの知識が必要不可欠。ゆえに難しい。 けれど、「果報を意図して、偽善のために祭祀を行う場合、それを激質的な祭祀であると知れ」「捨離により直ちに寂静がある」「欲望、怒り、貪欲。これは自己を破滅させる、三種の地獄の門である」といったあたりは、なるほどと思わせる。 老荘思想は、形ばかりで真心の伴わない儀礼を批判する。また、ありのままを受け入れる姿勢は、故加島祥造さんの詩集「求めない」を想起させるし、万物に宿るとするクリシュナ(本書ではシヴァ神と概ね同義)は、まさに八百万の神と似た性質を持つ。以上浅薄な理解だけど、こう考えるとヒンドゥー教も案外身近に感じられる気がする。 一回挫折した「リグ・ヴェーダ」も通読したい。
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バガヴァッド・ギーターは、マハーバーラタの一部。 聖バガヴァッドとアルジュナとの対話。それをサンジャヤが王に報告している様子。 聖バガヴァッド=ヴァースデーヴァ=クリシュナ(人間の姿)、ということでよいのかな。 結果に執着せず、行為に専心せよ。 やたら聖バガヴァッドを褒め称える内容で、だんだん滑稽に思えてくる。私の理解が浅すぎるからかもしれないが。注釈をちゃんと読まないと理解には遠い。 ヒンドゥーのカタカナ語が多いので、もっと意訳してほしいとも思ったが、それを岩波文庫に期待するのはナンセンスか。
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39.あなたの職務は行為そのものにある。決して結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ 41愛憎を離れた、自己の支配下にある感官により対象に向かいつつ、自己を制した人は平安に達する。平安において彼の全ての苦は滅する。 57憎むことなく、期待するこ...
39.あなたの職務は行為そのものにある。決して結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ 41愛憎を離れた、自己の支配下にある感官により対象に向かいつつ、自己を制した人は平安に達する。平安において彼の全ての苦は滅する。 57憎むことなく、期待することない人は、常に放擲した者と知られるべきである。実に、相対を離れた人は、容易に束縛から解放される。 60外界との接触に執心せず、自己のうちに幸福を見出し、ブラフマンのヨーガに専心し、彼は不滅の幸福を得る。実に、接触から生ずる諸々の享楽は、苦を生むものにすぎず、始めと終わりのあるものである。知者はそれらにおいて楽しまない 63自ら自己を克服した人にとって、自己は友に。自己を制していない人にとっては、自己は敵に。 体と頭と首を一直線に不動に保つ、堅固に坐す、鼻の先を凝視し、諸方を見ない、自己を静め、恐怖を離れ、禁欲の誓いを守り、意を制御して、私に心を向け、私に専念し、専心して坐す 行為をして知識を得る 65苦との結合から離れることがヨーガと呼ばれるものであると知れ 67ヨガを信じているが、自己を制御せず心がヨガから離れた人はどうなるか→来世の環境が変わる 105私にのみ意を置け。私に知性を集中せよ。無理なら常修のヨーガをせよ。無理なら私のための行為に専念せよ。無理なら私へのヨーガに依存して、自己を制御し、すべての行為の結果を捨てよ。寂静←行為の結果の捨離〉瞑想〉知識〉常修 不滅の存在→ブラフマン→行為=祭祀(供物)→太陽→雨→食物→生類=行為 116彼は中立者のように静止し、諸要素によって動揺させられず、諸要素が活動するのみと考え、安住して動かない。 125欲望、怒り、貪欲りこれは自己を破滅させる、三種の地獄の門である。それ故この3つを捨てるべきである 222魂は殺されない、自己の義務である、故に戦えサーンキヤ(理論)における知性 224行為者が知性を確立し、行為の結果を顧みず、 232 235 236 244 行為のヨーガを完成すれば、自分と万物が一体であるという、自他の差別をなくした平等の境地に達し、行為をしても汚されない
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図書館で借りた。 ヒンディーの最も有名な叙事詩の一つ「マハーバーラタ」の一部で、ヒンドゥー教とはどんな宗教か、考えの大黒柱と言ってもいい本。 有名な「シャクンタラー」のような激しいストーリーではなく、アルジュナが尋ねて、聖バガヴァッドことクリシュナが説教するという構成が続く。本文...
図書館で借りた。 ヒンディーの最も有名な叙事詩の一つ「マハーバーラタ」の一部で、ヒンドゥー教とはどんな宗教か、考えの大黒柱と言ってもいい本。 有名な「シャクンタラー」のような激しいストーリーではなく、アルジュナが尋ねて、聖バガヴァッドことクリシュナが説教するという構成が続く。本文は150頁弱で、その後100頁近い訳注があり、最後に解説付き。どうしても聞き慣れないカタカナが多いので、その点では読みにくい。事前に知識がないとなんのことやらさっぱりだろう。 私は解説より本文に興味があったので、本文を読んだ。 前半は「輪廻転生のことを言ってるんだな」「これは現世を一生懸命生きよって話か」など、一つ一つが事前知識と結びつきスムースに読み進められた。最後の方はちょっと難しかったが。 ヒンドゥーを信じる流れをなんとなく理解できたと感じた。
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まずもって、一読したくらいで全容を理解できるような書物ではない。いや、理解できる日など来るのだろうか。それでも、このバガヴァッド・ギーターには現代を生きる私達にとっても活きる教訓のかけらたちが散りばめられている。 たとえばサンニャーサ(放擲)行為者は行為にのみ意識を注ぎ、行為の結...
