商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 春秋社 |
発売年月日 | 2017/04/01 |
JAN | 9784393333525 |
- 書籍
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感性文化論
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感性文化論
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商品レビュー
3
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著者は「聴衆の誕生」など音楽と社会の関係をテーマにした研究者。 本書は戦前からの音を巡る感性の変化を掘り起こしたもの。例えばラジオの野球中継というのは戦前からあったけれど、今の実況中継とは違って、スタジオで編集されたものであったということ、アナウンサーが独特の講談調で伝える文化があったことなどが示され、これが戦後のテレビ放送開始の影響やソノシートという新しいメディアの台頭を受けて、どのように変化していったのかを論じている。着眼点が面白い。 最後の章では、ランドスケープをどうとらえるかを、日本橋の景観についての美的反応(古き日本を取り戻そうという意見と、重層的高速道路こそ東京のダイナミズムだという意見の対立)を例に論じている。とうとう、音からも離れてしまった苦笑。 それでもこの本は、なかなか興味深い論点を提出している。例えば60年代の記録映画を巡る議論では、どこまでファクトを脚色するかについての当時の議論をトレースしているが、現在だったら「それ、事実じゃないでしょ」である。こういう基準はあっという間に変わってしまうのだ。 そこで私も思い起こす事例があった。 つい先だって韓国が軍艦島に関する映画を作って、それが事実にもとづかない、ひどい反日映画だといって日本人は怒ったし、もちろん怒ってしかるべきだとも思うけれど、伝えるべき真実があるなら、それをわかりやすく伝えるために事実のほうを変えてもいいという感性は、かつて日本にもあった。ちょうど半世紀前の日本人と同じ。いやエンタメレベルでは、今の日本でもちょくちょくBPO案件になっている。 私たちの認識の古層には、自分たちの見方や願望によって事実を捻じ曲げてしまう力がそもそも備わっているのかもしれない。そこからいかに客観性を担保するかが、知性ってものなんでしょう。
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2017.9.2市立図書館 戦前と戦後で対比されることも多いが、戦前の文化や空気は案外戦後にも残っており、それが「戦後」と理解される現代風になってきたターニングポイントは1968年ではないか、という話。テレビが当たり前の今の時代、「視覚」「見た目」目から入る情報がつねに意識の前...
2017.9.2市立図書館 戦前と戦後で対比されることも多いが、戦前の文化や空気は案外戦後にも残っており、それが「戦後」と理解される現代風になってきたターニングポイントは1968年ではないか、という話。テレビが当たり前の今の時代、「視覚」「見た目」目から入る情報がつねに意識の前面にでてあたりまえのように思っているが、耳から入る情報がもっと存在感を持つ時代があったという話。1925年のラジオ放送開始以来培われた講談調スポーツ実況中継はスポーツ以外のイベント、はては架空のイベントの実況中継という番組(架空実況放送:1957-1966)までうみだした、あるいはラジオの野球実況が好きな人が上京してきたときに球場に足を運んで実況抜きの試合のつまらなさにがっかりした、という顛末が興味深い。 いまやってる朝ドラ「ひよっこ」が東京オリンピックの1964年から1968年ぐらい、この本の論じる境界にドンピシャリの時代だな、と思いながら読んだ。ドラマの中でも、テレビはあってもまだ白黒が多数派で、でもラジオ主流の時代から(ラジオ工場が閉鎖されるエピソードを経て)テレビを家庭で楽しむ時代へ。 私自身、幼い頃からラジオをBGMに育ってきて、いまもテレビを見るよりラジオを聞く時間のほうが長いので、「聴覚が人々にもたらす想像力やそこに形作られる文化の孕んでいる底知れぬ危険性」のこと、もっとじっくり考えてみたくなってきた。 三分の一ぐらい読めたところで時間切れ返却。
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