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批評という鏡
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批評という鏡

渡辺保(著者)

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批評という鏡

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 マガジンハウス
発売年月日 2005/02/17
JAN 9784838715725

批評という鏡

¥2,530

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2013/03/09

当代きっての歌舞伎批評家、渡辺保の歯に衣着せぬ劇評の数々。誉めるべきところはべた褒め、そのかわりだめなものはいくら相手が人気役者であろうが容赦なく批判する。これで面白くないわけがない。これだけ思い切って本音が書けたのは、中央公論社が読売新聞社に吸収合併されて発表の場を失ったのが原...

当代きっての歌舞伎批評家、渡辺保の歯に衣着せぬ劇評の数々。誉めるべきところはべた褒め、そのかわりだめなものはいくら相手が人気役者であろうが容赦なく批判する。これで面白くないわけがない。これだけ思い切って本音が書けたのは、中央公論社が読売新聞社に吸収合併されて発表の場を失ったのが原因だというから、読者にとっては何が幸いするか分からない。 もともと、舌鋒鋭い渡辺の批評には苦り切った者もいて、出版社に波状攻撃で執拗に圧力をかけた役者もいたらしい。メディアは、それでも執筆者を守ろうとするから、本当の圧力は筆者の知る何倍もあったことだろう。批評家がメディアに守られていてはだめだと、インターネットによる劇評をはじめるに至ったわけだ。基本的に無料で読めるネット批評だからといって、手を抜いたりしないところが流石。 批評家とて人の子。贔屓の役者があっても当然だろう。まして、インターネットという媒体であれば責任は自分がとればいいことである。いきおい、毎回絶賛される役者と、その逆に毎回注文をつけられる役者が出てくるのは致し方ない。若手や脇役は別として前者の代表に、吉右衛門、仁佐衛門、雀右衛門、富十郎、三津五郎が、後者には團十郎、幸四郎が挙げられる。 吉右衛門は義太夫狂言ができ、歌舞伎を人間ドラマとして演じることのできる柄の大きさがある。仁佐衛門には形の良さ、富十郎なら調子の良さ。雀右衛門は、型を知った上で型を通り抜けた自在の境地に入っているようだ。踊りの巧い三津五郎はそれが芝居にも生きる。逆に幸四郎は調子もよく上手いのに、歌舞伎からはなれてしまうところが惜しい。團十郎は見た目はまことに立派だが、小細工ができない。人によって見方は違うだろうが、納得できる分析だ。 歌舞伎と一口に言っても、時代物や世話物、それに丸本歌舞伎、義太夫狂言と、それぞれに持ち味がちがう。それに名優達が作った型がある。歌舞伎は型があってはじめて生きる。どの型でいくか、役者は、一時も気を抜くことができない。今の役者のお祖父さんの頃から生で舞台を見てきた渡辺である。一つ一つの所作に光らせる目の鋭いことといったらない。しかも、いちいち具体的な所作、科白を例に引いての批評だから、説得力がある。 直言は苦いかも知れないが、歌舞伎の将来を思っての言葉である。批評があってこそ、役者もはげみがいがあろうというもの。圧力をかけたという役者も、思い当たるところがあったからこそ無視できなかったのだろう。『批評という鏡』に自分の芸を写してじっくり見てみるといいのだ。総じて、よく研究している役者は応援し、自分の芸に満足し、精進を忘れた者、客に媚びる役者には厳しい。 それが歌舞伎であるかどうか、が批評の観点となっている。吉右衛門と幸四郎の評価が二分するのは、そこだ。歌舞伎は一人ではできない。欠点を指摘される役者でも、いい芝居をする役者と同じ舞台に上がったときには豹変する。イキの合った役者同士なら、なおさら。誰のどの役のどんな点がいいのか。顔合わせはどうか、と実際に歌舞伎を見るときの手引き書としてこれ以上のものはない。2000年の1月から2004年の6月までの劇評を収めるが、ネット上のサイト「渡辺保の歌舞伎劇評」は現在も進行中。読んでから観るか、観てから読むか、そこはご随に。

Posted by ブクログ

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