まずもって、一読したくらいで全容を理解できるような書物ではない。いや、理解できる日など来るのだろうか。それでも、このバガヴァッド・ギーターには現代を生きる私達にとっても活きる教訓のかけらたちが散りばめられている。 たとえばサンニャーサ(放擲)行為者は行為にのみ意識を注ぎ、行為の結果は行為の根源であるブラフマンに返すという考え方。 とかく「成果を出さなければ」という圧力が、外からも自分の心の内側からも湧き上がってくる。その結果、「成果が出せそう」な手元のこじんまりとした範囲でできることを探してしまうことになる。 そうではなく、ひたすらに行為に意識を注ぐことこそが行為の結果、成果につながるのかもしれない。賽は投げられた、果報は寝て待て。 この岩波文庫版は解説が充実している。また、本書の背景となるマハーバーラタについてもかいつまんだ説明がなされている。バガヴァッド・ギーターとはなんぞや、という興味をもったときに手に取る一冊として最適なのではないか。
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難解だが興味深かった。「行為の『放擲』」、すなわち行為の結果にあれこれ期待したり思いめぐらせたりしないことが善であり、また、行為は、成されることが決まってあるからその行為に専心すべしという考え方は、私の勝手な結びつけだけれど、ライプニッツと少しだけ通ずるものがある気がする。そしてこのギーターにてクリシュナは「私」を名乗っているが、専心によってクリシュナにたどり着いたものはかれに等しい、というのもなんとなくだが広がりを感じるなどした。他の神に対し信心、「行為の『放擲』」を行っているものも、じつはあらゆる神の基であるクリシュナに捧心している、というのも、私には、寛容に思われるような、気はした。以上はすべて主観であることをお断りしておく。
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「私は決して存在しなかったことはない。あなたもここにいる王たちも…。また我々はすべてこれから先存在しなくなることもない」輪廻転生を説くヒンドゥー教典のひとつ。敵に親族がいることで躊躇う戦士アルジュナに、クリシュナは言う。殺しても肉体が消えるだけで本性は消えない。だから殺すことを躊...
「私は決して存在しなかったことはない。あなたもここにいる王たちも…。また我々はすべてこれから先存在しなくなることもない」輪廻転生を説くヒンドゥー教典のひとつ。敵に親族がいることで躊躇う戦士アルジュナに、クリシュナは言う。殺しても肉体が消えるだけで本性は消えない。だから殺すことを躊躇う必要はない、と。そしてアルジュナは戦意を呼び覚ます。死をネガティヴに捉えると、これは政治的宗教的狂信者であり悪であり狂となる。ほとんどの宗教が死をマイナスに捉えないのでこの考えが真実となり、大義のための宗教戦争は躊躇なく繰り返される
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聞き慣れない言葉と格闘しながらなんとか読み進めた。解説、さらに松岡正剛氏のサイトを読んで、ようやく内容がこなれて理解できてきたところ。大切なのは誠実に生きること。古典は良い。
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インドラ神を父に持つ英雄・アルジュナが一大戦闘で戦意を喪失した際、傍らにいたバガヴァッドたるクリシュナと話し、鼓舞される様子を、サンジャヤがドリタラーシトラに尋ねられる形で描かれている。 この『バガヴァッド・ギーター』は『マハーバーラタ』の一部なので、それまでの経緯を詳細に知...
インドラ神を父に持つ英雄・アルジュナが一大戦闘で戦意を喪失した際、傍らにいたバガヴァッドたるクリシュナと話し、鼓舞される様子を、サンジャヤがドリタラーシトラに尋ねられる形で描かれている。 この『バガヴァッド・ギーター』は『マハーバーラタ』の一部なので、それまでの経緯を詳細に知ることが出来ない点には注意が必要だが、『まえがき』として梗概が掲載されており、あらすじを知ることが出来る。わたしは『バガヴァッド・ギーター』と『マハーバーラタ』を別個のものと勘違いしていたので、あらすじだけでも知ることが出来、大変助かった。 神話の一部だが、バガヴァッドたるクリシュナが神であり、戦意を失ったアルジュナが教えを乞う形になっているので、物語というより経典に近い印象を受けた。ただ、『まえがき』に掲載の『マハーバーラタ』の梗概を知っていると、そのクリシュナからの教えの存在が神話の主人公のひとりであるアルジュナにとって、どんなに重たく、大きなものかが分かり、すごくのめり込んで行けると思う。 また、機会があれば『マハーバーラタ』を本格的に読みたい。
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『バガヴァッド・ギーター』(श्रीमद्भगवद्गीता)は、700行(シュローカ)の韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつであり,ヒンドゥーの叙事詩『マハーバーラタ』第6巻にその一部として収められている。パーンダヴァ軍の王子アルジュナと,彼の導き手であり御者を務めているク...
『バガヴァッド・ギーター』(श्रीमद्भगवद्गीता)は、700行(シュローカ)の韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつであり,ヒンドゥーの叙事詩『マハーバーラタ』第6巻にその一部として収められている。パーンダヴァ軍の王子アルジュナと,彼の導き手であり御者を務めているクリシュナとの間に織り成される二人の対話という形をとる。 本書は日本語で読めるものとしては定番であろう。本文はともかく,巻末の解説のまとまりが良い。 以下解説よりメモ: 知性のヨーガ,行為への専心,知性,ブラフマンの境地,行為の超越,プラクリティ,祭祀のための行為,知識の重要性,行為の放擲,行為のヨーガ,平等の境地,ブラフマンとの合一,ヨーガに登った人,専心した者,常修と離欲,理論知と実践知,神のヨーガ,真の知識は信愛により実現する,至高の知識
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