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室町の王権 の商品レビュー

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2025/01/20

p.218 「王権の交替という現象を世界史的にみれば、多くは、民族間の対立抗争が契機をなし……、……前近代における外民族侵入による戦争が……数えるほどのわが国の場合、王朝交替が起こり得るとすれば、それは……宮廷革命があり得る唯一のケースといってよかろう。」 p.219 「しかし、...

p.218 「王権の交替という現象を世界史的にみれば、多くは、民族間の対立抗争が契機をなし……、……前近代における外民族侵入による戦争が……数えるほどのわが国の場合、王朝交替が起こり得るとすれば、それは……宮廷革命があり得る唯一のケースといってよかろう。」 p.219 「しかし、要するに『天皇に取って替わろうとする』行為は、種々の制約・条件が揃っている場合に限定され、……『なろうと欲すれば、いつでも天皇になれた』ような安易なことではない、ということだけは、御理解いただけるのではなかろうか。」 すごく入り組んでいて且つ深い問題なのに、すごくわかりやすかった。 足利義満が天皇に取って代わって日本の絶対君主になろうとした顚末を通じ、天皇の本質に迫ろうとする内容。

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2025/01/05

歴史の中で、なぜ、天皇制が維持できたのか、の問いに答えるもの。歴史上、天皇制存続の危機となったの足利義満の治世の時期。 そこで具体的に何が起こったのか、その背景含めて詳細に触れられており参考になる。 以下引用~ ・官位というのは、中・近世を通じ、また公武を問わず地位身分を律令の...

歴史の中で、なぜ、天皇制が維持できたのか、の問いに答えるもの。歴史上、天皇制存続の危機となったの足利義満の治世の時期。 そこで具体的に何が起こったのか、その背景含めて詳細に触れられており参考になる。 以下引用~ ・官位というのは、中・近世を通じ、また公武を問わず地位身分を律令の官職体系の上にランク付ける制度であって、天皇制度とともに維持されてきた面をもっている。中国では、かかる官職制度は王朝交替ごとに改変されるのだが、わが国では八世紀に確立したこの体系が、千年以上も連綿として用いられてきた点、諸外国にも例をみない特殊な構造をもつといえよう。それが天皇制度と運命をともにしてきたという点でも、いわゆる「天皇制」の裏側そのものとって大過なかろう。 ・天皇家を乗っ取るためには、その前提として「王法・仏法は車の両輪」とうたわれた仏教界を牛耳っておかねばならない。そのためには各宗の最高僧官である門跡のポストに一族を送り込むのが早道である。恐らくそういったシナリオのものに、義満は一族入室に着手するのである。 ・義満の立場で”司祭王”の地位に昇るとすれば、おのずから司祭に似合うスタイルを整えねばならない。応永二年(1395年)六月、義満が辞官出家した理由の一斑は、この司祭王へ脱皮するためであったろうと推測される。 ・ともあれ起草が公卿から禅僧へ代わったことは、外交事務が完全に幕府の手に移ったことを意味し、朝廷、ひいては天皇にあった形式的外交権をも、最終的に手放したことを意味するといえよう。 ・この応永九、十年の外交交渉によって日中の公式な国交(平等ではない)が成立し、日本は明を盟主とする東アジアの柵法体制の中に入った。 その見返りとして莫大な貿易の利益があり、義満が明帝から頒賜された何万貫という銭貨があった。 ・・・ 結果的に明らかの私鋳銭をも含めての銭貨の大量輸入によって、室町期のわか国は、明銭が公定貨幣として流通した。 ・輸入品の工芸品などを通じて上流階層の唐物崇拝、舶来品尊重のムードはいやが上にも高まる。明銭の伝播力によって貨幣とともに義満の権威が津々浦々に及ぶという仕かけである。 ・もちろん、義持の個人的事情として、亡父義満の生前、父より疎外されていたことに対する反発が、父の死後”天の邪鬼”的な政策変更をとらせたという傾きも軽視できない。 ・有力守護クラスの思惑は? 一つは、ことに斯波氏は、足利氏の下風に立つことを潔しとはしなかったくらいプライドの高い一門守護であり、本来、足利氏とは対等に近い意識をもち続けていたから、足利氏の”絶対主義”には、まっ先に反対しなければならない立場にあった。 ・義教はこれに対し、恐怖政治と徹底的な弾圧をもって臨んだ。父義満の手法であった懐柔と権威をもって臨むやり方とは正反対のいき方である。 ・いったい室町幕府にとっての綸旨とは、たとえは悪いが日本銀行による国債引き受けのようなもので、発給すれば、当面の効果は大きいが、同時に幕府の権威の低下につながるという、いわば阿片のような麻薬に似た存在である。 ・嘉吉の乱後の一連の動きは、天皇家が世俗的権力はおろか、叙任権・祭祀権すら失っていても、「権威」的存在として生きていける道があることを証明した。 このような時期に、和漢の学に通暁した後花園という人物を擁していたことは、天皇家側にとって大きかった。 ・そもそも秀吉が、博多での第一次キリシタン禁制のとき、「日本は神国たるところ」と宣言したことは周知の事実だが、「日本は神国」といった時点ですでに秀吉は”天皇制”の呪縛(共同幻想といってもよい)にからまっていたといったらいいすぎであろうか。

