志賀直哉(上) の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
大学の図書館の持ってっていいよのコーナーにあった。ラッキー。 近ごろ、志賀直哉の作品にどっぷり浸かっている僕にとって最高の一冊だった。これまで作家評論本は三浦哲郎と庄野潤三のほか読んだことがなかったので、そういう意味でも新境地の一冊となった。近代の作家で価値がおおよそ決まっているため、自分の持つ志賀直哉への気持ちとこの著者の考えと世間的な評価が頭のなかで整理しやすかった。そうなってくるとこういう本は面白くて仕方がなくなってくる。 この上篇で特に目を留めたのは「范の犯罪」についての論である。直近に読んだ『清兵衛と瓢箪・網走まで』に入っていた短篇で、僕は寓話的な要素のこもった作品とくらいに思って読んでいたのだが(面白くは思った)、著者はかなり長くこの作品について論をすすめていて、まずそれが意外であった。たしかにそう言われてみると「范の犯罪」は作者の思想的な部分がつよく出ている作品である。妻を殺して裁判にかけられた主人公がそこから殺すまでの経緯を語り、質問に答え、最後には無罪といわれる。作家の姿を浮き彫りにするうえでは論じやすい面を持った作品といえよう。他にも白樺派の作家たちに対してよく使われる「自我」ということばが多く出てくる。僕は一度この考えを体に蓄えた方がいいのかもしれないと読みながら思った。 では最後に一つ、文中の言葉を引用する。 伊藤整は、このように「ゼロ」から、「無」から出発して、上昇方向をとりながら人生の深部を認識し、そこに感動を生むタイプの認識を「上昇認識」と呼び、逆に太宰治や田中英光など破滅型作家におけるように、生活を破壊して落下していきながら人生の真実を発見していくタイプの認識を「下降認識」と名づけた。(p247)
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