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乾岔子島事件史 一九三七年の日ソ紛争
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乾岔子島事件史 一九三七年の日ソ紛争

笠原孝太(著者)

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乾岔子島事件史 一九三七年の日ソ紛争

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内容紹介
販売会社/発売会社 錦正社
発売年月日 2025/03/18
JAN 9784764603578

乾岔子島事件史

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2025/04/14

事件の勃発と経緯 1937年6月19日、ソ連国境警備兵が乾岔子島に上陸し満洲国の採金業者を追放・拉致 当時、乾岔子島は満洲国領と認識され、満洲国航政局の航路標識も設置されていた 満洲国軍(関東軍)は奪還作戦を計画・実行 6月30日、ソ連の砲艇が同島付近を航行中に満洲国軍の砲撃を...

事件の勃発と経緯 1937年6月19日、ソ連国境警備兵が乾岔子島に上陸し満洲国の採金業者を追放・拉致 当時、乾岔子島は満洲国領と認識され、満洲国航政局の航路標識も設置されていた 満洲国軍(関東軍)は奪還作戦を計画・実行 6月30日、ソ連の砲艇が同島付近を航行中に満洲国軍の砲撃を受け沈没 7月2日にソ連側が兵力引き揚げに同意し、事件は一応の解決 事件の背景 黒竜江における国境線は条約で定められていたが、河川中州の帰属については日ソ間で認識の相違 日本は満洲国を事実上支配し、同地域の防衛と権益維持に強い関心 ソ連は極東防衛としてシベリア鉄道の要衝である沿海州方面の防衛を強化 満ソ水路協定交渉が両者の主張対立により難航し、国境問題への不信感を増幅 関係者の動きと判断 関東軍の一部には強硬姿勢があり、砲艇撃沈はその表れ 重光葵駐ソ連大使はリトヴィノフ外務人民委員と粘り強い外交交渉を行い解決へ 日本政府内では事件を局地的に収束させたい意向と、ソ連行動を強く非難すべきという意見があった 最終的には外交交渉による解決が選択された 日ソ関係と対ソ戦略への影響 満洲国境における日ソ間の緊張を著しく高めた 関東軍はソ連軍の実力や行動をより具体的に認識し、その後の対ソ戦略に影響 「満ソ国境紛争処理要綱」の策定につながり、後のノモンハン事件における関東軍の独断専行を招いた要因に 日本がドイツとの連携を強化し、ソ連に対抗する動きを後押しした可能性 その他重要なポイント 史料内では「カンチャーズ島」を統一表記として使用 事件発生時の現地状況、関東軍の情報収集・作戦計画・戦闘の様子が詳細に記述 事件後の日ソ間外交交渉における両国の主張や駆け引きが具体的に描かれている 事件の報道や日本国内への影響についても言及

Posted by ブクログ

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