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2024/09/16

足利義満の失敗した王位簒奪計画。 義満の反対勢力は、意外なことに、宮廷ではなく、家臣団だった。 義満は皇胤、それ故に足利家を天皇家にしようとした、というのが著者の見立てだ。

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2020/06/03

足利義満が天皇家簒奪に向けて活動していたという説。あまり目立たない印象だが、日本史上の権力者として屈指の権力者だったことが分かる。死後、武士勢力からより戻しがあったという話が面白い。

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2016/01/10

室町幕府三代将軍・足利義満は、絶大な権力のみでは飽き足らず、天皇位という究極の権威まで狙っていた…という主題で書かれたもの。ストーリーとしては抜群に面白く、刊行当時人気が出たのも、その後あちこちに影響が現れたのもよく分かる。ただ資料や情報の取捨選択が強引で、自説のために都合のいい...

室町幕府三代将軍・足利義満は、絶大な権力のみでは飽き足らず、天皇位という究極の権威まで狙っていた…という主題で書かれたもの。ストーリーとしては抜群に面白く、刊行当時人気が出たのも、その後あちこちに影響が現れたのもよく分かる。ただ資料や情報の取捨選択が強引で、自説のために都合のいいものを採ったように見える。巻末で網野善彦の非定住民史観を批判しているが、やっていることにそれほど違いがあるようには…。ひとまず「こういう説もある」ぐらいに留めておくのが良さそう。

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2013/08/16

古本で購入。 前回の『日本の歴史をよみなおす』で触れられていたのを機に、積ん読から解放。 「天皇家がなぜ続いてきたか」 という命題について回答を試みた、今谷明の代表的著作。 内容は、武家として初めて天皇制度の改廃に着手し、簒奪寸前まで行った足利義満の宮廷革命を中心に叙述されま...

古本で購入。 前回の『日本の歴史をよみなおす』で触れられていたのを機に、積ん読から解放。 「天皇家がなぜ続いてきたか」 という命題について回答を試みた、今谷明の代表的著作。 内容は、武家として初めて天皇制度の改廃に着手し、簒奪寸前まで行った足利義満の宮廷革命を中心に叙述されます。 それによって 「天皇家存続の謎を解くカギが、この時期に集中していること、また義満の行実を追うことによって、天皇の権威・権力の内実がおのずから明らかになる」 のだとか。 筆者は義満の王権簒奪の動機について、南北朝戦争の大勢が決していたという若年時の政治的環境と、「力ある武家は公家の上にいなければならぬ」という天成の性格によるものとしている。 また、義満が母の血筋により順徳天皇5世の子孫として生まれ、血のコンプレックスを抱かなかった点にも着目。 こうして尊大な王者意識を持つに至った将軍足利義満による王権簒奪計画が始まっていく。 義満はまず廷臣・僧職に対する官位授与権、つまり叙任権を天皇家から奪う。 それまでも幕府による官位への介入はあったが、義満はそれを押し進め、形式的・名目的に任命権者の地位に就く。 そして仏教界を牛耳るべく、各宗派の門跡に子弟を送り込む。 こうした義満の専断に対する公卿のリアクションが、彼らの日記に生々しく残っているのおもしろい。 そこには猟官運動が実を結び喜ぶ者、苦々しく思いながらも抵抗した際の処置を恐れ日記に鬱憤を漏らすことしかできぬ者…などなど、当時の宮廷の雰囲気の一端が切り取られている。 一方で、義満は祭祀権・国家祈祷権の奪取のため、北山第(現在の金閣寺)を中心に陰陽道重視の祈祷体系を構築していく。 衰微した宮廷祭祀を超えるもの、「国王の祭祀」としての宗教的権威を、仏教・陰陽道をもってつくり出そうとしたのである。 本筋とはあまり関係ないけど、 「(北山第は)山荘どころか国家の中心的な政庁であり、宮殿だった」 というのは初めて知った。おもしろい。 そしてついには明へ使者を送り、「日本国王」としてその冊封体制に入った。 義満自身の中国崇拝もさることながら、これも王権簒奪に必要なことであった。 東アジアの盟主たる明皇帝に「国王」として国際的に認められることは、簒奪の正当性を保障する唯一の方法だったからだ。 その後も、自らに上皇の礼遇を強制し、天皇家終焉を告げる予言詩を流布させる。 さらには妻を天皇の仮の母である准母とし(ひいては自分を准父とし)、息子を「親王」として内裏で元服させた。 いよいよ遠大周到なる簒奪計画も大詰めを迎える。 しかし、義満は急死。 このあまりに唐突な病死に対して暗殺を疑う向きがあるのも、納得できる。 義満の王権簒奪計画について、筆者は 「足利氏で将軍と天皇を独占し、その政権を盤石の安泰に置く」 ためであり、 「天皇に替えて『国王』が百官と幕府を統べる体制を構想していたのではなかろうか」 と憶測する。 つまり義満の狙いは中央集権の絶対王政的体制だった、というわけである。 しかしその構想は、新将軍義持の代で潰えた。 幕府の実権を掌握した斯波義将ら宿老たちによって、路線変更がなされたからである。 彼らにとって、中央集権化・絶対主義という「足利氏1人勝ち体制」は歓迎すべからざるものだったのだ。 一方、天皇家は相次ぐ謀叛などで幕府が混乱する中で、権威・権力を取り戻していく。 幕府が謀叛人征伐の正当性を天皇の発する綸旨に求め、それに依存していったことが大きい。 戦国時代に入っても、天皇制度は「権威」として復活していったという。 官位を求める大名は盛んに朝廷へ運動し、大名間の争いを天皇が調停する。 こうした中で天皇の権威がクローズアップされた。 信長・秀吉・家康といった天下人も、高次調停者として巨大な存在感を示す天皇に勝利できなかった。 江戸幕府は天皇の政治的示威行為を封じ、内裏の一角へ幽囚の身とすることに成功したが、天皇家を廃絶することはできなかった。 筆者はそれを 「外来思想(キリスト教)を排除排撃する場合、当時の日本が、神国思想を対置するしか方法がない」 ため、結果として 「必然的に神国思想→天皇へともどるしかなかった」 からだとする。 つまり幕藩体制が天皇制度を維持した。 ここで冒頭の問いに対する筆者の回答。 天皇制度を維持存続させたのは、時代の政治構造のあり方そのもの。 政治構造こそが天皇を必要としてきたのだ。 天皇制度存続の問題は政治史を正面から扱うことでしか解けない。 現在ではここに書かれた内容についての批判・反論があるのかも知れないけど、とてもおもしろかった。 スリリングな宮廷革命の様子は読み物としてもなかなかレベルが高いと思う。オススメ。

