日本の風景・西欧の景観 の商品レビュー

3.7

14件のお客様レビュー

  1. 5つ

    2

  2. 4つ

    5

  3. 3つ

    3

  4. 2つ

    1

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2010/08/16

農民は環境を見ることは出来るが風景には出会えない。風景は都市の人間の知覚図式により獲得される。 『雅び』とは様々な季節のテーマやそれらと結びついた名所の鑑賞を規定する連想のコードを身につけていることであった。対して『鄙び』 ヨーロッパにおいて風景はルネッサンス期に現れる。la...

農民は環境を見ることは出来るが風景には出会えない。風景は都市の人間の知覚図式により獲得される。 『雅び』とは様々な季節のテーマやそれらと結びついた名所の鑑賞を規定する連想のコードを身につけていることであった。対して『鄙び』 ヨーロッパにおいて風景はルネッサンス期に現れる。landschapという用語も生まれた。客体としての風景の発見は、線遠近法の完成による均質的で無限の等方向を持つ空間と、近代的主体の出現の条件となる。セザンヌは、線遠近法的な風景画に見られる面の階層性を捨て、面の併置に特徴づけられる風景を描いた。 『見る』行為と聖性ー『国見』、templeとcontempler 『日本の風景の美学は多中心と形容できる。日本の風景は永続的な適合の状態にある。生成の状態にある風景なのである。』 『日本の風景画には、中国の風景画とは異なり、近景・中景・遠景で構成される広大な風景よりも、自然のひとつの相ないし断片や近景を描く傾向が見られる。』 都市 マクロ(自然)、メゾ(公)、ミクロ(私) ヨーロッパの都市における、公共の事柄について語り合うために作られた広場、ギリシャのアゴラで民主政治の論議が確立。 対して日本では政治のための、公共空間が育ない、路地の否定、現在はミクロな次元だけが肥大化している。 しかし西欧においてももはや文化の防腐剤としてしか機能していない都市をどうするか。セザンヌ、クリスト? 近代ー主体と環境の間の距離設定の確立 ポスト近代ー主観性の客体化、主体内部に内在する客体の発見

Posted byブクログ

2010/03/03

内容(「BOOK」データベースより) ヨーロッパ近代が生んだ遠近法と中心がたえず移動する日本特有の空間。視線の差異の発見と再発見、野性空間・田園・都市における風景観念の比較を通して、主体―客体2元論たる近代景観論の解体を論じ、ポスト・モダンの風景=〈造景の時代〉を予見する。 ...

内容(「BOOK」データベースより) ヨーロッパ近代が生んだ遠近法と中心がたえず移動する日本特有の空間。視線の差異の発見と再発見、野性空間・田園・都市における風景観念の比較を通して、主体―客体2元論たる近代景観論の解体を論じ、ポスト・モダンの風景=〈造景の時代〉を予見する。 著者紹介 【オギュスタン・ベルク】Augustin Berque 1942年生まれ。パリ大学で地理学第三課程博士号および文学博士号取得。現在、フランス国立社会科学高等研究院教授。文化地理学専攻。1984――88年、日仏会館フランス学長。主な著書に『空間の日本文化』『風土の日本』――以上筑摩書房などがある。 【しのだ・かつひで】 1948年生まれ。東京大学文学部仏文学科博士課程修了。現在、白百合女子大学文学部助教授。フランス中世文学専攻。 目次 第1章 人類学的共通基盤 第2章 視線とその変化 第3章 発見と再発見 第4章 野性の空間から自然の風景へ 第5章 田園から田園風景へ 第6章 都市から都市風景へ 第7章 風景の彼方へ―造景の時代

Posted byブクログ

2009/10/04

風景というものにぼんやりと魅惑され始めたのは高校三年生のころです。風土とかいう言葉に出会ったのもこの頃。オーギュスタン・ベルグの「風土としての地球」の装丁に心引かれたのが一番初めだと思う。大学に入って一番初めに、大学の本屋でこの本を買いました。景観がなぜ人間にとって大切なのか? ...

風景というものにぼんやりと魅惑され始めたのは高校三年生のころです。風土とかいう言葉に出会ったのもこの頃。オーギュスタン・ベルグの「風土としての地球」の装丁に心引かれたのが一番初めだと思う。大学に入って一番初めに、大学の本屋でこの本を買いました。景観がなぜ人間にとって大切なのか? 造景という言葉の提案も含めて、とても刺激的な影響を受けました。

Posted byブクログ

2009/10/07

都市のメゾコスモスの結合。 表現されるべき空間と空間の表現と表現の空間。 人間の環境への働きかけにより初めて生まれる野性の空間。

Posted byブクログ