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高橋潔と大阪市立聾唖学校 手話を守り抜いた教育者たち
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高橋潔と大阪市立聾唖学校 手話を守り抜いた教育者たち

川渕依子【著】

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高橋潔と大阪市立聾唖学校 手話を守り抜いた教育者たち

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 サンライズ出版
発売年月日 2010/03/01
JAN 9784883254132

高橋潔と大阪市立聾唖学校

¥2,640

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2013/10/09
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※このレビューにはネタバレを含みます

もし可能であれば,川渕依子氏の他の著作や,山本おさむ氏の『わが指のオーケストラ』を読んでおくと,今回の本をより深く理解できると思う。 個人的には,聴覚障害児教育と限定するよりも,教育界に携わる人々,教師を目指す人々にも読んでほしい。

Posted by ブクログ

2010/04/29

高橋潔は、ろう教育に生涯をささげた人である。その高橋の若い日から亡くなるまでを、山本おさむのマンガ『わが指のオーケストラ』が描いている。 「口話法」こそが聾者にとってスバラシイものなのだと、「手話法」を押しのけ、禁止し、聾学校から排除して、日本中で口話法のろう教育へと変わってい...

高橋潔は、ろう教育に生涯をささげた人である。その高橋の若い日から亡くなるまでを、山本おさむのマンガ『わが指のオーケストラ』が描いている。 「口話法」こそが聾者にとってスバラシイものなのだと、「手話法」を押しのけ、禁止し、聾学校から排除して、日本中で口話法のろう教育へと変わっていったとき、その流れの中で、消されようとする手話を守ったのが大阪市立聾唖学校であり、校長の高橋潔だった。 父である高橋のことやその周りにいた大阪市立聾唖学校の教師たちのこと、大阪市立聾唖学校の教育がどのようなものだったかを、著者の思い出や、それぞれの人の著作などからの引用によってまとめた本。 著者は、父・高橋のことをこう書く。 ▼聾者が相手の言っていることを読唇で分かる。唖者が訓練をして言葉を覚え、ものが言えるようになる。こうしたことは誰しも望むこと、何の異論があろうはずはないのである。しかし校長高橋にはそれがどうしても心の教育をすべき学校として納得することができないのであった。まるで治療所、訓練所ではないか。また、聾唖者を異常者とみなし、正常者に伍して行くには言葉が言えなければならない。聾唖者そのものを見ることなく一歩でも一般人に近づけようとする教育方針に従うことができなかったのである。(pp.58-59) ごく最近まで、日本の多くの聾学校では手話は禁じられていた(私と同世代の聾者で、大人になるまで手話を知らなかったという人もいる)。発声の訓練、読唇の訓練は、それはそれは厳しいものだったという。その訓練に時間を費やすあまり、教科の勉強は普通校に比べておおかた2年は遅れているのが普通だという話もある。聞こえない音を途方もない訓練によって発音せようとし、聞こえない音を目によって読めと迫る、それは「音声言語が聞こえ、話せる」のがフツウで、聾者をそれに近づけようとする訓練だといわれても当然だろう。 ▼…聾唖者の世界には手話というコミュニケーションの方法が立派にあるではないか。これこそ聾唖者の母国語であると、きっぱりと言い切っている。この手話でなければ聾唖者に人間としての心の教育はできない。口話法教育の立場からは手話は動物的な恥ずかしいものとしてのとらえ方、言葉が言えてこそ人間だ、言葉が言えないのは動物だということになる。だから、聾唖者がする手話は動物的で恥ずかしいものだというのだ。  それに対して高橋は言っている。「犬や猫は言葉が使えないからといって手話をするだろうか。人間だからこそ聞こえない言えない代わりに手話をする、動物的というよりむしろ人間的なものなのである」「これほど美しいものはない」と。(pp.59-60) 聾唖者が聾唖者であることをなぜ恥じねばならないのか、と高橋は問い、人間としての心を耕し、人間として育っていくには手話をおいてないのだと説いた。 昭和8年、全国聾唖学校長会議での高橋の発言は、『わが指のオーケストラ』でも描かれているものだが、なんど読んでも心打たれる。口話を奨励する文部大臣(鳩山一郎)、口話万能を訴えるばかりの校長たちに「大阪城はまだ落ちぬか」と言われながらも、高橋は信ずるところを説いた。それは、ろう教育にとどまらず、「教育とは、なにを育てるのか」ということを語っている。 ▼先ず第一に、人間が人間として生まれた喜びを知ること、聾唖者が聾唖という宿命をもって生れたことに対し、自分の障害を自覚し、これに人生観をもたせることが教育として第一にしなければならないと思うのであります。聾唖者が障害を恥じたり、親を怨み、社会を、神仏を呪うようなことは教育として最も恥じなければならないところであります。ものを言う術をいくら教えても、人間の生きる指針を持たない者は、魂のない人間ロボットとも言えましょう。長い人生、自分を自覚し、自分の生きて行く目的を持つこと、これが動物と異なるところであります。聾唖者は動物ではないのであります。  心の問題まで完全に発表できる手話法によって、まず、人間をつくること、これが教育としての先決問題であると信じるのであります。  次に、聾唖者は少数である、だからといって多数なる正常者の言語を強要されるところに疑問があるのであります。…(pp.194-195) こうした校長高橋がいて、大阪市立聾唖学校の教師たちは手話を守り抜くことができたのだと思う。 本の内容としては、自費出版的なものであるせいか、著者(川渕さん)の書いたところがどこまでで、引用された他者のテキストがどこまでかが、ちょっと分かりづらかった。背景事情を知らないと読みづらいところもある。この本に巻頭言を寄せている山本おさむの『わが指のオーケストラ』をあわせて読むと、当時の事情がよくつかめるだろう。

Posted by ブクログ

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