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2012/11/29

義満の「王権簒奪計画」がメイン。「治天の君」と同様の儀式や呼称を用いることにより権威付け、武家のみならず公家や寺社も支配できるようになった。室町幕府の構造が足利将軍家に絶対的な権力を認めず、義満没後には天皇の権威を肯定し、利用する方向に戻った流れ。

Posted byブクログ

2011/03/31
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

[ 内容 ] 強大なカリスマ性をもって、絶対主義政策・中央集権化を支持する官僚・公家・寺社勢力を操り、武家の身で天皇制度の改廃に着手した室町将軍足利義満は、祭祀権・叙任権などの諸権力を我が物にして対外的に〈国土〉の地位を得たが、その死によって天皇権力纂奪計画は挫折する。 天皇制度の分岐点ともいうべき応永の時代に君臨した義満と、これに対抗した有力守護グループのせめぎあいの中に、天皇家存続の謎を解く鍵を模索する。 [ 目次 ] 天皇家権威の変化(親政・院政・治天の君 改元・皇位継承・祭祀) 足利義満の王権簒奪計画(最後の治天―後円融の焦慮 叙任権闘争 祭祀権闘争 改元・皇位への干与) 国王誕生(日本国王への道 上皇の礼遇 百王説の流布 准母と親王元服) 義満の急死とその後(義満の死と簒奪の挫折 皇権の部分的復活 戦国時代の天皇) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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2020/05/31

王権簒奪を志し治天になろうとした義満野望の道程を描く。 新書ながら当時ちょっとしたブームになり、今谷明の名を高らしめた一書。その後、対戦国大名、対信長、対徳川と一連のシリーズが続くことになる。あの方もちゃっかりパクって?いましたよね。(笑) そう言われたらそんな感じですね、という...

王権簒奪を志し治天になろうとした義満野望の道程を描く。 新書ながら当時ちょっとしたブームになり、今谷明の名を高らしめた一書。その後、対戦国大名、対信長、対徳川と一連のシリーズが続くことになる。あの方もちゃっかりパクって?いましたよね。(笑) そう言われたらそんな感じですね、という話でそれなりに面白く鮮やかに記憶に残る一書でもあった。 いわゆる室町時代の頂点に達することができた義満ならではの構想で、政略家としての優秀さを示しているといえるだろう。 にしても、後円融さん可哀そうです・・・。

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2009/10/04

言わずと知れた中世後期政治史研究の必読文献。足利義満と天皇との壮絶な権力闘争を描く。 その権力描写は勇み足な点も多く、研究史的に継承された点は意外と少ない。しかし当該研究に絶大なインパクトを与えた記念碑的存在であることは確か。

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